ヨハネによる福音書


52
主の憐れみが
ヨハネ 11:45−57
イザヤ   6:8−13
T 祭司長たちに危機感が

 ラザロよみがえりにまつわる記事の最終章です。「さて、マリヤのところに来ていて、イエスがなさったことを見た多くのユダヤ人が、イエスを信じた。しかし、そのうちの幾人かは、パリサイ人たちのところへ行って、イエスのなさったことを告げた」(45-46)と、ユダヤ人の二通りの反応から始まります。イエスさまを信じた人たちの大半は、ベタニヤの村人たちだったのでしょう。彼らはマリヤ、マルタ、ラザロの一家を愛し、たびたびイエスさまと一緒に食事をしたり、そのお話を聞いたりしていました。彼らがイエスさまを信じたのは、ラザロのよみがえりという尋常でない不思議を目撃したことだけでなく、そういったイエスさまとの全人格的な交わりが実を結んだのだと言えそうです。反面、パリサイ人たちに報告した人たちは、恐らく、エルサレムから来た人たちではなかったかと思われます。ベタニヤの人たちがわざわざエルサレムに行って……というケースがあるとすれば、それは悪意や反感に満ちた行為なのでしょうが、彼らにそれほどの悪意や反感があったとする材料はどこにも見当たりません。そうではなく、彼らはエルサレムの人たちであって、ラザロ一家となんらかのつながりがあって葬儀には来ていましたが、ベタニヤ村の友人たちとは違って、ただただラザロのよみがえりに驚き、その不思議をパリサイ人たちに話したということなのでしょう。

 しかし、そんな彼らの報告が、重大な結果を産み出しました。「そこで、祭司長とパリサイ人たちは議会を招集して言った。『われわれは何をしているのか。あの人が多くのしるしを行なっているというのに。もしあの人をこのまま放っておくなら、すべての人があの人を信じるようになる。そうなると、ローマ人がやって来て、われわれの土地も国民も奪い取ることになる。』」(47-48) 最初に危機感を顕わにしたのは、祭司長とパリサイ人たちでした。彼らは、ベタニヤ村から戻った人たちの証言、イエスさまが死んで四日にもなっていた人をよみがえらせたという、まさに神さまだけがなし得る不思議に、異を唱えてはいません。むしろ、それを事実として受け止めているのです。恐らく、数々のイエスさまのなさった不思議を見て来たからと思われますが、そこから祭司長たちは、民衆の暴動が起こって「ローマ人が……」という危機感を募らせました。彼らは、これまでずっと唯一神教のもとに一枚岩であったユダヤ共同体が、決壊するのではという不安を抱えていたからでしょう。


U 一つの共同体に

 しかしヨハネは、なぜかこの重大な問題を掘り下げようとはしません。ヨハネがこの福音書を執筆していた時、すでにユダヤは紀元70年、ローマとの戦い(第一次ユダヤ戦争)に敗れ、国は滅びて、ほとんどのユダヤ人は散らされていたからなのでしょうか。その原因について、ヨハネは、ユダヤ人の問題であるとして、大祭司カヤパの乱暴なことばを取り上げました。「あなたがたは全然何もわかっていない。ひとりの人が民の代わりに死んで、国民全体が滅びないほうが、あなたがたにとって得策だということも、考えに入れていない」(49-50)と。「国民全体が滅びないほうが……」と、この思惑は実現しませんでしたが、ユダヤの最高議会サンヒドリンは、議長カヤパの提言を受け入れ、国の方針としました。「そこで彼らは、その日から、イエスを殺すための計画を立てた。」(53)のです。

 けれども、ヨハネはここに、ユダヤ人たちの思惑とは全く異なる神さまのご計画を挿入します。「ところで、このことは彼が自分から言ったのはなくて、その年の大祭司であったので、イエスが国民のために死のうとしておられること、また、ただ国民のためだけでなく、散らされている神の子たちを一つに集めるためにも死のうとしておられることを、預言したのである。」(51-52) 大祭司が「預言したのである」と言ったこの部分は、もしかしたら、近代批評的聖書学者が指摘するように、大祭司職は初代大祭司アロンの職を引き継ぐ特別な存在であるとして、神さまから油注がれた者というユダヤ伝統の意識を持つ後代の誰かが、「預言した」と、神さまのご計画に絡めて挿入したのかも知れません。しかし、ともあれ、「得策」などという人間の打算的思惑などによってではなく、聖徒たちを一つに集めるために〈イエスさまは死ななければならない〉とする、神さまのご計画が始動し始めます。二世紀に書かれた外典「十二使徒の教訓」の「聖餐式」の項に、「このパンが山々の上にまき散らされていたのが集められて一つとなるように、あなたの教会が地の果てからあなたの御国へと集められますように。栄光と力とはイエス・キリストによって永遠にあなたのものだからです」(9:4)とあります。これは、初期教会が一つの信仰共同体を目指していたことを示しているのでしょうが、このフレーズがローマ・ギリシャ世界に建てられた異邦人教会に向かって語られたことは、注目しなければなりません。宗教改革以来、キリスト教の個人主義が強調されてきましたが、イエスさまを信じる信仰は、決して個々人の信仰だけに終わるものではないことを肝に銘じておきたいものです。


V 主の憐れみが

 「そのために、イエスはもはやユダヤ人たちの間を公然と歩くことをしないで、そこから荒野に近い地方に去り、エフライムという町にはいり、弟子たちとともにそこに滞在された。」(54)と、ユダヤ人たちのイエスさま殺害計画が始動し始めたことから、イエスさまはエルサレムを離れました。とは言え、イエスさまの「時」は刻一刻と迫っています。この時期に合わせるかのように、ヨハネは、ユダヤ人たちの動きを二つ書き留めています。一つは、ユダヤ人指導者たちの動きです。「さて、祭司長、パリサイ人たちはイエスを捕らえるために、イエスがどこにいるかを知っている者は届け出なければならないという命令を出していた。」(57) このユダヤ最大の祭りは、地方や海外からやって来る大ぜいの人たちでごった返します。イエスさまのことを契機に暴動が起こるかも知れないと、彼らは、その前にイエスさまを何とかしたいと考えていたのでしょう。ところが、権力者たちが総力を挙げて探索したにもかかわらず、イエスさまは見つかりません。いや、祭りの6日前に、イエスさまはエルサレムに戻って来て、神殿に姿を見せるのですが(12:1)、その周りには、イエスさまをメシアであろうとする人たちが大勢集まっていて、捕らえることが出来なかったのです。結局、イエスさまを売り渡したのは、弟子のイスカリオテ・ユダでした。

 もう一つはユダヤ人民衆の動きです。「ユダヤ人の過越の祭りが間近であった。多くの人々が、身を清めるために、過越の祭りの間にいなかからエルサレムに上って来た。」(55) 彼らはイエスさまを捜し出せずに、「あの方は祭りには来ないのだろうか」(56私訳)と失望したように言いました。エルサレムに入城されたイエスさまを、「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。イスラエルの王に」(12:13)と熱狂して出迎えたのは彼らだったのでしょう。それなのに、ピラトの官邸前で「十字架につけよ」とこぶしを振り上げ、ゴルゴタの丘では「十字架から降りて見よ」とイエスさまをののしるのです。その先頭に立ったのがエルサレムの人たちであって、ラザロのよみがえりを目撃した人たちの、パリサイ人たちへの報告がその引き金になったと、ヨハネの証言はそう語っているようです。イエスさまの十字架には、イエスさまのなさったことを見て、聞いて、信じたはずの、名もない一般民衆の愚かさが深く絡んでいるのです。イエスさまを十字架につけたのは、名もない民衆である私たちの罪なのだと、それがヨハネの証言であり、エペソ教会と現代の私たちへのメッセージでもあるのでしょう。イエスさまを十字架にかけたのは、ユダヤの祭司長やパリサイ人たちでした。しかし、ユダヤ人だけにその責めを負わせていいものではありません。ところが、世界の歴史は、イエスさま十字架の責任をユダヤ人に負わせ、すさまじい迫害をもってユダヤ人たちを追い詰め、その居場所を奪い、民族の絶滅さえ図ったのです。その中心になったのが、かつて迫害と殉教に苦しめられた、キリスト教徒たちだったことを忘れてはなりません。イザヤは神さまのことばをこう記しました。「聞き続けよ。だが悟るな。見続けよ。だが知るな」(6:9)と。ある意味、キリスト教徒たちは、自分たちがイエスさまを十字架にかけた無知で愚かな張本人なのに、そのことから目を背けてしまったと言えそうです。「しかし、その中に切り株がある。聖なるすえこそ、その切り株」(同13)と、神さまの救いのご計画が始動し始めました。それは、聞いても悟らない私たちへの、主の深い憐れみではなかったでしょうか。


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