ヨハネによる福音書


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主の愛に包まれて
ヨハネ 13:1−11
ホセア    6:1−3

T 今、その時が

 イエスさま十字架前夜の過越の食事から始まる第二部の最初、13章に入ります。第二部は、分量から言いますと、ヨハネ福音書では全体の三分の一ほどで、半分近くのページを割いている共観福音書に比べると少ないのですが、第二部はイエスさまの出来事の中心主題であると、福音書記者たち、わけてもヨハネは、全精力を傾けてこれを描き上げました。ヨハネ福音書のそれは共観福音書とはかなり違っていますので、ヨハネの意図するところを聞いていきたいと思います。

 「さて、過越の祭りの前に、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時が来たことを知られたので、世にいる自分のもの(弟子たち)を愛されたイエスは、その愛を残すところなく示された」(1) これは第二部の始まりを告げるヨハネの宣言であり、第二部全体(13-21章)の序文です。この序文でヨハネは、いくつかのことを提示しています。三つ取り上げますが、第一は、「過越の祭りの前に」とあるところです。この「前に」というギリシャ語は、beforeという単純な〈時の前置詞〉ですので、従来言われて来た、過越祭の前日(ニサンの月13日)という時間的設定を意味してはいません。「過越の祭り」は、イスラエル民族がエジプト脱出(出エジプト12章)の際に、エジプト全地に災いを下そうと巡り歩かれた神さまが、羊の血を門柱に塗った家をわが民イスラエルの家として通り過ぎたことを記念して祝われるようになりました。「その前に」ということで、過越の祭りを神さまが企画されたイエスさまの時と捉え、今、その時が始まるのだと、ヨハネはこの序文をもって宣言しているのです。「私たちの神、主よ。あなたは力強い御手をもって、あなたの民をエジプトの地から連れ出し、今日あるとおり、あなたの名をあげられました」(ダニエル9:15)とあるように、神さまのみわざを完成させるために、イエスさまが何をされようとするのかを弟子たちに明らかにしようとしている、それが13章以下の記事なのです。ヨハネは、刻一刻と貴重な時を刻んでいく十字架への歩みを、ファクトの羅列に費やしたくはなかった。それはすでに共観福音書にあるのですから。ヨハネは、イエスさま栄光の中心に踏み込んでいきたいと願ったのです。

 第二は、「この世を去って父のみもとに行くべき自分の時が来たことを知られた」とあるところです。これは十字架とよみがえり、その後に続く昇天を指していますが、ヨハネは、迫害と殉教を意識してか、イエスさまの十字架の死を、意図的に「去る」「移る」と言っていて、それをこの世からの分離、御父のもとへの栄光の帰還と理解しているのです。御父と御子が立案した救いの計画は、ご自分の民をご自分のところに引き上げるところまで含むと覚えて頂きたいのです。


U 愛の時点は?

 第三は、「その愛を残すところなく示された」(新改訳)とあるところです。これは、口語訳では「彼らを最後まで愛し通された」、岩波訳では「この人々を極みまで愛した」とあり、口語訳や岩波訳のほうが直訳に近いようです。新共同訳は「この上なく愛し抜かれた」とあって、どちらにも通じる微妙な訳になっています。いづれも訳としては可能ですが、新改訳がなぜそのような訳を採用したのか、考えて見なければなりません。恐らく、新改訳は、「愛の時点」を考えているのでしょう。つまり、いつどのように愛を示されたのか、それが第二部で、いくつもの記事として展開されます。

 その最初の記事が、「洗足」(2-20)です。「夕食の間のことであった。悪魔はすでにシモンの子イスカリオテ・ユダの心に、イエスを売ろうとする思いを入れていたが、イエスは、父が万物をご自分の手に渡されたことと、ご自分が父から来て父に行くことを知られ、夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。」(2-4)とあります。これは、「洗足」の記事の序文なのでしょう。イスカリオテ・ユダのことは十字架の発端ですが、それは別に触れることにし、「洗足」に入る前に、挿入句と思われる「イエスさまは、父が万物をご自分の手に渡されたことと、ご自分が父から来て父に行くことを知られた」を見ておきたいと思います。ヨハネがここで語っているのは、「イエスさまは御父から来て御父に行く」ということでしょう。それは、ヨハネがずっと命題にして来た「先在のロゴスは、御父からこの世に遣わされて来た」ということと、「御父のもとに帰る」ということですが、そこには、「遣わした神さまと遣わされたイエスさまが本質的に合一である」という、ヨハネ神学の本質が内包されていると聞かなければなりません。つまり、神さまの自己啓示であるイエスさまに、神さまのあらゆる栄光が集められているのです。その栄光の核心部が間もなく明らかになるのだと、ヨハネはそれを、「イエスさまが御父のもとに帰られる」という表現で言明しました。十字架に死ぬというイエスさまの苦難は、その始まりでした。


V 主の愛に包まれて

 この序文に、イエスさまが「上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた」とあります。そして、弟子たちの足を洗い終えると、「上着を着けて、再び席に着いた」(12)と締め括られます。そこから20節まで、「洗足」に関するもう一つの説話が、イエスさまのお話しとして語られますが、12~20節は次回取り上げることにして、今朝は11節までです。

 「それから、たらいに水を入れ、弟子たちの足を洗って、腰にまとっておられる手ぬぐいで、ふき始められた。」(5) これは、過越の食事の席でのことです。「上着を脱ぐ、着ける」は「洗足」の中心主題でもあるのです。腰に手ぬぐいを巻き付けたのは帯の代わりですが、上着を脱いで上半身裸になったそのお姿は、まさに奴隷の姿そのものです。十字架の意味が浮かんで来るではありませんか。共観福音書には聖餐式の原形「主の食事」が記されていますが、ヨハネは、それに代わるかのように、この「洗足」を紹介しました。ちなみに、カトリック教会では、上位の人が下位の人の足を洗う形で、受難週の木曜日に、礼典としてこれを踏襲しているようですが、プロテスタント教会の「聖礼典」は「バプテスマ」と「聖餐式」だけで、「洗足式」は含まれていません。いづれにしても、イエスさまは聖礼典として洗足を行われたわけではないと、ヨハネは思い極めているようです。当時、すでに紀元一世紀末のローマ・ギリシャの世界に建てられたキリスト教会でも、少しづつでしょうが、信仰行為の儀礼化が始まっていました。もしかしたら、「洗足」が聖礼典に組み込まれなかったのは、ヨハネの抵抗があったからなのかも知れません。残念ながら、バプテスマも聖餐式もすでに教会儀礼に組み込まれていて、たとえヨハネの抵抗があったとしても、それがキリスト者たる証しであることを、変えようがなかったのではと思われます。

 それにしても、ここで「洗足」が紹介されたのは、これがイエスさまの弟子たちに対する愛の行為だったからではないでしょうか。単なる愛の行為ではない。「上着を脱いだ」「上着を着た」と、それが洗足に絡められているのは、それを「十字架の死」と「いのちへのよみがえり」の象徴としているからで、イエスさまの「愛」はその意味においてであると聞かなければなりません。序文に「その愛を残るところなく示された」とあるのは、弟子たちがイエスさまのそんな愛の世界に招かれたからです。クリスチャン、ギリシャ語でクリスティアノスは、「キリストに似た者」(使徒11:26)という意味ですが、イエスさまの「もの」となった者たちは、イエスさまの愛に包まれているのだと、肝に銘じておきたいと思います。

 ペテロは「私の足をお洗いにならないでください」と拒みましたが、「もしもわたしが洗わなければ、あなたはわたしと何の関係もありません」と言われ、「足だけでなく、手も頭も……」と甘えている(6-9)のは、過越の祭りを迎える明日?(ヨハネが描く食事風景は過越の晩餐としては簡素すぎる、という異論がある)、イエスさまが彼らへの贖罪である十字架という愛に殉じることなど、全く気づかなかったからではないでしょうか。それは私たちも同じです! イエスさまの愛に包まれた者は「全身が清い」(11)と、すでに贖罪の枠内に数えられているのに。ですから私たち、イエスさまの十字架の愛を覚え、その愛を他の人たちに広げて行くために、イエスさまが私たちの足を洗ってくださったのだと覚えたいではありませんか。


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