ヨハネによる福音書


78
十字架の死を賭して
ヨハネ 18:28-40
イザヤ   53:4-6

Ⅰ ピラトの法廷へ

 「さて、彼らはイエスを、カヤパのところから総督官邸に連れて行った。」(28)
 イエスさまの裁判は、アンナスの審問も含め、大祭司カヤパを議長とするサンヒドリン議会での法廷、ローマ総督ピラトのもとにおける裁判、ヘロデ・アンティパスの興味本位で行われた尋問も加えると四回ありますが、ヨハネは、ユダヤ人による審議はほとんど無視してローマの法廷だけを取り上げ、その様子を克明に記録しています。イエスさまがピラトのところに連行されて来たのが「明け方」(28)ですから、ピラトが裁判の席に着くまで(19:13-14)、延々と、裁判の前段階のような、イエスさまとピラトのやりとりがあります。今朝のテキストはまず18:28-40からです。

 初めに、イエスさまを総督官邸に連行した、祭司長たちとピラトのやりとりがあります。
 「彼らは、過越の食事が食べられなくなることのないように、汚れを受けまいとして、官邸にははいらなかった。そこでピラトは彼らのところに出て来て言った。『あなたがたは、この人に対して何を告発するのですか。』彼らはピラトに答えた。『もしこの人が悪いことをしていなかったら、私たちはこの人をあなたに引き渡しはしなかったでしょう。』そこでピラトは彼らに言った。『あなたがたがこの人を引き取り、自分たちの律法に従ってさばきなさい。』ユダヤ人たちは彼に言った。『私たちには、だれを死刑にすることも許されてはいません。』」(28-31)

 「過越の食事……」とありますが、前日のイエスさまと弟子たちの「最後の晩餐」(13:1以下)を過越の食事としていたことを考えますと、過越の祭りはユダヤ最大の祭りでありながらとても短く、それを補うかのように、その後に7日間の「種入れぬパンの祭り」が続き、一括して過越の祭りとしていますので、その全日程を守りきるためにも、汚れを受けまいとしたことを指していると思われます。ユダヤ人は、異邦人との接触を、「汚れ」と捉えていたからです。彼らは「何を告発するのか」というピラトの問いに、ずる賢く答えようとはしません。すでにサンヒドリンの法廷で死刑の判決が出ていたからです。「つべこべ言わずにおれたちの判決通りに早く処刑しろ」と、そんな彼らの思惑が透けて見えるようです。しかし、そのために、支配者たるローマ総督ピラトが、イエスさまが立っておられる官邸奥庭とユダヤ人が喚いている門を、何回も往復することになりました。総督ピラトとしては、すぐに暴動を起こすユダヤ人たちとは争いたくなかったのでしょう。


Ⅱ 真理のあかしをするために

 ピラトは奥に引っ込み、イエスさまに言いました。以下はイエスさまとピラトの会話です。
 「あなたは、ユダヤ人の王ですか。」「あなたは、自分でそのことを言っているのですか。それともほかの人が、あなたにわたしのことを話したのですか。」「私はユダヤ人ではないでしょう。あなたの同国人と祭司長たちが、あなたを私に引き渡したのです。あなたは何をしたのですか。」(33-35)

 「ユダヤ人の王」とは、ナタナエルが「あなたは神の子です。イスラエルの王です」(1:49)とイエスさまに告白した信仰の表明ですが、ここで言われているのはそんな崇高なものではなく、「あなたはあのメシア運動の首謀者なのか」というものです。イエスさまをその反逆者に仕立てようとする、祭司長たちの陰謀が総督の耳に入っていたからなのでしょう。そのような反逆者は、これまでにも度々、ユダヤ国内を騒がしていました。ピラトにすれば、「またか」という思いもあって、早いことこの問題を片付けてしまおうと、「お前はユダヤ人の王なのか」と単刀直入に尋ねました。罪状を明らかにするのは、皇帝への報告義務があるためです。ローマ法は現代にも通じる厳正なもので、その誇りあるローマ法を貶める為政者は、更迭、または処罰を免れません。ピラトは乱暴な為政者として知られていましたが、それでも自分の責任を心得ていて、被疑者イエスさまに向き合おうとしていたと言えましょう。「お前はメシア運動の首謀者ということでいいのだな」と、それがこの問いかけのニュアンスです。

 いくつかの短いやりとりが続きますが、このやりとりは、どうも、イエスさまが主導権を握られたようです。ピラトの「お前は何をしたのか」にお答えになるイエスさまは、いよいよ本題に入って来ます。「イエスは答えられた。『わたしの国はこの世のものではありません。もしこの世のものであったなら、わたしのしもべたちが、わたしをユダヤ人に渡さないように、戦ったことでしょう。しかし、事実、わたしの国はこの世のものではありません。』そこでピラトはイエスに言った。『それでは、あなたは王なのですか。』イエスは答えられた。『わたしが王であることは、あなたが言うとおりです。わたしは、真理のあかしをするために生まれ、このことのために世に来たのです。真理に属する者はみな、わたしの声に聞き従います。』ピラトはイエスに言った。『真理とは何ですか。』」(36-38a)

 「わたしの国はこの世のものではない」と二回も繰り返されたイエスさまの答えこそ、本題そのものでした。ですから、この議論は、「真理」というところにまで到達して行きます。イエスさまはローマ人ピラトにも分かる言い方で「真理」と言われましたが、もちろん、それは神さまのことで、人を救いに導くイエスさまの十字架を中心とする、神さまの福音を指しているのです。


Ⅲ 十字架の死を賭して

 ヨハネが「イエスさまの国はこの世のものではない」と言ったことには、もう一つの意図があります。それは、紀元一世紀末の教会を視野に、キリスト教徒迫害を国是としたローマへの牽制です。イエスさまの福音は、政治的なものではなく、武力や何らかの強制力を用いて実現するものではありませんから、これはローマの国法と帝国内の秩序に決して抵触するものではなく、少しの危険もないのだと、ヨハネは、護教的な配慮をここに込めているのです。ですからピラトは、「お前は王か」と二回目の問いかけに、イエスさまが「わたしが王であることは、あなたが言うとおりである」と答えられたことにも、敏感に反応したり、イエスさまを反逆者であると確定するような動きをしていません。彼には、祭司長たちがイエスさまを殺そうとしているのは、妬みのためであると分かっていたと思われます。ピラトが「私は、あの人には罪を認めない」(38)と言ったのは、イエスさまが「この世のものではなく、神的人物=メシア」であることを受け入れたからなのでしょう。

 しかし彼は、「真理に属する者は、わたしの声に聞き従う」と聞き、この王が自分を真理の陣営に引き込もうとしていると感じたのでしょう。「真理とは何か」と、いかにもピラトらしい侮蔑的なことばを吐いて イエスさまの審問を中断し、再び祭司長たちが待つ門のところに出て来て言いました。「私は、あの人に罪を認めません。しかし、過越の祭りに、私があなたがたのためにひとりの者を釈放するのがならわしになっています。それで、あなたがたのために、ユダヤ人の王を釈放することにしましょうか。」(38b-39) ピラトは、イエスさまの無罪を確信しながらも、ユダヤ人たちの殺気だった様子を見て、「あの人を釈放する」と宣言することが出来ず、ついに妥協してしまいます。それなのに、門の外にいたユダヤ人たちは、総督のこの申し出を拒否し、代わりに、強盗罪で死刑が決まっていたバラバの釈放を求めました。ヨハネは淡々と、彼らが「この人ではない。バラバだ」と言ったとしていますが(40)、共観福音書は、民衆がイエスさまを「十字架につけろ」と何回も叫ぶさまを描いています(マタイ27:20-23)。そしてバラバが釈放され、イエスさまには、十字架刑が確定するのです。バラバを登場させることで、ヨハネは、イエスさまの「いのち」をその手に握っていると思い上がっていたピラトが、実は端役でしかなく、「どのような死に方をされるのかを話されたイエスのことばが成就するためであった」(32、12:33参照)とあるように、その死はイエスさまご自身の決定なのだと、そのことを浮かび上がらせました。バラバは、「強盗」と言われますが、ユダヤ独立を党是とする「熱心党」が、資金集めには手段を選ばず、強盗さえも愛国的であるとしていたために、そんな熱心党の勇者とされたようです。彼がユダヤ人に支持されたのは、ローマの権力と戦ってくれる者と映ったからなのでしょう。バラバは生き延びました。しかし、イエスさまは、ご自分の十字架の死を賭して、私たちのいのちを永遠へと移して下さったのです。このことを私たちは、決して忘れてはならないでしょう。


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