ヨハネによる福音書


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愛の連鎖が
ヨハネ 21:15-19
イザヤ  55:6-13

Ⅰ わたしを愛するか

 熊本地震で被災された方々に、心からお見舞い申し上げます。

 ヨハネの弟子たちが加えた、よみがえりのイエスさまに関する伝承の、二回目です。「彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた」(15)と、ヨハネの弟子たちは、この記事を、1-14節の記事につなげるところから始めました。しかしこれは、イエスさまよみがえりの時のことであっても独立したもので、ヨハネが何らかの折りに話したものをソースにしているのでしょう。

 イエスさまが質問し、ペテロが答えました。その会話の全容はこうです。「イエスはシモン・ペテロに言われた。『ヨハネの子シモン。あなたはこの人たち以上に、わたしを愛しますか。』ペテロはイエスに言った。『はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。』イエスは彼に言われた。『わたしの小羊を飼いなさい。』イエスは再び彼に言われた。『ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。』ペテロはイエスに言った。『はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。』イエスは彼に言われた。『わたしの羊を牧しなさい。』イエスは三度ペテロに言われた。『ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。』ペテロは、イエスが三度『あなたはわたしを愛しますか。』と言われたので、心を痛めてイエスに言った。『主よ。あなたはいっさいのことをご存じです。あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになります。』イエスは彼に言われた。『わたしの羊を牧しなさい。』」(15-17) この記事は、ほぼ同じことが三回も繰り返されていることから、ペテロが元大祭司アンナスの庭で「あの人の仲間か」と追求された時、「そうではない」と三回もイエスさまを否定した(18:17、25-27)ことに連動しているとされて来ました。ちなみに、イエスさまが問いかけた「愛」はアガペー、ペテロが答えたのはフィレオーと、アガペーで答えられずに落ち込んだペテロに、イエスさまが歩み寄られたとする解釈があります。この解釈は十九世紀ころに流行ったそうですが、アガペーとフィレオーの二つの愛に、差はありません。

 「ヨハネの子シモン。あなたはこの人たち以上に、わたしを愛しますか。」と、これは一回目のイエスさまの問いかけですが、「この人たち以上に」という問いに、ペテロは即答することが出来ません。それはペテロが「あなたのためにいのちも捨てます」(13:37)と大見得を切った、その舌の根も乾かないうちに、三度もイエスさまを知らないと否定してしまったからですが、ペテロの「主よ。あなたがご存じです」との、切ない気持ちが伝わって来るようです。けれども、イエスさまはここで、ペテロの否認を咎めておられるのでしょうか。そうではありません。二回目、三回目でイエスさまは、その部分を省いているのです。まして、「あなたを愛しています」と言わせることで、免罪としているわけでもありません。しかしペテロは、主を否んだ痛みを抱えていました。


Ⅱ わたしの羊を牧しなさい

 イエスさまは、そんな痛みを抱えたペテロに、「わたしの羊を牧しなさい」と言われました。当時、牧者は、支配者・指導者であると同時に、民の庇護者でもあった王の呼称です。イエスさまは、その呼称を用い、ペテロに、聖徒たちの導き手として、ご自分の愛と権威を纏わせると言われたのです。この記事を加えたヨハネの弟子たちには、「あなたは生ける神の御子キリストです」と告白したペテロに、イエスさまが「わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれている」(マタイ16:16-19)と言われたことが、念頭にあったのではと思われます。王ならば、民が抱えるありとあらゆる問題をつなぎ、解いていかなければなりません。何よりも、民を愛さなければ、その任に耐えることは出来ないでしょう。イエスさまを否認した痛みを抱えながら、なお主を愛していたペテロだからこそ、イエスさまはその務めを委ねられたのではないでしょうか。この記事は、それが中心主題になっています。

 きっとヨハネの弟子たちは、ローマ・ギリシャ世界に巻き起こった迫害と殉教の嵐の中で、自分たちの倣うべき牧者像を、ペテロに見ていたのでしょう。ペテロは殉教しましたが、その後任に、彼らの師ヨハネが立てられました。そのヨハネも今は亡く、二人の双璧の牧者に続きたいとの彼らの思いが、この記事をここに挿入した真の目的ではなかったかと思えてなりません。よみがえりのイエスさまが弟子たちに現われた第三の証言として、1-14節の記事を加えた彼らは、その時はまだ、ヨハネが主の目線の高さに立っていたことを理解していませんでした。しかし彼らは、「愛の使徒ヨハネ」に師事し、自分たちも牧者であろうと志しながら、何よりも、主を愛することを学び始めたのでしょう。この記事を挿入した彼らは、ヨハネの目線にまで高められていました。ここに描かれたペテロは、ヨハネであり、その弟子である自分たちであり、さらに後の時代に立てられるであろう牧者たちなのではないでしょうか。それは、ヨハネの立体的神学に見られるものです。彼らは、1-14節を書き上げて一旦筆を置き、福音書編集に時間を費やした後、ヨハネの信仰と神学を何度も反芻し、ヨハネが語ったほぼそのままを、ここに収録したと思われます。


Ⅲ 愛の連鎖が

 古い殻から脱却した目線の高さをもって、彼らは、イエスさまがペテロの殉教に言及されたところを取り上げました。「まことに、まことに、あなたに告げます。あなたは若かった時には、自分で帯を締めて、自分の歩きたい所を歩きました。しかし年をとると、あなたは自分の手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をさせて、あなたの行きたくない所に連れて行きます。これは、ペテロがどのような死に方をして、神の栄光を現わすかを示して、言われたことであった。こうお話しになってから、ペテロに言われた。『わたしに従いなさい。』」(18-19) ペテロは、ネロ帝の迫害時に、ローマで「さかさ十字架」に磔られて殉教したと、エウセビオスの「教会史」は伝えています。「彼がそのような仕方で受難を要求したからである」と。そんな死に方をイエスさまが喜ばれたかどうかは分かりませんが、それが彼の信仰でしたし、その殉教は、「神さまの栄光を現わす」と言われています。

 ところがペテロは、イエスさまについて行くヨハネを見て、「主よ。この人はどうですか」(21)と尋ねました。イエスさまを信じる信仰は、そんな風に他の人を見ることではないのですが……。ペテロは、今、「わたしを愛するか」と三度も尋ねられて、悲しくなったばかりです。ヨハネのように、無心にイエスさまに従うことができればどんなにいいだろうと、ヨハネを羨ましく思ったのでしょうか。けれども、そんなペテロも、主に用いられながら、従う信仰と牧者の心を学んでいました。ローマでは多くの聖徒たちが雄々しく殉教していて、ペテロはそんな彼らの牧者に任じられ、その喜びも悲しみも、主に迎えられる彼らの希望までも見て来ましたから、殉教をもって主の栄光を現わすことこそ自分の生き方であると、思い極めたのではないでしょうか。ペテロは、生き方ばかりか、その死に方をもって、「イエスさまに従った」と言えましょう。「神さまの栄光を現わす」とは、殉教を指すヨハネ福音書の神学的伝統言語(NTDヨハネ福音書註解)なのです。福音書編集者の一人と思われる、スミルナ教会の司教・使徒後教父ポリュカルポスもまた、殉教していきました。

 ヨハネの弟子たちは、ペテロのその立ち方に、パトモス島に流罪されながらもなお主の牧者として立ち続けた、ヨハネを重ねているようです。きっと彼らは、90歳を超えてなお働き続け、自分たちと教会を守って来た師・ヨハネを通して、ペテロを見つめていたのでしょう。主の働きを引き継ぐ連鎖が、起こりました。「愛の連鎖」と言ってもいいでしょう。牧者ペテロの思いは、同じように主を愛したヨハネに引き継がれ、そして、そのヨハネの思いを、彼の弟子たちが引き継ぎました。彼らもまた、主を愛し、ヨハネとペテロの信仰に倣いたいと願ったからではないでしょうか。驚くべきことに彼らは、書き上げたイエスさまよみがえりの記事(1-14)を修正せずに、そのまま残したのです。それはまだ、ヨハネの目線にまで達していない自分たちの古い立ち方でしたが、それを残すことで、そんな者たちでも、主の憐れみの中で変わることが出来るのだ、と証言しているのでしょう。彼らは、見事なまでにイエスさまの愛の証人となり、ヨハネの後継者となりました。現代の私たちは?と、問われるところです。


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