ヨハネによる福音書


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主の渇きを癒やす者は
ヨハネ 19:28-29
詩篇  69:19-21

Ⅰ 早すぎた死は

 久しぶりのヨハネ福音書の講解説教です。
 28-37節まではイエスさまが亡くなられた時の様子を描いた記事ですが、極めて濃い内容になっていますので、何回かに分けて見ていきたいと思います。今朝は、「わたしは乾く」と言われたところからです。

 ヨハネが描くイエスさまの「十字架の死」には、他福音書とは異なる、いくつかの視点があります。
 第一に、イエスさまの死が非常に早かったことが挙げられます。イエスさまが亡くなられた午後三時(マルコ15:33-37)という時間を、総督ピラトによるイエスさまの裁判が「時は六時(正午)ごろであった」(19:14)を起点に考えますと、ヴィア・ドロローサの行進、十字架の準備などがありましたから、イエスさまの「十字架の死」は、十字架にかけられてから二時間強しかなかったと思われるからです。十字架刑にされた罪人の落命は二~三日後というケースもあったようですから、イエスさま死亡の報せを聞いたピラトが、「もう死んだのか」(マルコ15:44)と驚いたのも頷けます。十字架刑は見せしめの刑罰で、ローマでは野ざらしにしておくのが普通でしたが、ユダヤでは「木につるすときは、次の日まで木に残しておいてはならない。木につるされた者は、のろわれた者だからである」(申命記21:22-23)とあり、息ある罪人を翌日まで木につるした状態にしておかないように、ショック死させるために、「すねを折る」(31)ことが普通に行われていました。ところが、一緒に十字架につけられた者たちのすねは折られたのに、イエスさまの場合は、その死が確認されて、すねは折られていません。イエスさまの「十字架の死」がいかに早かったのか、お分かり頂けるでしょう。

 死を迎えたイエスさまの様子を記す最初の記事は、こうです。「この後、イエスは、すべてのことが完了したのを知って、聖書が成就するために、『わたしは乾く』と言われた。」(28) むち打たれた傷と、十字架に両手両足を釘で打ち付けられた傷から流れ出た血が、ぎりぎりの限界まで体力を奪って、「わたしは渇く」と言われたのは、意識を失う直前だったのでしょう。「すべてのことが完了したことを知って」(28)と、ここには、ついにその時が来たと、十字架のすぐ下でイエスさまの一部始終を目撃していたヨハネの、悲痛な思いが隠されているようです。しかし、ヨハネはその死をたんたんと語って、読者の意識を別のところに誘(いざな)おうとしています。イエスさまの死がなぜそんなに早かったのかも含め、「わたしは渇く」という言葉の意味を考えてみたいと思います。


Ⅱ 兵士たちが差し出したものは

 「わたしは乾く」とこれは、「十字架上の七つのことば」の五番目に来るものです。順番の細部は定かではありませんが、伝統的順番に従って、七つのことばを挙げてみましょう。①「彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」(ルカ23:34) ②「あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます」(ルカ23:43) ③「そこに、あなたの息子がいます」「そこに、あなたの母がいます」(ヨハネ19:26-27) ④「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」(マタイ27:46、マルコ15:34) ⑤「わたしは乾く」(ヨハネ19:28)⑥「完了した」(ヨハネ19:30) ⑦「父よ。わが霊を御手にゆだねます」(ルカ23:46)

 ヨハネは、「わたしは渇く」を、イエスさまの死に関連する三つのうちの最初に挙げました。
 二番目はローマの兵士たちのことです。「そこには酸いぶどう酒のいっぱいはいった入れ物が置いてあった。そこで彼らは、酸いぶどう酒を含んだ海綿をヒソプの枝につけて、それをイエスの口もとに差し出した」(29)とあります。彼らが酸いぶどう酒を差し出したのは、イエスさまの苦痛を思いやってのこととヨハネは見ているようです。これは、安物の少し古くなったぶどう酒で、渇きを癒やす作用があり、処刑される罪人のために置かれていたとも言われています。彼らはローマ軍団(レギオン)を構成するコホルテム(歩兵部隊)の兵士たちで、「厄介な」と思われていたエルサレム勤務のために諸軍団から引き抜かれて集まった、優秀な人たちでした。おそらく彼らは、総督ピラトが無罪を確信したイエスさまに、特別な好意を持ったのでしょう。酸いぶどう酒を差し出したのは、そんな彼らの好意の表われと感じます。何故かヨハネは取り上げていませんが、「この方はまことに神の子であった」(マタイ27:54)と彼らの指揮官・百人隊長の告白も、その行動に共鳴しているではありませんか。同じことを他の福音書は、イエスさまへの嘲りとしているのですが……。詩篇69篇には、「彼らは私の食物の代わりに苦みを与え、私が渇いたときには酢を飲ませました」(21)とあります。実は彼らは、イエスさまを十字架につける前に、痛みを麻痺させる一種の麻薬・「没薬入りのぶどう酒」を差し出したのですが、イエスさまはこれを拒否されました(マルコ15:23)。「苦み(口語訳・毒)」がそれです。ところが、酸いぶどう酒は「受けられた」(30)と、ヨハネは記します。少し前に、ゲッセマネの園で大祭司のしもべに斬りかかったペテロに、イエスさまは、「剣をさやに収めなさい。父がわたしに下さった杯を、どうして飲まずにいられよう」(18:11)と言われましたが、飲まれたのは、十字架という杯だったのです。酸いぶどう酒を受けたのは形だけで、イエスさまは、「渇きの癒やし」を、ヨハネや異邦人の(ローマ兵士はその先駆け)弟子たちに託されたのではないでしょうか。


Ⅲ 主の渇きを癒やす者は

 ここにヨハネは、「聖書が成就するために」(28)と書き加えました。これが他の福音書とは異なる、三番目の点です。これは、先に上げた詩篇69:21の他に、詩篇22:15「私の力は、土器のかけらのように、かわききり、私の舌は、上あごにくっついています。あなたは私を死のちりの上に置かれます」や、69:3「私は呼ばわって疲れ果て、のどが渇き、私の目は、わが神を待ちわびて、衰え果てました」からの引用ですが、22篇も69篇も最後は高らかな勝利の凱歌で終わっています。これは神さまの「この世」に対する戦いであって、イエスさまは、「あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです」(16:33)と言われました。その意味でヨハネは、イエスさまの十字架を、この世に対する神さまの戦いの、勝利宣言としているのです。

 これまでに何回も、この世と神さまの戦いのことを聞いて来ました。「この世」とは、ヨハネが働いた、紀元一世紀末のローマ・ギリシャ世界を指しています。そこには、その世界の一員となって律法主義を振りかざした後期ユダヤ教や、ローマ・ギリシャ文明を引き継いで徹底的に神さまを否定している、現代をも視野に入れています。しかし、「この世」とは、単純にローマ・ギリシャ世界であるとは言えません。ローマ・ギリシャという「この世」が纏った世界は、神々への祭儀や高度な神学を持つ、グノーシス主義やユダヤ教などに着色された、宗教という世界なのです。そうした宗教がキリスト教異端となってイエスさま共同体に入り込み、教会を宗教化に巻き込んでいきました。中世のカトリック教会を挙げるまでもなく、儀礼化と宗教化に走った教会が辿る道は、「この世」に迎合する道であり、イエスさまの福音をないがしろにするものなのです。ヨハネが戦いを挑んだのは、そんな教会の宗教化に対してでした。

 イエスさまは、十字架というご自分の戦いを戦い抜いて、「わたしが渇いていたときに、あなたは飲ませてくれた」(マタイ25:35)と、その戦いを、助け主パラクレートスとともに、弟子たちに委ねられたのです。ヨハネはその願いを受け継いだ、と聞いていいでしょう。彼が「聖書が成就するために」と加えたのは、その啓示の系譜に彼自身も加えられているのだという意識に他なりません。ヨハネ福音書は啓示の書なのです。「わたしは渇く」と言われたその意味を、ヨハネが自分に関わることと重く受け止め、イエスさまの戦いを引き継いだと考えるなら、イエスさまの死が非常に早かったことも、福音が引き継がれる喜びのゆえに、十字架上に長く留まろうとはされなかったと伝わって来るではありませんか。「この世」との戦いに勝利されたお方が、天に住まいを整え、間もなく、私たちを迎えにやって来られるのです。新しい年が明け、「時」がうなり声を上げ、スピードを増して走り始めました。私たちも、その時に向かって、ヨハネや弟子たち、ローマの兵士たちがイエスさまの渇きを癒やすために働いたように、宣教の戦いに、信仰の双手を挙げようではありませんか。


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