ヨハネによる福音書


49
よみがえりといのちの主に
ヨハネ 11:17−27
エゼキエル 37:1−5
T 多くの証人を立てながら

 ベタニヤ村の姉妹・マリヤ、マルタから、兄弟ラザロが重い病気にかかって危篤状態にあるとの知らせを受けました。ところがイエスさまは、使者が一日かけて知らせに来たのに、二日間もそこを動きません。ようやく重い腰を上げたのは、三日目になってからです。

 「イエスがおいでになってみると、ラザロは墓の中に入れられて四日もたっていた」(17)とあります。イエスさまへ使者が送られてすぐに、ラザロは亡くなったようです。イエスさまによる死者復活の記事は、カペナウムの会堂司ヤイロの幼い娘(マルコ5:21-43)と、ナインの町で亡くなった「やもめのひとり息子」(ルカ7:11-17)の二回が記録されていますが、それらはいずれも死亡直後のことであり、仮死からの蘇生と指摘されるほどです。それに比べ、ラザロのことは、マルタが「もう臭くなっておりましょう」(39)と言うほど、日にちが経っています。ユダヤには、「三日間、死者の魂は屍の上を漂っていて、元の古巣に帰ろうとしている」という民間信仰があるそうですが、四日目というのは、イエスさまがラザロを……と、期待していた人たちの願いを打ち砕くものでした。

 ラザロは死んだのです。しかし、イエスさまはこう言われました。「わたしはあなたがたが信じるためには、わたしがその場に居合わせなかったことを喜んでいます」(15) ラザロの記事は、初めから、「あなたがたが信じるため」と言われた、イエスさまの意図に基づいて進行していきます。

 「ベタニヤはエルサレムに近く、三キロメートルほど離れたところにあった。大ぜいのユダヤ人がマルタとマリヤのところに来ていた。その兄弟のことについて慰めるためであった」(18-19)とありますが、3km(15スタディオン)は、安息日にユダヤ人が移動してもいい距離で、ヨハネがわざわざこんな数字を入れたのは、弔問客がエルサレムからも来ていたというためなのでしょう。ヨハネは、ベタニヤ村の人たちだけでなく、エルサレムの人たちをも巻き込んで、イエスさまがなさったことの証人に立てました。45-46節には、「マリヤのところに来ていて、イエスがなさったことを見た多くのユダヤ人がイエスを信じた。しかし、そのうちの幾人かは、パリサイ人たちのところへ行って、イエスのなさったことを告げた」とあります。この二つの証言はいろいろと波紋を広げるのですが、ヨハネは、「ラザロの出来事」は多角的に見ていかなければならない、と思っているようです。


U 「神の子キリストである」と

 ベタニヤに来られたイエスさまは、少し離れたところから姉妹たちに使いを送りました。マルタがやって来ます。しかし、「マリヤは家ですわっていた」(20)とあります。これは、喪に服しながら弔問客への応対をしていたということなのでしょう。しかし、わざわざ「すわって」と言われているのは、葬儀におけるユダヤの伝統でもあって(エゼキエル8:14)、マリヤの哀しみを強調しているようです。ルカの福音書は、マルタが忙しく立ち働き、マリヤがイエスさまのそばに、同じように「すわって」お話しを聞いている様子を描いています。忙しくて頭に来たマルタが、イエスさまに、「妹をなんとかしてください」と文句を言う(ルカ10:38-42)のですが、そんなマルタの積極的行動的な性格とマリヤの物静かな性格が、今朝のテキストにもにじみ出ています。二人のことを良く知っているヨハネは、この二人を別々に取り上げました。恐らくそれは、エペソ教会の人たちへのメッセージなのでしょう。マリヤ、マルタ、ラザロのことは広くローマ・ギリシャ世界の教会に知られていましたから、ヨハネは、この姉弟のことを通して、イエスさまの福音の神髄を覚えて欲しいと願ったのではないでしょうか。

 今朝のテキストは、マルタからです。イエスさまにお会いしたマルタは言いました。「主よ。もしここにいてくださったなら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。」(21) マリヤもそっくり同じことを言っているのですが(32)、きっとそれは、イエスさまのおいでを待っている間、二人が何回も繰り返した「ことば」だったのでしょう。しかしそれは、イエスさまへの非難ではありません。なぜならマルタは、「主よ。私は、あなたが世に来られる神の御子キリストである、と信じております」(27)と告白していますし、マリヤもイエスさまの足もとにひれ伏しているからです(32)。この信仰の中でマルタは、「今でも私は知っております。あなたが神にお求めになることは何でも、神はあなたにお与えになります」(22)と言いました。これは、イエスさまと神さまは一体であるという告白なのでしょう。これは、イエスさまとユダヤ人との間にあった、葛藤問題の中心でした。マルタは、イエスさまを神さまから遣わされたお方であると認識しており、「神の子キリスト」(27)であるとさえ言い切っています。ただ、彼女には、大きな問題がありました。

 その辺りのイエスさまとマルタの会話を聞いてみましょう。「あなたの兄弟はよみがえります。」「私は、終わりの日のよみがえりの時に、彼がよみがえることを知っております。」「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」「はい。主よ。私は、あなたが世に来られる神の子キリストである、と信じております。」(23-27)


V よみがえりといのちの主に

 マルタの答えは、どことなく形式的で、パサパサに乾いたような印象を受けます。彼女の生き生きとした信仰が伝わって来ないのです。なぜなのか考えてみたい。マルタの最初の答え、「終わりの日のよみがえりの時に、彼がよみがえることを知っている」は、ユダヤ教が作り上げた信仰体系の復活教理そのものと言っていいでしょう。よみがえりの信仰を否定したのは少数のサドカイ派だけで、パリサイ派やエッセネ派など大半のユダヤ人は、この教理を受け入れていました。それを初期キリスト教会共同体は、伝承的信仰告白として継承していたのです。そう聞きますと、二番目の答えも、初期キリスト教会が告白していた「教理」そのものと言えそうです。とは言っても、宗教改革者たちが作り上げた教理問答書(カテキズム)のようなものがあったとは思われませんが、教会がローマ・ギリシャ世界に急速に広がって行った中で、ユダヤ教の教理を引き継いだ何らかの信仰体系が組まれ、信徒教育がなされていたと思われます。紀元四世紀初頭に執筆されたエウセビオスの「教会史」には、そんな痕跡が数多く見られるようです。もちろん、マルタの告白はそれよりずっと前のものですが、ヨハネは、マルタの告白に、原始キリスト教団の信仰告白を重ねたと言えましょう。

 しかし、そんな借り物のような教理は、ヨハネにとって満足のいくものではありませんでした。彼は、イエスさまのことばに、マルタの告白よりも踏み込んだ思いを込めました。イエスさまを信じる者は、「死んでも生きる。また、決して死ぬことがない」と、それはまさに、死んだ時にこそ生きるということであり、そもそも肉体の死は無意味になり、「わたしは、よみがえりです。いのちです」と言われたイエスさまの前で、本来の死さえも意味を失うのだと知らされます。然り!「わたしは、よみがえりです。いのちです」という宣言には、イエスさまの福音の神髄が込められている。何の修飾も説明もありませんが、この極めて短いことばの中には、御父と御子の、すべての人を包み込む力と恩恵がぎっしりと詰まっているのでしょう。ラザロのよみがえりは、御父と御子・神さまの不思議の一端を示すものでしかありませんが、その不思議は、「よみがえりといのちの主」から溢れ出た、限りない恩恵であると聞こえて来るではありませんか。ヨハネがこの福音書を執筆した時代は、迫害と殉教の時代でした。殉教していく聖徒たちが、「よみがえりといのちの主」に望みを置くようにとヨハネが願ったであろうことは、想像に難くありません。当時、拷問の果てに迎える肉体の死は、凄惨なものでした。その苦難に直面してなおイエスさまを信じる信仰を守り通すことは、極めて難しいことだったのでしょう。そんな現実が、現代の私たちにも近づいているのです。イエスさまを信じる信仰は、教理などという神学命題ではなく、生かされたいのちそのものでありたいと願います。私たちの信仰は、「キリスト教」を信じるのではなく、「よみがえりといのちの主」を信じることなのだと。マルタの告白を超える私たちの魂の叫びを、この方に献げたいではありませんか。十字架の主は、私たちのいのちを贖い、御国へと招いて下さるのですから。



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