ヨハネによる福音書・補

Aiming over one step

13
喜びの信仰に


<ヨハネ 3:22−30>
22その後、イエスは弟子たちと、ユダヤの地に行き、彼らとともにそこに滞在して、バプテスマを授けておられた。23一方、ヨハネもサリムに近いアイノンでバプテスマを授けていた。そこには水が多かったからである。人々は次々にやって来て、バプテスマを受けていた。24―ヨハネは、まだ投獄されていなかったからである。― 25それで、ヨハネの弟子たちが、あるユダヤ人ときよめについて論争した。26彼らはヨハネのところに来て言った。「先生。見てください。ヨルダンの向こう岸であなたといっしょにいて、あなたが証言なさったあの方がバプテスマを授けておられます。そして、みなあの方のほうへ行きます。」27ヨハネは答えて言った。「人は、天から与えられるのでなければ、何も受けることはできません。28あなたがたこそ、『私はキリストではなく、その前に遣わされた者である。』と私が言ったことの証人です。29花嫁を迎える者は花婿です。そこにいて、花婿のことばに耳を傾けているその友人は、花婿の声を聞いて大いに喜びます。それで、私もその喜びで満たされているのです。30あの方は盛んになり私は衰えなければなりません。」

<申命記 31:6>
6強くあれ。雄々しくあれ。彼らを恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主ご自身が、あなたとともに進まれるからだ。主はあなたを見放さす、あなたを見捨てない。


1、バプテスマのイエス?

 今朝のテキストは、この福音書において、バプテスマ・ヨハネがイエスさまのことを証言した最後のものです。〈この福音書における〉と言ったのは、共観福音書には、ガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスによる彼の処刑の記事が加えられているのですが、この福音書ではその記事が省かれているためです。もっとも、このテキストには、その最後を暗示させるようなヨハネのことばが付加されていますから、そのことも含めて見ていきましょう。

 最初に一つの疑問にぶつかります。
 「その後、イエスは弟子たちと、ユダヤの地に行き、彼らとともにそこに滞在して、バプテスマを授けておられた。一方、ヨハネもサリムに近いアイノンでバプテスマを授けていた。そこには水が多かったからである。人々は次々にやって来て、バプテスマを受けていた」(22-23)とあるところからですが、疑問とは、イエスさまがバプテスマを授けていたという点です。まるで、イエスさま初期の活動は、「バプテスマのイエス」とでも言いたげなのです。
 そのとき、イエスさまがバプテスマを授けていたところは「ユダヤの地」とあるだけで、恐らくエルサレムの近くだったのでしょう。そのすぐ近くの「サリムに近いアイノン」でバプテスマのヨハネがバプテスマを授けていました。わざわざ「水が多かった」と言われますので、そこはヨルダン川ではなく、どこかは不明ですが、泉(アイノンは泉の意)でした。これは1章28節にある「ヨルダンの向こう岸のベタニヤであって、ヨハネはそこでバプテスマを授けていた」とある光景とは、時期も状景も違うものだったようです。

 イエスさまのバプテスマに、たくさんの人たちが詰めかけています。
 ヨハネの弟子たちがそのことに嫉妬して、
 「先生。見てください。ヨルダンの向こう岸であなたといっしょにいて、あなたが証言なさったあの方がバプテスマを授けておられます。そして、みなあの方のほうへ行きます」(26)と口をとがらせました。
 ところで、イエスさまご自身が洗礼を授けていたのでしょうか。イエスさまとヨハネが、人々を自陣地に取り込む競争をしているような、奇妙さを感じるのですが……。四章2節には「イエスご自身はバプテスマを授けておられたのではなく、弟子たちであった」とある。
 これを書いているのはヨハネでしたから、その時の弟子たちには、バプテスマ・ヨハネに対する競争意識もあったのかも知れません。

 ちなみに、バプテスマとは水に浸すという意味で、浸礼を意味しています。「浸礼」なんて耳新しかも知れませんが、洗礼の一様式と言ったらお分かりでしょう。その様式、歴史的には、滴礼、浸礼、灌水礼などがありましたが、それらを総称して「洗礼」と言われて来ましたので、私たちも中身は浸礼であっても、洗礼という言い方にしているのです。ユダヤでは、古くから「ラビの弟子になる」ときの儀礼を意味していました。そして、教会もいつしか教会儀礼=聖礼典としてこれを守るようになっていました。
 現代のプロテスタント教会では、十六世紀の宗教改革以来、洗礼に信仰告白という意味づけをしているのですが。

 しかし、これは共観福音書にはありませんので、福音書記者ヨハネは別資料を用いた、あるいは、彼の創作ではないかと言われています。どちらかは分かりませんが、これはヨハネの弟子たちの証言をもとにしたバプテスマ・ヨハネ側の記事であろうと思われます。何もイエスさまとバプテスマ・ヨハネが互いにバプテスマを授けた人の数を競い合っていたわけではありませんが、少なくとも、ヨハネの弟子たちはイエスさまに敵愾心を燃やしていたようです。彼らはイエスさまをバプテスマのヨハネと同格と見ていたのでしょう。それが、やがてヨハネの死をきっかけにイエスさまに近づき、イエスさまをメシアであると認識するようになる。福音書記者ヨハネが彼らの証言をいつ、どのようにして入手したのかと言いますと、その弟子たちがヨハネの没後イエスさまの弟子になって以降のことと思われます。かなり時間が経っている。そうしますと、イエスさまが人々にバプテスマを授けておられたという証言もあやふやに聞こえてきます。この記事は、イエスさまの行動を逐一報告するものではなく、バプテスマ・ヨハネのこれまでの証言を補足するものであったと言うことが出来るのではないでしょうか。


2、イエスさまを指し示して

 バプテスマ・ヨハネのこれまでの証言は、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」(1:29)というものでした。何度目かの(ヨハネの記録では二回目)「見よ、神の小羊」という、その証言を聞いて、アンデレなどはイエスさまについて行き、イエスさまの弟子になるのですが、大半のヨハネの弟子は、そう聞いても、依然としてバプテスマのヨハネこそ「メシア」であろうと期待していたのでしょう。

 福音書記者ヨハネは、その期待を根本的に修正しなければなりませんでした。
 というのは、バプテスマ・ヨハネに対する期待は、当時だけの一過性のものではなく、パウロがエペソに行ってすぐの時に、ヨハネのバプテスマしか知らない人たちと出会ったという記事(使徒19:1-7)があるほど、広範囲に広まっていたからです。ヨハネがこの福音書を執筆している一世紀末ころにもそんな人たちがエペソ界隈に残っていたとしても不思議ではありません。
 そんな人たちに、本当は弟子たちでしたが、イエスさまがバプテスマを……と言っても何の不都合もありません。パウロはそのところで、「ヨハネのバプテスマ」に対するように、「主イエスの御名によるバプテスマ」と言い分けています。
 むしろ、福音書記者ヨハネは、彼らがキリストであるイエスさまの弟子になるべきであって、バプテスマのヨハネはそのイエスさまを指し示したのであると言っているのでしょう。当時、ユダヤ人たちには洗礼にも通じる「割礼」という教えのこともありましたから、ローマ・ギリシャ世界のイエスさま共同体は、そのことをはっきりさせなければなりませんでした。

 ここには、「(バプテスマの)ヨハネは、まだ投獄されていなかったからである。それで、ヨハネの弟子たちが、あるユダヤ人ときよめについて論議した」(24-25)と、奇妙な挿入句がありますが、「投獄されていない」とは、裏返しますと、ヨハネは間もなく投獄され、ヘロデ・アンティパスによって処刑されてしまうことを指しています。そのことは、ヨハネの弟子たちも確認したことであり、ユダヤ人にとっては広く知られた出来事でした(マタイ14:1-12)。
 そんな時期でしたから、ヨハネの弟子たちには、焦りみたいなものがあって、おれたちの先生が軽んじられているとばかりに、誰彼なしに議論を吹っかけていたのでしょう。「きよめ」とはバプテスマのこと。つまり、ヨハネのバプテスマこそ本物であると弟子たちは主張したのです。「あるユダヤ人」が誰を指しているのかは不明ですが、イエスさまのバプテスマを受けた人なのでしょうか。ヨハネのバプテスマよりもイエスさまのほうが良いと、ヨハネの弟子たちとの議論になった。イエスのバプテスマのほうがいい、いや、ヨハネのバプテスマのほうだと、いかにもくだらない議論が交わされている。福音書記者ヨハネが意図して用いた「論議」ということばもそんな「愚かな議論」という意味なのでしょう。
 「あるユダヤ人」と、福音書記者ヨハネは、その人を特定せず、ある意味、ぼかすことで、紀元一世紀末の教会に、バプテスマに関する無用の議論があったことを示しているようです。当時の教会は、やれ滴礼がいいだの、浸礼でなければならないなどなど、洗礼様式に関するものだけでなく、礼拝様式も含めて教会自体にさまざまな儀礼化が進んでいました。
 そんなくだらない議論に費やす時間があるのなら、もっと、バプテスマ・ヨハネの証言に耳を傾けなさい。ヨハネはイエスさまを指し示しているではないか。福音書記者ヨハネはそう言いたかったのではないでしょうか。


3、喜びの信仰に

 弟子たちのやるせない怒りにバプテスマ・ヨハネは答えます。
 「人は、天から与えられるのでなければ、何も受けることはできません。あなたがたこそ、『私はキリストではなく、その前に遣わされた者である』と私が言ったことの証人です。花嫁を迎える者は花婿です。そこにいて、花婿のことばに耳を傾けているその友人は、花婿の声を聞いて大いに喜びます。それで、私もその喜びで満たされているのです。あの方は盛んになり私は衰えなければなりません」(27-30)
 人は神さまの御心によらなければ正しく立つことはできない。私もあなたがたも間違いだらけの人間なのだよ。私は御心に従って務めを果たそう。君たちもうじうじしていないで、「私はキリストではなく、その前に遣わされた者だ」(28)と私が言ったことの証人になるのだ。それこそが君たちの務めではないか。いたずらに心を乱していてはならない。と、ヨハネは弟子たちを丁寧に誡めているようです。それなのに、彼らはそのことがよく分からない。なぜなら、「あの方は盛んになり私は衰えなければなりません」と聞いたからです。彼らが持って行き所のないやるせない怒りをヨハネにぶつけたのは、そんな我らの先生ヨハネが衰退して行くという予兆を、イエスさまが人々にバプテスマを授けている光景に感じたからにほかなりません。

 にもかかわらず、ヨハネ没後に、ある者たちはイエスさまのところに行き、イエスさまの弟子となって、このヨハネの証言を教会資料として保存する証人となりました。そこには師ヨハネの喜びをも共有することの出来た彼らの思いまでもが含まれているようです。
 福音書記者ヨハネがこんな記事を挿入したのは、ひとつには、彼らの哀しみと喜びを思ってのことだったのではと想像するのですが。

 弟子たちが共有したバプテスマ・ヨハネの喜びは、花婿が花嫁を迎えるのを、花婿の友人として喜ぶというものです。ややこしい言い方ですが、古代オリエントで、花婿の友人は結婚式前夜に代理求婚などの特別な役割を担ったらしく、それに似た風習を言っているようです。現代でも教会で行われる結婚式にはベストマン(新婦にはブライドメイド)と呼ばれる友人が付き添い、式の重要な役割を担っています。それはヨーロッパ発祥の習慣と思われますが、とても名誉なことで、花婿と一心同体と目されたわけです。
 バプテスマのヨハネが花婿・イエスさまの代理となって先導役の名誉に与ることができたのは、神さまからの召しがあってのことで、神さまのそのようなご計画に加わらせて頂いたという喜びは、短い生涯で何にも勝るものだったと言っているのではないでしょうか。

 15章13節以下で、イエスさまは弟子たち(私たち)を友人と呼び、ご自分は「その友のためにいのちを捨てる」とまで言われているのです。何と光栄なことではありませんか。福音書記者ヨハネ自身もそんな光栄の中に百歳近くまで宣教者として働き続けて来ました。もしかしたら、ヨハネ教団と呼ばれる群れが出来ていたかも知れないような中で、バプテスマのヨハネも福音書記者ヨハネも、イエスさまを信じる信仰に立ち続けました。

 「彼は栄え、自分は衰える」とバプテスマのヨハネは舞台から退場し、福音書記者ヨハネも一世紀末に没しますが、そんな光栄に立った彼らの信仰はいささかも色あせることはない。
 私たちもそんな喜びの信仰に雄々しく立ち続けたいではありませんか。



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