ヨハネによる福音書・補

Aiming over one step

18
みことばに聞く


<ヨハネ 4:39−42>
39さて、その町のサマリヤ人のうち多くの者が、「あの方は、私がしたこと全部を私に言った。」と証言したその女のことばによってイエスを信じた。40そこで、サマリヤ人たちはイエスのところに来たとき、自分たちのところに滞在してくださるように願った。そこでイエスは二日間そこに滞在された。41そして、さらに多数の人々がイエスのことばによって信じた。42そして彼らはその女に言った。「もう私たちは、あなたが話したことによって信じているのではありません。自分で聞いて、この方はほんとうに世の救い主だと知っているのです。

<申命記 30:11−14>
11まことに、私が、きょう、あなたに命じるこの命令は、あなたにとってむずかしすぎるものではなく、遠くかけ離れたものでもない。12これは天にあるのではないから、「だれが、私たちのために天に上り、それを取って来て、私たちに聞かせて行わせようとするのか。」と言わなくてもよい。13また、これは海のかなたにあるのではないから、「だれが、私たちのために海のかなたに渡り、それを取って来て、私たちに聞かせて行わせようとするのか。」と言わなくてもよい。14まことに、みことばは、あなたのごく身近にあり、あなたの口にあり、あなたの心にあって、あなたはこれを行なうことができる。


1、キリストかも知れない

 「サマリヤの女」、三回目です。
 町から遠く離れたヤコブの井戸のところで、彼女がイエスさまと話しているときに、食料を買いに行った弟子たちが帰って来ました。イエスさまにはいくらか慣れて来た彼女も、他の何人ものユダヤの男どもの間には居づらかったのでしょう。
 彼女は、水がめを置いて町へ行き、人々に言いました。
 「来て、見てください。私のしたこと全部を私に言った人がいるのです。この方がキリストなのでしょうか」(29)

 「水がめを置いて」というのは、彼女が本来の目的を忘れたことを意味します。
 彼女はヤコブの井戸まで水を汲みに来たのです。それなのに、もう、水を汲んで持ち帰ることさえ念頭にありません。しかも、遠く離れたヤコブの井戸まで来たのは、昼日中の暑い中、こっそりと人目を避けて……だったのに、そんなことにさえも頓着しません。
 町の人たちに自分から進んで近づき、夢中になって、自分の身に起こったことを大声で言い始めました。「私のしたこと全部」とは、イエスさまが彼女の同棲相手が五人もいると言い当てたことを指している。そんな恥にもなることを、彼女は隠そうともしません。
 「この方がキリストなのでしょうか」という彼女の期待は、その方が言い当てた不思議を体験してのものでした。それは、恐らく、カナの結婚式から続いているイエスさまの「しるし」を見て信じるというジャンルに属するのでしょう。そのことをヨハネは、ニコデモの記事やその序文で否定したはずですが、それにしては、こんなにも大きな記事として取り上げている。ここに記される結語こそ、「サマリヤの女」として、こんなにも大きな記事にした理由であり、異邦人教会に聞いてほしいと願ったヨハネのメッセージではなかったかと思うのです。

 「キリストかも知れない」という彼女の証言、それは、今、ユダヤで大きな流行にもなっているメシアを待ち望む声が、サマリヤにも広がっていることを示しています。
 なんのかんの言っても、サマリヤ人は、ユダヤの一部でいたいのでしょう。それは、混合民族となったサマリヤの、神さまの選びの民でありたいという切実な願望でした。

 ゲジリム山上にあったサマリヤ人の神殿は、BC.128年、ユダヤ・ハスモン王朝のヨハネ・ヒルカノスがサマリヤに侵攻して来て、焼き払い、破壊しましたが、そのころには、この「メシア待望」の信仰がユダヤ全土に広がっていて、何人もの自称他称のメシアが出現し、支持者が徒党を組んでユダヤ独立を叫び、当局から弾圧されて破滅するということを繰り返していました。それは、恐らく、ハスモン王朝(BC140-37)誕生前に、エルサレムなどを好き勝手に蹂躙したシリヤのセレウコス朝に反抗して立ち上がった、ユダ・マカベウスとその三人の息子たちによるゲリラ戦によって、ユダヤ全土が荒れ果てたところから急速に広がったものと思われます。いわゆる、マカベア一族はそんなメシア期待に乗じてユダヤの独立運動を起こし、勝ち取ったのでしょう。ただ、彼らは祭司マタテヤの子孫であって、ダビデの家系には属していませんでしたから、ハスモン朝が成立した後も、メシア待望の信仰は消えることがなかったと言えそうです。
 そして、今、ユダヤはヘロデ王朝の時代となっています。
 ハスモン朝で指揮官の一人だったイドマヤ人ヘロデが、ローマに取り入ってユダヤの王位を手に入れ、ヘロデ王朝を打ち立てますと、強盗団が多発したり、ユダヤを食い荒らすローマ総督も相次ぐなど、政情と社会情勢がどんどん不安となり、人々のメシア期待もピークに達していきます。きっと、サマリヤ人たちのメシア待望も、そんなユダヤと連動して膨れ上がっていたものと思われます。


2、神さまから遠い者たちを

 ごちゃごちゃ言いましたが、彼女の言い方に少々ひっかかるところがありますので、もう少しだけごちゃごちゃしてみましょう。
 「キリスト」と言ったり、「メシア」と言ったりしているところです。

 繰り返しになりますが、マカベア戦争は、支配者セレウコス朝のギリシャ人軍隊に対する、マカベア一族を中心とするユダヤ人のゲリラ戦でしたから、相当広範囲に繰り広げられていたようです。それは、サマリヤ地方をも巻き込んでいましたから、メシア待望の信仰は、当然、サマリヤにも広がっていました。
 そうしますと、サマリヤのメシア待望信仰は、ユダヤ人のそれに倣うものでした。もともとサマリヤ人の言語はヘブル語の方言でしたから、メシアという言い方のほうが自然だったのと、ユダヤでの活発なメシア運動に引きずられてのことと思われます。しかし、一方ではキリストという言い方もユダヤでは広がっていました。新しいギリシャ語コイネーはすでに世界言語になっていたからです。イエスさまとサマリヤ人たちとはユダヤ人の用いているアラム語で会話したと思われますが、ヘブル語にしてもギリシャ語にしても、ユダヤ人が使っている言語をサマリヤ人は共通要素として大切にしていました。ですから、彼女は、「私はキリストと呼ばれるメシアの来られることを知っている」(25)と、両方の言い方をしている。
 そんな事情を考えますと、彼女がここでキリストと言ったのは、サマリヤ人にはキリストという言い方のほうが、より一般的になっていたためでしょう。北王国滅亡後、混合民族となってしまったサマリヤにはギリシャ人の血が濃かったことも、「キリスト」というギリシャ語に近親感を覚えていたのかも知れません。
 ただ、メシアにしてもキリストにしても、サマリヤでは「モーセのような預言者」(申命記18:18)でしかありません。それは、ユダヤのような武力闘争によるローマ支配からの脱却というものではなく、まして、神さまの御国へと招いてくださる救い主を信じた人たちのようでもありません。前回触れたように、その預言者は彼らに真実を伝えてくれる人でした。そのモーセのような預言者を、彼らは、なによりも待ち望んでいたのです。

 それは、ユダヤに寄り添うように歩きながらも、反発する彼らの揺れ動く姿勢ではなかったかと思われてなりません。拒否されても、ののしらても、なお、受け入れて欲しいと願っていたのは、この女性の町の人たちへの思いでもありましたが、それは、サマリヤの町の人たちの、ユダヤに対して抱いていた思いでもありました。
 それなのに、町の人たちは彼女を拒否し、ののしり、神さまの選びの民であると誇ったユダヤ人がサマリヤ人を異邦人と見て拒否し、ののしったのです。ののしられたサマリヤ人、そして彼らからののしられたこの女性、その双方を見つめたヨハネは、彼らに重ね合わせながら、神さまから遠いと感じている人たちのことを見ているのでしょう。
 それは、サマリヤの女であり、サマリヤ人であり、ユダヤ人と向き合うギリシャ人、現代日本人を含む異邦人だったのではないでしょうか。


3、みことばに聞く

この女性が水がめさえも忘れて町に戻ったのは、「来て、見てください」とイエスさまを指し示すためでした。
 「私のしたことを全部言い当てた人がいます」「この方はキリストなのでしょうか」と、この証言を聞いた人たちは、これまで彼女を拒否し、ののしって、彼らの神聖な共同体から排除していたとは思われないような素直さで、すぐにヤコブの井戸までやって来ました(29-30)。

 ヨハネは、イエスさまと弟子たちとの挿入記事から、サマリヤ人の記事に戻りますと、最初に「その町のサマリヤ人のうち多くの者が、『あの方は、私がしたこと全部を言い当てた』と証言したその女のことばによって、イエスを信じた」(39)と記しましたが、彼女の二つの証言のうち、「しるし」に属する第一の証言だけをここに取り上げました。

 二章以降、ヨハネは一つの主題「しるしを見て信じる」ことに目を留めて来ました。そして、それは本物の信仰ではないと否定するのですが(2:23-25)、何が何でも「しるし」を求めることをいけないとは一概に否定してはいません。ニコデモに、「人は新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない」と言った福音受領の過程を、一歩先へとコマを進めるのです。イエスさまと弟子たちに触れた31-38節を見ますと、種蒔く人と刈り入れる人とのコラボレーションが語られる。これは段階的な過程と聞くことが出来るでしょう。
 ヨハネは、「しるしを見て信じた」人々を、次の段階・福音へと誘っているようです。

 そんな意図のもと、ヨハネは、イエスさまを信じたサマリヤ人たちの記事を、39節と40節以下の二つの段階に分けて記しました。39節では、彼らサマリヤ人たちがイエスさまを「信じた」ことは、まだ「しるし」によるのですが、40節以下になると違ってきます。

 ヨハネはこう記しています。
 「そこで、サマリヤ人たちはイエスのところに来たとき、自分たちのところに滞在してくださるように願った。そこでイエスは二日間そこに滞在された。そして、さらに多数の人々がイエスのことばによって信じた。そして彼らはその女に言った。『もう私たちは、あなたが話したことによって信じているのではありません。自分で聞いて、この方はほんとうに世の救い主だと知っているのです』」(40-42)

 39節で、彼女の証言を聞いた、つまり「しるし」を信じた彼らは、イエスさまに自分たちのところに滞在して欲しいと頼みました。その頼みを聞いて、イエスさまがサマリヤ人の町に滞在されたのは二日間にも及びます。ガリラヤへ行こうとして、サマリヤを通過する最短コースを選ばれたのは、何のためかは分かりませんが、急いでいたからです。それなのに、その急用よりも、サマリヤ人の願いを優先させるのです。

 彼らがイエスさまを自分たちのところに招いたのは、「聞く」ためでした。
 丸二日間、彼らはイエスさまのお話を聞いたのでしょう。
 きっと、心を込めて。そして、改めてイエスさまを信じたのです。
 彼らばかりか、彼女の証言を聞かなかった人たちまでもが、イエスさまを「世の救い主」と信じました。丸二日間ですから、その間に聞いた人たちが友人や知人にも声をかけて、大ぜいの人たちが集まって来たのでしょう。
 彼らが「この方はほんとうに世の救い主だと知った」という、その「世の救い主」という言い方は、紀元一世紀末に用いられるようになり、新約聖書では、ヨハネ第一書4章14節とここだけに用いられた言い方ですので、どれほど、サマリヤの人たちがイエスさまの福音に近づき、その中に入り込んだのかは分かりませんが、少なくとも、「女のしたことを全部言い当てた」奇跡信仰から、彼らは一歩も二歩も抜け出しているようです。
 彼らの、「(イエスさまに)聞いて信じた信仰告白」には倣うべきことがあるのだと、ヨハネの証言に聞きたいではありませんか。
 信仰とは、主のことばに聞くところから始まるのですから(申命記30:14、ロマ10:12)。

 現代、教会から離れ、あるいは、イエスさまを信じる信仰から離れて、神さまから遠いと痛んでいる人たちが、世界的な規模で増え続けています。「聖書が読まれなくなった」と、日本ばかりでなく、欧米からもそんな声が出て来た時期と重なるようです。
 みことばが、みことばだけが、その痛みを癒やしてくれることでしょう。覚えて欲しいと心から願います。



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