ヨハネによる福音書


77
主の前で私たちは
ヨハネ 18:12-27
Ⅱサムエル  6:1-5

Ⅰ アンナスのもとで

 今朝のテキストでは、大祭司の舅・アンナスによるイエスさま審問とペテロによるイエスさま否認が、並行記事になっています。今朝は、その二つの記事がどこで繋がるのかを、探ってみたいと思います。どちらの記事も、共観福音書との関わりからいくつもの問題点が出て来るのですが、そこまで踏み込むと混乱し、ヨハネのメッセージが見えなくなる心配がありますので、先に土台となる部分を話しておきたいと思います。「大祭司の審問」は、黒幕と言われる元大祭司・アンナス邸で行われ、ペテロによる三回のイエスさま否認も、アンナス邸中庭で起こったということです。これまで聖書学者たちは、調和を求めていろいろと解釈してきましたが、最新の聖書学では、ヨハネ福音書が史実に最も忠実であろうと言われています。ともあれ、イエスさま逮捕劇から見ていきましょう。

 ついにイエスさまが、ユダヤの権力者たちに逮捕されました。「そこで、一隊の兵士と千人隊長、それにユダヤ人から送られた役人たちは、イエスを捕らえて縛り、まずアンナスのところに連れて行った。彼がその年の大祭司カヤパのしゅうとだったからである。カヤパは、ひとりの人が民に代わって死ぬことが得策である、とユダヤ人に助言した人である。」(12-14) 捕吏の協力者に過ぎないローマの歩兵部隊(コホルテム)が3節と12節で二回、最初に挙げられているのは、イエスさまの審議がローマの法廷に委ねられ、ついには総督ピラトのもとで、ローマの極刑・十字架刑に処されてしまうのだとする、ヨハネの悲痛な思いによるのでしょう。しかしそれは、イエスさまの贖罪は全世界のすべての人のためとする、ヨハネ神学に基づく記述なのです。イエスさまの贖罪は、ローマの陰に隠れてはいても、その逮捕劇の主役となった、ユダヤ人指導者たちによって実現されていきます。捕吏たちはイエスさまをアンナスのところ連れて行きました。アンナスは「大祭司カヤパのしゅうと」とあるだけですが、彼は紀元6-15年の10年間大祭司を勤め上げた元大祭司で、その後、五人の息子や娘婿(カヤパ)や孫までも大祭司職に就けています。長年そんな大祭司一族のトップに君臨し、強力な院政を敷いていました。この裁判の手順には、そんな彼の出しゃばりや非合法的なところが多く見られますが、イエスさまの贖いは私たち人間の罪のためであると、見事にそれを浮き上がらせているではありませんか。はからずも大祭司カヤパが、「ひとりの人が民に代わって死ぬことが得策である」(14・11:49-52)と、イエスさまの贖罪を予告しています。


Ⅱ エゴー・エイミーなるお方が

 25節に、「アンナスはイエスを、縛ったままで大祭司カヤパのところに送った」とあります。捕吏たちはイエスさまを大祭司カヤパのもとに送るところでしたが、アンナスの横やりがあって、アンナス邸に立ち寄ったと思われます。ヨハネは、そこでのイエスさま審問を取り上げていますが、たいした記事にはなっていません。ヨハネは、総督ピラトの審問と裁判を重要視しているのです。しかし、アンナスは大祭司気取りで審問を開始します。「そこで、大祭司はイエスに、弟子たちのこと、また、教えのことについて尋問した。」(19) アンナスは、「弟子たちのこと、また、教えのこと」について尋問しますが、イエスさまは、「弟子たちのこと」については一言も触れず、「教えのこと」についても、「わたしは世に向かって公然と話しました。わたしはユダヤ人がみな集まって来る会堂や宮で、いつも教えたのです。隠れて話したことは何もありません。なぜ、あなたはわたしに尋ねるのですか。わたしが人々に何を話したかは、わたしから聞いた人たちに尋ねなさい。彼らならわたしが話した事柄を知っています」(20-21)と、素っ気ありません。当局はイエスさまの教えなどとっくに調べ上げていて、これは形式的尋問に過ぎなかったのでしょう。アンナスは、イエスさまを担いで暴動を起こすのではないかと、「弟子たちのこと」のほうがずっと気になっていたと思われます。

 しかし、ヨハネは、その審問の席で起こった、別の出来事に関心を寄せているようです。「イエスがこう言われたとき、そばに立っていた役人のひとりが、『大祭司にそのような答え方をするのか。』と言って、平手でイエスを打った。イエスは答えられた。『もしわたしの言ったことが悪いなら、その悪い証拠を示しなさい。しかし、正しいなら、なぜ、わたしを打つのか。』」(22-23) 「証拠を示す」という言い方は、もともと幼児の喋り声をそのまま文字に綴ったことから、たどたどしく「話す」を意味するのですが、それが成人に転化され、ぺちゃくちゃと止めどもなく話す「お喋り」を意味するようになりました。ここでは、「イエスさまが何か悪い教えを広めたと言うのなら、それらを一つ残らず挙げて見よ」と言っているのです。そこには、「一つとして悪いことはしていない」とする、聖なるお方の絶対的主張が見られます。ヨハネが主張しているのは、イエスさまの神さまとしての義であって、そこには、「エゴー・エイミー、(わたしはある)」なるイエスさまの、絶対者としてのお姿が浮かんで来ます。


Ⅲ 主の前で私たちは

 ヨハネは、ペテロによるイエスさま否認の記事を、一回目と二、三回目の二回に分け、アンナスの審議をその間に挟んでいます。恐らく、テキスト通りの順番で二つのことが進行していたのでしょう。現場にいた彼は、目撃したとおりに書くことで、この状況を意図したとおり正しく伝えることが出来ると、願いを込めて、極めて簡潔に、筆を進めました。

 ペテロの否認の、前半一回目の記事はこうです。「シモン・ペテロともうひとりの弟子は、イエスといっしょに大祭司の中庭にはいった。しかし、ペテロは外で門のところに立っていた。それで、大祭司の知り合いである、もうひとりの弟子が出て来て、門番の女に話して、ペテロを連れてはいった。すると、門番のはしためがペテロに、『あなたはあの人の弟子ではないでしょうね。』と言った。ペテロは、『そんな者ではない。』と言った。寒かったので、しもべたちや役人たちは、炭火をおこし、そこに立って暖まっていた。ペテロも彼らといっしょに、立って暖まっていた。」(15-18) ここには、ペテロがアンナス邸中庭に入った経緯が説明されますが、「大祭司の知り合いであるもうひとりの弟子」とは、恐らくヨハネ自身のことでしょう。これは、ユダヤの規定通り、ペテロとヨハネの二人で目撃し、その耳で聞いた証言だと言っているのです。炭火で暖をとっていた下っ端の人たちは、暴動のことを話題にしていたのでしょうか。そこへ見知らぬペテロが入って来たものですから、「あなたはあの人の弟子ではないでしょうね」と、門番らしく、一応の確認をとりました。ギリシャ語原典では、「もしかしたら」「ではないでしょうね」という表現になっています。ペテロは、「そんな者ではない」と否定しました。

 もう一つの記事はこうです。「一方、シモン・ペテロは立って、暖まっていた。すると人々は彼に言った。『あなたはあの人の弟子ではないでしょうね。』ペテロは否定して、『そんな者ではない。』と言った。大祭司のしもべのひとりで、ペテロに耳を切り落とされた人の親類に当たる者が言った。『私が見なかったとでもいうのですか。あなたは園であの人といっしょにいました。』それで、ペテロはもう一度否定した。するとすぐに鶏が鳴いた。」(25-27) 「ペテロに耳を切り落とされた人の親類……」は、現場で目撃していたのでしょうから、この人の詰問は極めて信憑性が高いのですが、それでもペテロは、否認しました。これは、先週、「厳しい最終局面を迎え、イエスさまは、弟子たちとの関係を断ち切ろうとしている」と述べましたが、その決着点なのでしょう。「あなたがたは散らされて、わたしひとり残す時が来る」(16:32)と言われたことが、成就するのです。しかしそれは、「勇敢であれ。わたしはすでに世に勝った」(16:33)とある、主の栄光の輝きに向かう聖徒たちの、信仰の歩みの始まりでもありました。ペテロの「そんな者ではない」というイエスさま否認は、「ウーク・エイミー(私ではない)」で、イエスさまの「エゴー・エイミー(わたしです)」と決定的に対比されています。そんな者が膝をかがめ、ダビデ王が主の前で力一杯喜び、踊ったように(Ⅱサムエル6:5)、主を賛美し礼拝することで、主の栄光を輝かせるのです。やがて弟子たちは、イエスさまを「わが主、わが神」と告白し、揺るがない信仰のもとで、内在するパラクレートスの助けを頂いて、宣教を開始します。私たちもと、願わされるではありませんか。


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