ヨハネによる福音書


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主、よみがえり給う
ヨハネ 20:1-10
詩篇 16:10-11

Ⅰ 隠れた弟子が

 イエスさま「よみがえり」の章(20、21章)が始まります。イエスさま「よみがえり」は、「十字架」とともにイエスさま福音の中核をなすもので、四福音書、使徒行伝、パウロ書簡……と、多くの記事がありますが、ヨハネの記事は、新約聖書中の文書としては、紀元一世紀末と最も遅いこともあって、「イエスさまがよみがえられた」というファクトだけでなく、そこに込められたメッセージがじっくりと練り上げられ、いぶし銀のような輝きを放っているようです。最初に見ていく今朝のテキストでは、空の墓を見た時のヨハネ自身の驚きと、そこから生まれた信仰が語られます。

 ヨハネの記事は非常に簡単ですので、他の記事を含めながら、「よみがえり」発端の記事をまとめてみましょう。マグダラのマリヤ、ヤコブの母マリヤ、サロメといった女たちが、イエスさまの遺体に香料を塗ろうと、夜が明けるのを待ちきれず、墓にやって来ました。しかし彼女たちは、墓の入口を封印していた大きな石が転がっているのを見て驚き、逃げ帰ってしまいました。マタイの記事には、「大きな地震が起こった。それは主の使いが天から降りて来て、石をわきへころがして、その上にすわったからである。その顔は、いなずまのように輝き……」(28:2-3)とあります。恐ろしかったからでしょうか。天使は「イエスさまはよみがえられた」と告げましたが、そんなことは彼女たちの耳に入りません。墓の前にいたローマの番兵たちですら、恐ろしさのあまり、固まっていたほどです。しかしヨハネは、これらの記事をほとんど省き、ただ、マグダラのマリヤの報告だけを取り上げています。彼女だけが、ヨハネとペテロが泊まっていた宿舎に駆けつけたからです。ヨハネの発端の記事はこうです。「さて、週の初めの日に、マグダラのマリヤは、朝早くまだ暗いうちに墓に来た。そして、墓から石がとりのけてあるのを見た。それで、走って、シモン・ペテロと、イエスが愛されたもうひとりの弟子(ヨハネ)のところに来て、言った。『だれかが墓から主を取って行きました。主をどこに置いたのか、私たちにはわかりません。』」(1-2) 「主を盗んだ」とこれは、マリヤの意識(20:13)でもありましたが、当時、そんな流言が広まっていたことから、取り上げられたのかも知れません。

 恐らく、ここに述べられていない情報も多数あって、イエスさま「よみがえり」については、情報が錯綜していたのでしょう。ペテロ福音書、ニコデモ福音書といった外典には、荒唐無稽な情報も多数収録されています。ヨハネの「よみがえり」の記事がシンプルなのは、そんな錯綜した情報に惑わされないためではなかったでしょうか。


Ⅱ 空の墓で……

 マグダラのマリヤから、「だれかが墓から主を取って行きました」と聞いたヨハネとペテロは、墓に走りました。「そこでペテロともうひとりの弟子は外に出て来て、墓のほうへ行った。ふたりはいっしょに走ったが、もうひとりの弟子がペテロよりも速かったので、先に墓に着いた。そして、からだをかがめてのぞき込み、亜麻布が置いてあるのを見たが、中にはいらなかった。」(3-5)

 最近は入口に柵があって中には入れないそうですが、何十年か前、「園の墓」に入って、一人ゆっくりと過ごしたことがあります。小さな入口を身体をかがめながら入りますと、光が届かない奥のほうは薄暗く、観光客も途絶えて中には誰もいませんでしたが、そこは3~4人は入れるほど広く、片隅に、土を盛り上げてベッドのようにしたところがありました。人ひとり分よりも少し大きめでしょうか。ヨハネたちが見たとおりの内部です。当然ながら、そこはまさに空の墓でした。墓の入口から見上げますと、三本の十字架が立てられていたゴルゴタ(ドクロ)の岩山が目に飛び込んで来て、この墓の一角は、美しい庭園には似つかわしくありません。十字架から取り降ろされたイエスさまの遺体を、運び下ろし、三十キログラムもの香料とともに亜麻布で包んでいるアリマタヤのヨセフとニコデモ、そして、女性たちや兵士たちの様子が、目に浮かぶようです。

 ところで、その状況をご理解頂くためにも、「埋葬」の様子を説明しておかねばなりません。
 墓の中の状況を、ヨハネはこう描写しました。「続いてシモン・ペテロも来た。彼は墓に入り、亜麻布がそのままそこにあるのを見た。また頭をつつんだ手拭いは亜麻布といっしょになく、これだけ別のところに、包んだままの形になっていた。」(6-7・塚本訳) 極端ですがここでは、その状況をとてもリアルに翻訳している、無教会を創設した内村鑑三の弟子・塚本虎二訳を紹介しました。どこがリアルなのか、その葬りの様子を聞けばお分かりでしょう。ヨセフたちが買い求めた「亜麻布」は、包帯のように細く裂かれたもので、それで身体をぐるぐる巻きにするのですが、頭部は手拭いのような一枚布で包んでありましたから、当然、首の部分だけ、ほんの少し隙間がありました。それが新改訳の、「離れたところに」となるのです。つまり、中身のイエスさまだけが、まるで蝉が脱皮したかのように蒸発し、土を盛り上げたベッドには、「亜麻布」と「手拭い」だけが、遺体を包んでぐるぐる巻きにされた形のまま、埋葬された位置に「置いてあった」(新共同訳)、ということなのです。三十キログラムもの香料がいっしょに巻かれていましたから、ぺしゃんこになっていたわけでもなく、外から覗いただけでは、イエスさまの遺体がないことに気づかなかったのかも知れませんが、中に入って確かめると、イエスさまの遺体が消えていました。それは、マグダラのマリヤが言うような、「何者かがイエスさまの遺体を持ち去った」という状況ではありません。


Ⅲ 主、よみがえり給う

 その様子を見たヨハネは、こう述懐しています。「そのとき、先に墓に着いたもうひとりの弟子もはいって来た。そして、見て、信じた。彼らは、イエスが死人の中からよみがえらなければならないという聖書を、まだ理解していなかったのである。それで、弟子たちはまた自分たちのところに帰って行った。」(8-10) このヨハネの記述は、8節で「見て、信じた」とありますが、9節では「まだ理解していなかった」とあります。これはおかしなことだと、「塚本訳」やNew English Bibleなどは、「聖書の言葉が、この時までまだ彼らにはわかっていなかったのである」と訳して、「この時までは分かっていなかったが、この時に分かって信じた」とする考え方に修正しましたが、ほとんどの翻訳は、不自然のままにしています。ギリシャ語原典がそうなっているからです。

 「見て、信じた」としているのはヨハネですが、それはきっと、ペテロも同じでしょう。ユダヤの証人は成人男子二人と定められていました。その二人が、しかも、初期キリスト教会双頭の弟子とされるペテロとヨハネが、復活の主にお会いすることなしに、イエスさまの復活を信じたのです。これは、後にヨハネ自身も、「見ずに信じる者は幸いです」(20:29)と述べているとおりですが、すでに紀元一世紀末、ローマ・ギリシャ世界の人たちは、イエスさまと顔を合わせることなしに、十字架と復活の主を信じることが求められていました。この福音書は、そうした人々への、ヨハネのメッセージなのです。もっとも、「復活」というイエスさまへの極限の信仰が、この時成立していたとは言えず、その後、紆余曲折もありましたが、「あの時、信じた」と述懐出来るほど、ヨハネのその時の信仰は明確だったのでしょう。しかし、その時彼らは、「イエスが死人の中からよみがえらなければならないという聖書」のことばまでは理解していなかった、と回顧しています。現代人にとって、「聖書を理解する」とは、イエスさまの出来事を旧約聖書に照らし合わせるなど、「神学」を確立することですが、そんなヨハネやペテロを初め弟子たちの意識もあって、比較的早くに、そのような作業が行われ、イエスさまの福音は、相当な理論武装がされていたであろうと言われています。恐らく、キリスト教系グノーシス主義など、種々の高度な異端思想がはびこっていたからでしょう。外典「ヨハネ伝」には、そんな痕跡が多く見られるようです。

 ここにヨハネが持ち出した「聖書」は、「まことに、あなたは、私のたましいをよみには捨ておかず、あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません」(詩篇16:10)だろうとされていますが、教会誕生の折り、ペテロは人々の前で、この箇所を引用しながら、イエスさまの復活を堂々と論じています(使徒2:27-32)。主の十字架と復活を信じる信仰を、現代の私たちも、神さまと人々の前でしっかりと告白出来るよう、みことばによって訓練される必要があるのではないでしょうか。私たちが「イエスさまを信じた」とする、その一点を確保するためにも。


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