ヨハネによる福音書


信仰の高みを
ヨハネ 2:12−22
詩篇  69:5−13
T あなたの家を思う熱心が

 「その後、イエスは母や兄弟たちや弟子たちといっしょに、カペナウムに下って行き、長い日数ではなかったが、そこに滞在された」(12)カナの結婚式と宮清め以下の記事に挟まれたこの短い挿入句は、これから語られる極めて重要な記事が、事実に基づく証言であると印象づけているようです。それは、「ユダヤ人の過ぎ越の祭が近づき、イエスはエルサレムに上られた」(13)とあるように、エルサレムにおけるイエスさまの出来事でした。ここに出て来る宮清めは、イエスさま最後の一週間の受難物語ですが、当然その前に来るであろうエルサレム入城には触れず、受難物語とは切り離して、別の記事と結びつけています。ヨハネには何らかの意図があるようです。見ていきましょう。

 「宮の中に、牛や羊や鳩を売る者たちと両替人たちがすわっているのをご覧になり、細なわでむちを作って、羊も牛もみな宮から追い出し、両替人の金を散らし、その台を倒し、また鳩を売る者に言われた。『それをここから持って行け。わたしの父の家を商売の家としてはならない』」(14-16)
 当時のエルサレム神殿は、ヘロデがユダヤ王に即位した第18年に工事に取りかかり、46年の歳月をかけて完成したものです。第三神殿、ヘロデの神殿とも呼ばれています。しかし、それは神殿の本体だけで、イエスさま当時(ヘロデはすでに亡い)は、それまでにはなかった外庭の工事にかかっていたようです。そうした雑然とした外庭で、過越の祭のために、祭壇に供える動物を売ったり、ローマの通用貨幣をシケル銀貨(神殿に献げるため)に両替したりする者たちが、騒々しく出店していました。イエスさまは、そんな彼らを追い出されたのです。外庭とはいえ、そこは神殿域です。そこを管理するのは祭司でしたから、当然、売り上げの何%かは、祭司の懐やヘロデ王家の金庫に入る仕組みだったのでしょう。ヘロデ大王は多くの建物を建てたことで知られていますが、広大な外庭の造成も、そのためではなかったかと想像されます。イエスさまがこのような暴挙に出たのも、理由のないことではなかったのです。ヨハネはこの「宮清め」に、弟子たちに言わせた詩篇のことば、「あなたの家を思う熱心がわたしを食い尽くした」(17、詩篇69:9)、を重ねています。これはメシア詩篇であって、宮清めから省かれた受難物語が、背後に隠されているようです。


U 信仰の戦いとして

 ヨハネが重ね合わせたのは、詩篇のことばだけではありません。ヨハネは、「あなたがこのようなことをするからには、どんなしるしを私たちに見せてくれるのですか」「この神殿をこわしてみなさい。わたしは三日でそれを建てよう」「この神殿は建てるのに46年かかりました。あなたはそれを、三日で建てるのですか」(18-20)とあるユダヤ人とイエスさまの会話を、宮清めに重ねています。この会話は、恐らく、ばらばらに存在していたものを、宮清めを念頭にここにまとめたのでしょう。

 ここでのヨハネの意図は、ユダヤ教への痛烈な批判ではなかったでしょうか。「ユダヤ教」の問題、それは、二つの時点で見なければなりません。一つは、イエスさまに近い弟子たちの時代です。ユダヤ教が依存して来た祭儀宗教は、実は、バビロン捕囚時の、すでに五百何十年か前に崩壊していました。バビロン捕囚以前のイスラエルには、バアル神やイシュタル女神など、バビロンに栄えた異教信仰が入り込み、神殿には、そのような神々への供物を献げる祭壇までありました。ヒンノムの谷には、子どもを生贄として献げる祭壇までがあったのです。エレミヤがそうした民衆の異教信仰や、異教の祭壇に仕える祭司たちを批判したことは、〈預言者の系譜・エレミヤ〉で見た通りです。ところが、バビロン帰還後しばらくして、マカベア戦争など抗争の時代があり、その混乱の中で、またもやイスラエルは、捕囚中に反省した筈の祭儀宗教に戻ってしまいました。信仰の儀式化と堕落が繰り返されたと言っていいでしょう。ヨハネがこの福音書を執筆している時代は、AD70年に終結したユダヤ戦争以後のことで、エルサレム神殿はすでに炎上崩壊していました。この福音書は、ユダヤとは関係のない、異邦人世界のキリスト教会に向けて語られているのですが、ヨハネの意識には、信仰の戦いという局面が、預言者とバアル神、イシュタル女神との戦いに重なっていたようです。

 もう一つの時点は、この福音書が執筆されている時代です。ヨハネは、ユダヤ戦争後にディアスポラのユダヤ人を対象に成立した、後期ユダヤ教神学の律法的、祭儀宗教的要素を拒否しようとしているのです。宗教からの脱却と言っていいでしょう。ユダヤ人たちはエルサレム神殿を失って、シナゴグ中心の律法主義に陥っていましたが、神殿祭儀の醸し出す妖しいまでの宗教的雰囲気も忘れ難く、またもや祭儀的神秘思想に陥ってしまいます。これは、彼らの知られざる一面ですが、後に「カバラ」と呼ばれる神秘主義です。そして、そんな異端的神秘思想は、初期教会にも入り込んでいました。当時の異端の主要な教説の多くが、メソポタミヤ文化圏で発生した、グノーシス主義の影響下にあることを考えますと、イエスさまの「宮清め」は、決して人ごとではない、現代の私たちをも含めた、キリスト者の信仰の戦いであると聞くべきではないでしょうか。


V 信仰の高みを

 このグノーシス主義的異端思想は、近代の自由主義神学に入り込みました。近代神学は言います。「よみがえりは、弟子たちが信じたという、そのことの上に組み上げられた虚構である」と。グノーシス主義の善悪二元論は、二つのことを並べるものではなく、一つのことの表と裏なのです。近代自由主義神学は、見事なまでにその異端的二元論を再現しているではありませんか。しかし、断じてそうではありません。ヨハネがここでさりげなく、しかし、力を込めて語ろうとしている最も重要な記事・「よみがえり」は、イエスさまの事実なのです。なぜなら、それは、イエスさまご自身の証言に基づいているからです。

ヨハネは、「信仰の戦い」という局面を念頭に置きながら、この箇所を、イエスさまの「よみがえり」で締めくくりました。これが、宮清めに弟子たちを絡め、重ね合わせながら意図した、ヨハネの中心主題です。「イエスはご自分のからだの神殿のことを言われたのである。それで、イエスが死人の中からよみがえられたとき、弟子たちは、イエスがこのように言われたことを思い起こして、聖書とイエスが言われたことばを信じた」(21-22)「弟子たちが信じた」とこれは、イエスさまの証人としてバプテスマのヨハネを登場させた序文(1:1-18)からずっと、福音書記者ヨハネの主要な意識でした。その信仰を形成したものに、イエスさまの恵み・ロゴスの輝きがあり、その恵みは十字架に凝縮したと触れました。しかし、それだけでは、イエスさまを信じる信仰形成の中心としては、まだ足りません。イエスさまの十字架と「よみがえり」、これこそ、今、ヨハネが働く異邦人世界に建てられたキリスト教会の、何よりも掲げなければならない旗印だったのです。ですからヨハネは、イエスさまのよみがえりを、さりげなく、しかし、渾身の力を込めて取り上げました。

 「イエスはご自分のからだの神殿のことを言われたのである」とヨハネは、「この神殿をこわしてみなさい。わたしは三日でそれを建てよう」と言われた、イエスさまのことばを解き明かしました。「君たちがわたしを殺すならば、わたしは三日でよみがえる」と言われたのです。その証人となった弟子たちの中心人物の一人・ヨハネが、60年の歳月をかけて教会神学の中心にまで熟成させた「よみがえり」というイエスさまの出来事は、神さまの壮大な計画であって、その実現に基づく信仰は、異端グノーシス主義の教えとは全く異なる信仰であると覚えて頂きたいのです。もし私たちがこの福音を、ヨハネが戦ったグノーシス的「夢物語のキリスト宗教」とするなら、それはイエスさまのよみがえりを空しくし、頑迷な異端的宗教思想という、近代神学が辿った過ちへ迷い込んでしまうのではないでしょうか。現代の、混迷と衰退の一途を辿っているかのように見えるキリスト教界は、これらを検証をすることから始めなければならないでしょう。私たちの信仰は、ヨハネが精魂傾けてイエスさまから聞いた、福音に立つものでなければなりません。教会が目指すものは、「神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければならない」(4:23-24)とヨハネは、現代の私たちをも含め、誡めているのです。私たちは、「聖書とイエスが言われたことばとを信じた」とわざわざ書き加えた、ヨハネの信仰の高みを目指し、そこに留まりたいではありませんか。



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