ヨハネによる福音書


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ヨハネの信仰と神学を
ヨハネ 21:1-14
イザヤ 55:6-11

Ⅰ 「主です」

 ヨハネ福音書は20章で終了しました。21章は、ヨハネ没後、彼の弟子たちが加えたものです。それにしても、書き上がった福音書に、弟子たちは、なぜ手を加えたのでしょうか。恐らく、エペソ教会を中心とするアジヤ属州の諸教会が、ヨハネを記念し、福音書の完結を目指して編集した時、それはまず、ギリシャ語文体の修正を意図したものでしたが、同時に、埋もれさせてしまうには惜しいメッセージが、多数あったからではないでしょうか。彼らは、厳選したメッセージを、明らかに付記と分かるように、21章として組み入れました。それがどのようなものだったのか、聞いていきたいと思います。

 このテキストには二つの記事がありますが、一番目は奇跡物語(1-8)です。
 舞台はガリラヤ湖です。「この後、イエスはテベリヤの湖畔で、もう一度ご自分を弟子たちに現わされた。その現わされた次第はこうであった。シモン・ペテロ、デドモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナのナタナエル、ゼベダイの子たち、ほかにふたりの弟子がいっしょにいた」(1-2)と、この記事が始まります。「ゼベダイの子ら」とあります。共観福音書では当然のこととしているのですが、奇妙なことにヨハネは、そういう自己紹介を一度もしておらず、兄弟であるヤコブには全く触れていないのです。そのことを批評家たちは、ヨハネの記事ではないとする理由の一つに上げているのですが、むしろ、ヨハネの弟子たちがローマ・ギリシャ世界にヨハネの紹介をしようとした記事、と見ていいのではないでしょうか。「ほかにふたりの弟子」とあるのも、記者が名を伏せているのに詮索するのもどうかと思いますが、もしかしたらこの「ふたり」は、アリマタヤのヨセフとニコデモではなかったかと、密かに想像してしまいます。それならば、この記事がヨハネのメッセージをソースにしていたという想定も、あながち見当はずれではないでしょう。ここに、名前が記されていない「ほかのふたりの弟子」も合わせて7人しかいないのも、奇妙なことです。マタイでは、11人の弟子たちとなっているのですが。

 ともあれ、ペテロが「私は漁に行く」と言い、ゼベダイの息子たちも「私たちも」と応じましたが、夜通し漁をしても何も獲れません。イエスさまから「もう一度網を下ろしてみなさい」と言われ、その通りにすると、大量の魚が獲れました。これは、ルカ福音書5:1-11の記事と非常に似ているところから、その焼き直しではないかと言われていますが、ヨハネは、よみがえりのイエスさまとの出会いの中でそのような出来事があったから、そう話し、そのメッセージがここに再録された、と見ていいでしょう。ルカの記事では、イエスさまがペテロの舟に初めから乗り込んでいるのに、ヨハネの記事では、よみがえりのイエスさまが岸辺に現われ、「舟の右側に網を……」と指図されています。その方を「主です」と気づいたのは、他ならぬヨハネ自身でした。イエスさまだと気づいたのは、以前にもそのようなことがあったと、思い出したからではないでしょうか。


Ⅱ わくわく感に溢れて

 マタイによりますと、「ガリラヤで会おう」(28:7)という約束は、イエスさまからの提案でした。ですから、ペテロが「漁に行く」と言ったのは、イエスさまを待つ間の当然の行動でしたし、「漁に行った」ことがイエスさまとの再会の舞台となったのは、ヨハネの弟子たちの宣教活動を暗示しているのかも知れません。この記事を福音書に加えた人たちは、ローマ・ギリシャ世界で生まれた聖徒たちでしたから、イエスさまの弟子団がガリラヤ湖畔で誕生したその様子を、ヨハネから聞き、共観福音書を読んで知ってはいましたが、彼らは、ガリラヤ湖を見たことも、その美しい湖畔をイエスさまの教えを聞きながら歩いたこともありません。ですから彼らには、弟子たちがよみがえりのイエスさまにお会いしたガリラヤ湖に、憧れがあったのでしょう。「夜があけそめたとき、イエスは岸べに立たれた。けれども弟子たちには、それがイエスであることがわからなかった。イエスは彼らに言われた。『子どもたちよ。食べる物がありませんね。』彼らは答えた。『はい。ありません。』イエスは彼らに言われた。『舟の右側に網をおろしなさい。そうすれば、とれます。』そこで、彼らは網をおろした。すると、おびただしい魚のために、網を引き上げることができなかった。そこで、イエスの愛されたあの弟子がペテロに言った。『主です。』すると、シモン・ペテロは、主であると聞いて、裸だったので、上着をまとって湖に飛び込んだ」(4-7)と、ヨハネから聞いたその時の状況をまとめながら、彼らはわくわくしていたのではないでしょうか。この記事は、ヨハネの弟子たちのそんな思い、「共有したい」と願ったわくわく感に溢れています。

イエスさまが話され、為されたことを直に聞き、見ていたヨハネと同じように、それを聞き、また見たいと切望しながら、この福音書を編集したヨハネの弟子たちでした。しかし、残念ながらこの記事は、そこから一歩も踏み出していません。そもそも、ヨハネがイエスさまよみがえりの証言を、厳選した三つの記事で完結させているのに、なぜ更に加える必要があったのでしょうか。福音書を編集した動機が、彼らの信仰だったことは否定出来ません。しかしながらそれは、ヨハネがこの福音書を閉じようとして取り上げた三つの記事の中心主題、「見て信じる」信仰が「見ずに信じる」信仰へ繋がるものでなければならなかったのです。その「ヨハネ神学」とでもいうべきテーマを、彼らは引き継ぎませんでした。どうも、ヨハネの弟子たち、使徒後教父と呼ばれるスミルナ教会の司教ポリュカルポスなどの思いは、召し出された啓示者ヨハネの目の高さにまでは届いていなかったようです。


Ⅲ ヨハネの信仰と神学を

 よみがえりのイエスさまにお会いした弟子たちの三度目の記事(14)を、彼らは、「食事風景」で閉じました。これが今朝のテキストの、二番目の記事です。「こうして彼らが陸地に上がったとき、そこに炭火とその上に載せた魚と、パンがあるのを見た。イエスは彼らに言われた。『あなたがたの今とった魚を幾匹か持って来なさい。』シモン・ペテロは舟に上がって、網を陸地に引き上げた。それは百五十三匹の大きな魚でいっぱいであった。……イエスは来て、パンを取り、彼らにお与えになった。また、魚も同じようにされた。」(9-13) 夜通し網を入れて何も獲れなかった彼らが、大漁を手にしたのも、イエスさまから「子たちよ、何か食べる物があるか」(5・新共同訳)と尋ねられたことがきっかけでした。イエスさまは、弟子たちといっしょに朝の食事をと願われたのです。初代教会が語り継いで来た、イエスさまよみがえりの物語には、とりわけ、食卓を囲んでいる様子が目立ちます。エマオの村での二人の弟子とイエスさまの交わり(ルカ24:30)も、「エルサレムを離れず、父の約束されたものを待ちなさい」(使徒1:4・新共同訳)と言わた時も。イエスさまと聖徒たちの交わりは、現代も多くの教会が取り入れている「食卓を囲む」中に、その原形が残っているようです。

 しかし、ヨハネの弟子たちは、これを「聖餐式」と受け止めたようです。古代教会の壁画に聖餐式を描いたものがあり、中にはパンとぶどう酒ではなく、パンと魚のものがあるそうです。そんな伝統を受け継いだかどうかは分かりませんが、彼らは、教会の儀礼化に抵抗してか、聖餐式を省いてしまった(13章)ヨハネの問題意識を、理解していなかったと言えるのではないでしょうか。それは、見て信じる「しるし」信仰(2:23)だったからです。この食事風景は、イエスさまの指示による、「大漁」という奇跡に連動しているのです。聖餐式はイエスさまのご命令に基づくもので、それを遵守するのは当然のことですが、それを単に形式とするか、信仰告白とするかには、形はほとんど同じですが、微妙な違いが生じてきます。もし単に形式とするなら、それは教会の儀礼化、宗教化であると、くどいほど触れて来ました。きっと、現代の私たちも、同じ問題を抱えているのでしょう。しかし私たちは、ヨハネの信仰と神学を理解し、そこに立ちたいと願います。ヨハネが願った、「見ずに信じる」「聖書を神さまのことばと聞いて主を信じる」単純な神学に……。もし私たちがそう願うなら、今もなお働いておられる助け主・パラクレートスが、私たちをそこに立たせて下さるでしょう。紀元前7世紀の旧約の預言者イザヤでさえ、「神さまの口から出る神さまのことばも、むなしく、神さまのところに帰っては来ない。必ず、神さまの望む事を成し遂げ、神さまの言い送った事を成功させる」(55:11)と確信していたのですから。


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