ヨハネによる福音書


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証しをもって立つ
ヨハネ 21:20-25
イザヤ   61:1-3

Ⅰ 愛の引き継ぎには

 2013.10から二年半続いた、ヨハネ福音書講解説教の最終回です。読み返してみますと、足りないところが多く、ヨハネの思いをどれだけ伝えられたかとそんな思いもあって、もう一度繰り返したくなるのですが、研究者ではありませんので、次に進まなければなりません。

 ともあれ、ヨハネ福音書の、今朝のテキストから聞いていきましょう。「ペテロは振り向いて、イエスが愛された弟子があとについて来るのを見た。この弟子はあの晩餐のとき、イエスの右側にいて、『主よ。あなたを裏切る者はだれですか。』と言った者である。ペテロは彼を見て、イエスに言った。『主よ。この人はどうですか。』イエスはペテロに言われた。『わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても、それがあなたに何のかかわりがありますか。あなたはわたしに従いなさい。』そこで、その弟子は死なないという話が兄弟たちの間に行き渡った。しかし、イエスはペテロに、その弟子が死なないと言われたのでなく、『わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても、それがあなたに何のかかわりがありますか。』と言われたのである。」(20-23)

 先週、牧者ペテロの思いをヨハネが引き継ぎ、その跡をヨハネの弟子たちが引き継いで、「愛の連鎖」が起こったと触れました。発端となったイエスさまの「わたしに従いなさい」(19、22)という呼びかけは、ペテロからヨハネに、そして、ヨハネの弟子たちへとバトンがタッチされるきっかけになりました。しかし、そこには、ヨハネを見たペテロの「この人はどうですか」という思いもあって、愛の思いの引き継ぎは、単純ではないようです。その辺りのことを、もう一度考えてみたいと思います。

 「この人はどうですか(新共同訳・この人はどうなるのでしょうか)」というペテロのことばは、ヨハネがイエスさまのあとについて行くのを見て言われたものでしたが、ペテロは、今、イエスさまから「年老いた時に、行きたくない所に連れて行かれる」(18)と、自分の殉教のことを聞かされたばかりです。ですからこれは、ヨハネの運命についての質問と聞いていいでしょう。「これは、ペテロがどのような死に方をして、神の栄光を現わすかを示して、言われたことであった」(19)と、ヨハネ自身もそのように受け止めています。これは使徒として召された二人が抱えた苦難の運命であると、それがこの福音書を編集していた人たちの議題に上ったと見なければなりません。


Ⅱ 「ヨハネは死なない」との迷信が崩れ

 ところでヨハネは、百歳近い天寿を全うしたのですが―伝説によると、教会の青年たちを連れてエペソの町はずれに行き、大きな穴を掘らせ、その穴の底に身を横たえて亡くなったと言われている(外典「ヨハネ伝」)―、「ヨハネは死なない」という噂が広まっていました。当時、その噂の渦中にいたヨハネは、「イエスさまはペテロに、その弟子が死なないと言われたのでなく、『わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても、それがあなたに何のかかわりがありますか。』と言われたのである」と訂正し、ヨハネの弟子たちもそのように受け止めて、ここにその訂正記事を載せました。しかし、六十数年前に「ヨハネは死なない」との迷信めいた噂が広まったのは、ステパノの殉教やペテロ、ヨハネの拘束など、初期教会には、ユダヤでの迫害によって、教会存続への危機意識があったことを示しています。そして、恐らくその危機意識は、ステパノだけでなく、殉教したペテロも含め、トラヤヌス帝のもとで紀元一世紀末から巻き起こった迫害と殉教の時代に重ね合わされ、ヨハネの弟子たちに芽生えたものでした。彼らは、ヨハネのことば通りに訂正はしましたが、初期教会にはそんな噂があったと、何らかの意図をもって、それをここに紹介しました。迫害と殉教が議題に上げられたのは、そこに彼らが抱えた現実があったからです。

 彼らが抱えた「現実」には、迫害と殉教とは別に、紀元二世紀当初の教会が陥りかけていた、より深刻な問題がありました。それは、ヨハネが死んだことで、「ヨハネは死なない」という噂が一気にしぼむと同時に、それが、イエスさまの再臨否定につながってしまったからです。イエスさまの再臨否定、それはイエスさまのメシア性の否定であり、イエスさまを信じる信仰の根拠を失うことを意味します。民間伝承のたぐいである外典「ヨハネ伝」に見られる異端思想は、すでに教会内に忍び込んでいて、さらに、当時の教会は、儀礼化や宗教化という問題にも陥っていました。それは、ローマ・カトリック教会という組織において本格的に取り入れられようとしていた、形而上学的スコラ神学(自己弁護的神学)につながるものでしたから、当時の聖徒たちは、迫害を目前に控え、イエスさまを信じる信仰から引き離そうとする、多くの落とし穴に囲まれていたと言えるでしょう。しかし、「イエスさまの再臨」は、神さまの秘儀に属するものですから、ヨハネが死のうが生きようが、そんなこととは全く関係ありません。ヨハネの弟子たちが、ヨハネが証言した「ヨハネは死なない」という噂の真実をここに掲載したのは、「ヨハネの死」をイエスさまの再臨否定と関連づける、短絡的信仰に警鐘を鳴らしたものと聞かなければなりません。そんな異端思想や民間伝承、儀礼化や宗教化といった「落とし穴」など、教会に対するサタンの挑戦と戦うために、ヨハネの弟子たちは、イエスさまを信じる信仰を守り通した、牧者ペテロとヨハネの跡を引き継ぐ者でありたいと願ったのでしょう。「愛の連鎖」はまた、信仰の戦いの連鎖でもありました。


Ⅲ 証しをもって立つ

 彼らは、「これらのことについてあかしした者、またこれらのことを書いた者は、その弟子である。そして、私たちは、彼のあかしが真実であることを、知っている。イエスが行われたことは、ほかにもたくさんあるが、もしそれらをいちいち書きしるすなら、世界も、書かれた書物を入れることができまい、と私は思う」(24-25)と、この福音書を閉じました。この「私」は、使徒後教父・ポリュカルポスでしょうか。新約聖書を指し示したであろうこの証言は、それを土台に据えてイエスさまを信じる信仰を確立するのだという、彼らの信仰姿勢の表明でしょう。彼らは、ヨハネが書き上げた福音書を「あかし」と呼び、それは他の新約文書も含めて主の啓示の書という意味でしたが、その啓示を、ローマ・ギリシャ世界に建てられた主の教会の指針としたのです。ヨハネが大切にした「(イエスさまを)見ずに信じる」信仰姿勢もそこにあって、彼らはその姿勢に倣いました。「主を賛美します」と言って火刑にされたポリュカルポス殉教の様子(エウセビオス「教会史」)からも、そんな信仰に立とうとする、彼らの熱い思いが伝わって来るではありませんか。

 「あかし」について、もう少し触れてみたいと思います。「あかし」、ギリシャ語のマルトゥスは、この迫害の時代に、「殉教」を指すことばになったと言って来ました。ペテロやポリュカルポスは、殉教者という意味で「マルトゥス」なのです。しかし、百歳近くまで生きて福音書を執筆し、イエスさまの福音をあかしし続けたヨハネもまた「マルトゥス」であって、それは主の「証人」という意味を持ちます。この二人は、いつ頃からか、ペテロは「赤い殉教」、ヨハネは「白い殉教」を遂げた、と語り継がれているそうです。この迫害と殉教の時代は、四世紀初め、コンスタンティヌス大帝のキリスト教公認の勅令をもって、終わりを告げました。以後、キリスト教は、ユダヤ教や諸宗教の排斥や迫害を受けることなく、かえって、彼らを迫害する側になってしまうのですが、迫害と殉教の時代にあれほどイエスさまを信じる信仰に立って、いのちをかけてイエスさまをあかししていたことが嘘のように、ただ教会組織を守ることに懸命になってしまうのです。私たちも、そんな在り方に陥らないとも限りません。「あかし」の意味を取り違えると、そんな罠に捕らわれてしまうのです。ヨハネとヨハネの弟子たちは、この「あかし=マルトゥス」に、生き方すべてといのちをかけました。なぜなら、それは彼らを、十字架とよみがえりを中心とするイエスさまの福音によって生かし、天の御国に招くものだからです。現代の私たちは、彼らがいのちをかけて築き上げた信仰を、踏襲しているでしょうか。同じ「愛の戦い」に招かれている立ち位置を、意識しているでしょうか。彼らが向き合ったと同じように、私たちも、「みことばに立つ信仰」と向き合わなければなりません。現代も、同じ戦いが続いているからです。彼らが立ったと同じところに、私たちも立ちたいではありませんか。


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