ヨハネによる福音書


55
福音の根幹は

ヨハネ 12:20−26
イザヤ  55:6−13

T 数人のギリシャ人たちが

 「さて、祭りのとき礼拝のために上って来た人々の中に、ギリシャ人が幾人かいた。この人たちがガリラヤのベッサイダの人であるピリポのところに来て、『先生。イエスにお目にかかりたいのですが。』と言って頼んだ。ピリポはアンデレに話し、アンデレとピリポとは行って、イエスに話した。」(20-22)と、場面が変わります。今朝は、ここに登場したギリシャ人に的を絞っていきたいと思います。彼らは、ギリシャ本国からではなく、恐らくアレクサンドロス大王(BC336-323在位)の少し後、ガリラヤ東岸デカポリス地方のギリシャ植民地10都市いずれかの住民で、ユダヤ教シンパだったと考えられています。彼らは、BC63年、ボンペイウス将軍率いるローマ軍によって、ハスモン王朝時代のユダヤ支配下から解放されました。そんなことから彼らは、ユダヤの影響を強く受けていたようで、度々デカポリスを巡回されたイエスさまに接触し、その教えに惹かれていたとしてもおかしくありません。そんな彼らが過越の祭りにエルサレムにやって来て、イエスさまが来ておられると知り、お話しを聞きたいと思ったのでしょう。伝(つて)を求めて、ギリシャ名のピリポ(フィリッポス)のところに来ました。ピリポが相談したペテロの兄弟アンデレもまたギリシャ名(アンドレアス)です。彼ら(ヨハネも含め)は、ガリラヤ湖北端ベッサイダの出身でした。ペテロには「シモン」というヘブル名がありますが、イエスさまに「ペトロスと呼ぶことにする」(ヨハネ1:42)と言われて後、ギリシャ名「ペトロス」で押し通したのも、ギリシャ人の血を受け継いでいたからではないかと想像します。そして、ピリポにわざわざ「ベッサイダの人」と形容詞をつけていることから、ガリラヤ湖北端のベッサイダはデカポリス地方に近く、以前から彼らはデカポリスのギリシャ人と接触があったのではないかと思われます。

 この突然のギリシャ人登場には、奇異な印象を持たれるかも知れませんが、ヨハネはこの記事を、そのほとんどがギリシャ人である紀元一世紀末の、教会の人たちへのメッセージとしているのです。このギリシャ人たちはいつの間にか消えていますが、彼らが来たことをきっかけに、ヨハネは、イエスさまの福音の極めて重要な説話を、ひとかたまりにして記録しました。共観福音書は、エルサレム入城に続く記事を、民衆への教えやパリサイ人たちとの論争に当てていますが、ヨハネは、三年間の公生涯を終えられたイエスさまが、弟子たちとの別れを想定しながら、彼らに寄り添っている様子を描写しています。ヨハネは最後の一週間のあちこちに散りばめられていた点描を、ここに集めたのでしょう。


U 一粒の麦地に落ちて……

 ヨハネが、あちこちに散りばめられていたイエスさま福音の全貌を、ここにひとかたまりにして記録した理由は、32節で明らかにされます。「イエスさまが地上から上げられるなら、イエスさまはすべての人をご自分のところに引き寄せます」と。24節の「豊かに実を結びます」という描写も、その意味においてなのでしょう。イエスさまの福音は、時間と空間を超えてすべての人に提供されるものであると、イエスさまに会いに来たギリシャ人の登場は、そのことを明らかにするためだったようです。

 「すると、イエスは彼らに答えて言われた」(23)とあります。「彼ら」がギリシャ人たちを含んでいるかどうかは不明ですが、恐らくそこには、間接的だったとしても、ギリシャ人たちへの返事が語られていると思われます。「人の子が栄光を受けるその時が来ました。まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。」(23-24)この補足とも思われる記事は36節まで続きますが、そこには独立した要素が盛り込まれていますので、それとは切り離し、まず、この有名なフレーズから考えてみましょう。「アーメン、アーメン、あなたがたに告げます」と注意をうながすヨハネのこの定式が語られたのは、このフレーズがイエスさま福音の極めて重要な中心主題であると、私たちに知らせるためでした。

 「人の子」はイエスさまの呼称であり、イエスさまは、御父から遣わされてこの世に来られた、「地上を歩まれる神」であると聞きました。そして、これまでに何度も「わたしの時はまだ来ていない」と言われたイエスさまが、ここに至って、「人の子」が栄光を受ける時が来たと言われます。栄光を受ける、あたかも「人の子」はそのために来たのだと、それが「一粒の麦が地に落ちて死ぬ」ことの意味なのでしょう。これは、原始キリスト教の伝承として、以前から囁かれていたようですが、キリスト教文書最初期に数えられるコリント第一書(57年)の中で、パウロはこう言っています。「死者はどんなふうに復活するのか、どんな体で来るのか、と聞く者がいるかも知れません。愚かな人だ。あなたが蒔くものは、死ななければ命を得ないではありませんか。あなたが蒔くものは、後でできる体ではなく、麦であれ他の穀物であれ、ただの種粒です。」(15:35-37) 分かりやすいと思われますので新共同訳から引用しましたが、新改訳ではぼやけていた「一粒の麦」で表現されるイエスさまの出来事に、「十字架とよみがえり」が含まれていることがお分かり頂けるでしょう。ある註解者は、「人の子が栄光を受ける時、すなわち人の子が十字架に挙げられ、そうしてこの異郷から天的な先在の栄光へと帰還する時が、来たのである」と言っていますが、まさにイエスさまのよみがえり(と、続く昇天)は、ラザロの場合とは根本的に異なり、もとの場所にお帰りになることを意味していました。


V イエスさま福音の根幹は

 端的に言いますと、ヨハネは、イエスさまは神さまご自身であると主張しているのです。ユダヤ教シンパとして過越の祭りに来ていたギリシャ人たちが、イエスさまにお会いしたいと訪ねて来たのも、当時のユダヤ教が、絶対者である神さまを指し示すことが出来ずに、ひたすら律法と割礼を人々に強要し、祭儀的宗教に陥っていたことへの、彼らの失望ではなかったかと思えてなりません。当時の世界支配者ローマ人は、原則的に唯一絶対の神さまを知りません。彼らの神々は、もともと地霊(ヌメン)を恐れる原始宗教の形態に、人間を模したギリシャの神々を重ね合わせただけの、底の浅いものでした。ギリシャ人もまた、ローマ人よりほんの少し神々に比重を置いてはいましたが、同じ宗教構造を持っていたようです。ギリシャの神々は、もともとメソポタミア周辺から入り込んできた、外来の神々なのです。ところが、開拓者としてカナンに移住して来たギリシャ人たちは、ユダヤ教の支配下に置かれ、それまでは全く関心がなかった「天地万物の創造者・全知全能にして絶対者である神・ヤハウェ」を知ったのでしょう。しかしながら、ローマのボンペイウス将軍によってユダヤ支配から解放されて後、彼らは、ユダヤ教の描く宗教世界に疑問を感じ始めたのではないかと思われます。それが、イエスさまの教えに接し、神さまの世界には、ユダヤ教よりもっともっと輝くような景色があって、自分たち異邦人もそんな世界に招かれるのだろうかと、ワクワクしていたのではないでしょうか。ピリポを「先生(主よ)」と呼びかけたのにも、そんな期待の膨らみを感じます。

 「一粒の麦が死ぬなら、豊かな実を結ぶ」とこれは、イエスさまご自身のことが言われているのですが、ヨハネはさらに続けます。「自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。イエスさまに仕えるというのなら、その人はイエスさまについて来なさい。イエスさまのいる所に、イエスさまに仕える者もいるべきです。もしイエスさまに仕えるなら、御父はその人に報いてくださいます。」(25-26) ここには、よみがえりのイエスさまに招かれる人々にも触れられていて、これこそ、ギリシャ人たちが最も聞きたいことではなかったでしょうか。それはコリント第一書15章の続きにも書かれていて、原始福音の根幹をなす教えであると、ヨハネは、このメッセージを、世界の教会に発信したいと願ったのでしょう。彼らはイエスさまに会いに来たのだと、わずか数語で彼らの願い(21)を記し、ヨハネはそれ以外に何も加えていませんから、想像を広げ過ぎたかも知れませんが、イエスさま福音の根幹は、一粒の麦として死なれたイエスさまを信じ、従って行くことなのだと、この幾人かのギリシャ人とともに、私たちも、ワクワクしながら聞こうではありませんか。彼らギリシャ人は、現代の私たちでもあるのですから。


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