ヨハネによる福音書


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勇気ある証人に
ヨハネ 19:38-42
エレミヤ  1:4-10

Ⅰ 隠れた弟子が

 今朝のテキストは、アリマタヤのヨセフとニコデモによる、イエスさま埋葬の記事です。ヨハネはこれを31-37節の記事と並べ、イエスさま十字架の「死後の出来事」として描きました。

 最初に、「そのあとで、イエスの弟子ではあったがユダヤ人を恐れてそのことを隠していたアリマタヤのヨセフが、イエスのからだを取りかたづけたいとピラトに願った。それで、ピラトは許可を与えた。そこで彼は来て、イエスのからだを取り降ろした」(38)と、アリマタヤのヨセフのことからです。これは、「死体を十字架の上に残しておかないように、すねを折ってそれを取りのける処置をピラトに願った」(31)とある記事に重なり、ヨセフがイエスさまの遺体を引き取りたいと申し出た(マルコ15:43-45)ことと矛盾するようですが、ヨハネは、しばしば「その後」、「その翌日」(1:29、35、2:12)といったことばを、一つのフレーズを始めるときの枕詞のように用いていて、これは厳密な時間設定とは言い難く、新しいフレーズを書き起こすに当たり、ヨハネは、アリマタヤのヨセフの願いをここで改めて取り上げた、と聞くほうがいいでしょう。

 ヨセフは「アリマタヤ」と、出身地の名で呼ばれていますが、そこは、最後の士師・預言者サムエルの故郷ラマタイム(ラマとも呼ばれる)で、これに「ハル」という定冠詞がついて、アリマタヤと呼ばれるようになったと推測されています。エルサレムから北西へ、直線距離にして20㌔ほどのところです。そこはエフライムの山地で、歴史の表舞台からは遠く、この時代は寒村だったと思われますが、彼は、そこの大地主だったのかも知れません。そんなヨセフがユダヤの大都会・エルサレムに出て来ました。名誉あるサンヒドリン議員の職にも就き、美しい庭園を手に入れて、そこに家族用の新しい墓も造っていましたから、すでにエルサレムに定住していたのでしょう。いわゆる新市民です。当時は、イドマヤ人ヘロデ王朝でしたが、大王と呼ばれたヘロデはすでに亡く、その子どもたちが三つのエリヤを分権統治していて、背後ではローマ帝国が権力を振るっていました。そんな隙間を縫って、多数のパリサイ派議員と少数ながら金力にものを言わせたサドカイ派議員が権力争いに明け暮れ、加えて、強盗団まがいの熱心党や暗殺集団と恐れられたシカリ党が暗躍する、政治的・社会的に混迷の時代だったと言えそうです。ヨセフがどの派に属していたか明らかではありませんが、新市民の感覚からして、そうした暴力的な権力争いに嫌気がさしていたのではないでしょうか。彼は、ひそかにイエスさまの弟子になっていました。


Ⅱ イエスさま埋葬の舞台に

 そんなアリマタヤのヨセフが、イエスさまの遺体を引き取りたいと、総督ピラトに願い出ました。そして、驚くべきことに、その願いが許可されたのです。ルカの福音書に、「議員のひとりで、りっぱな、正しい人がいた。彼は神の国を待ち望んでいた」(23:50-51)とありますが、恐らくそこには、反逆者イエスさまの埋葬という、反社会的な、暴動にもつながりかねないことを、ピラトがヨセフを信頼して彼に委ねた、というニュアンスが込められているようです。「そこで彼は来て、イエスのからだを取り降ろした」(38)と、埋葬の準備が始まります。そこに、「前に、夜イエスのところに来たニコデモも、没薬とアロエを混ぜ合わせたものをおよそ三十キログラムばかり持ってやって来た」(39)と、協力者としてニコデモが登場して来ます。かつて、宵闇に紛れてイエスさまのところにやって来たニコデモ(3:2)、後に、イエスさまを非難するパリサイ人たちに、「私たちの律法では、まずその人から直接聞き、その人が何をしているのか知ったうえでなければ、判決を下さないのではないか」(7:51)と苦言を呈しながら、反論されて言い返すことが出来なかったニコデモ、ヨハネは、そんなニコデモを、イエスさま埋葬の舞台で、アリマタヤのヨセフと共に、勇気ある信仰者として再登場させたのです。

 「そこで、彼らはイエスのからだを取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従って、それを香料といっしょに亜麻布で巻いた。イエスが十字架につけられた場所に園があって、そこには、まだだれも葬られたことのない新しい墓があった。その日がユダヤ人の備え日であったため、墓が近かったので、彼らはイエスをそこに納めた。」(40-42) 現代エルサレムの最も人通りが多い「ダマスコ門」を出たすぐ近くに、近年(1867)発見され、英国人認定者の名をつけて「ゴルドンのカルヴァリ」と呼ばれるところがあります。ドクロの形をした不気味な岩山の下には、花が咲き乱れる美しい庭園と、洞窟の墓があり、これは「園の墓」と呼ばれ、旧市街にある「聖墳墓教会」とは別に、これが真性のイエスさま埋葬の墓であろうとされています。並行記事で、マタイは「きれいな亜麻布に」、「岩を掘って造った自分の新しい墓」、「マグダラのマリヤとほかのマリヤとが墓のほうを向いてすわっていた」(27:59-61)と記し、マルコは「ヨセフは亜麻布を買い」(15:46)と記し、それらの記事を合わせますと、いづれも淡々と書かれた短い記事ではありますが、「心を込めて」埋葬したであろう彼らの思いや信仰が伝わって来るではありませんか。もうすぐ日没です。陽が落ちると安息日になってしまうそんな時間の中で、買い求めたきれいな亜麻布と30キログラムもの香料、ヨセフが自分のためにと美しい園に造っておいた新しい墓に……と、イエスさまの埋葬は、まるで王を悼むかのように、香しい香りが漂っています。見守っていた女性たちや兵士たちも、協力を惜しまなかったでしょう。


Ⅲ 勇気ある証人に

 ヨハネは、このテキストを、「その日がユダヤ人の備え日であったため、墓が近かったので、彼らはイエスをそこに納めた」(42)と閉じます。これは、イエスさま「十字架の死」直後の出来事を、「その日は備え日であったため……」(31)と始めたことに呼応していますが、ヨハネは、イエスさまの「十字架の死」後、彼が目撃したことと、イエスさまを埋葬したという二つの記事を並列・連動させることで、神さまの「ご計画」を伝えたいと願っているようです。この埋葬の記事でマタイは、「墓の入口には大きな石をころがしかけて帰った」(27:60)と、埋葬後、その入口が封印されたことも記録しています。「園の墓」には、封印した大きな石を転がしたであろう、溝が刻まれています。ヨハネはそれを省いて(20:1にはその石の言及がある)いますが、代わりに「イエスをそこに納めた」と、「備えの日」、つまり、「イエスさま十字架の死」の出来事を完結させることで、このテキストを閉じたと聞こえて来るではありませんか。

 イエスさま埋葬の記事は、古くから、「よみがえり」の前哨記事と聞く傾向がありましたが、ヨハネはそうは受け止めず、これをもって、イエスさまの「十字架の死」そのものを語り尽くしたいと願っているようです。先週、ヨハネ自身が「十字架の死」の目撃証言をし、それは真実であると、「その人・イエスさまご自身」(35)を証人に立てたと聞きました。そして、ヨハネが、共観福音書には一行も触れられていないニコデモをここに登場させ、アリマタヤのヨセフと共にイエスさま埋葬の証人に立てたのは、「イエスの弟子ではあったがユダヤ人を恐れてそのことを隠していた」という不名誉な者たちも、信仰に立つことで、ヨハネの証言を補填した「その人・イエスさま」に並べられ、光栄にも、主の証人となることが出来るのだと言っているのでしょう。それはかつて、若いがゆえに弱さを覚えたエレミヤのようでした。しかし、そんなエレミヤも、主の預言者として召し出されたのです(エレミヤ1:4-10)。きっとヨハネは、紀元一世紀末の迫害と殉教の時代に、主の弟子であることを否認する人たちが続出していたイエスさま共同体に、彼らを重ねているのでしょう。主があなたがたを覚えていて下さるのだから、イエスさまの弟子であることを恐れることはない。勇気を持って信仰の戦いに臨んで欲しいと、これは、啓示者ヨハネの、心からの願いでした。ヨハネは、自分をも含め弟子たちにとって、イエスさまの「十字架の死」が新しいいのちになったと受け止め、それが、アリマタヤのヨセフとニコデモによるイエスさま埋葬の記事になったのでしょう。彼らは、イエスさまが「十字架の死」をもって、私たちのために新しいいのちとなって下さったと語る、証人なのです。私たちの罪を贖うために十字架に死んで下さったイエスさまは、その十字架の死のゆえに、たとえ私たちがどんなに弱くても、「あなたがたは神さまの民である」と語り掛けてやまないのです。そんな愛の主の、勇気ある証人になりたいではありませんか。


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