ヨハネによる福音書


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愛ある歩みを
ヨハネ 10:40−11:16
エレミヤ    31:2−67
T 核心的メッセージ開始の合図が

 今朝は、ヨハネが取り上げたイエスさま七つの奇跡の最後、「ラザロのよみがえり」に入ります。マルタ、マリヤをも含めたその記事は、過越祭までの三ヶ月が終わって、最後の一週間に差し掛かる直前の出来事です。その記事の序文のように、2:23-25、4:43-45に続く、イエスさまの公的活動三番目の要約があります。まず、その記事から考えてみたいと思います。「そして、イエスはまたヨルダンを渡って、ヨハネが初めにバプテスマを授けていた所に行かれ、そこに滞在された。多くの人々がイエスのところに来た。彼らは、『ヨハネは何一つしるしを行わなかったけれども、彼がこの方について話したことはみな真実であった。』と言った。そして、その地方で多くの人々がイエスを信じた。」(10:40-42)

 「ヨハネがバプテスマを授けていた所」は「ヨルダンの向こう岸のベタニヤ」(1:28)で、イエスさまはそこでヨハネからバプテスマを受けられたのですが、その記事を省いた福音書記者ヨハネは、そこに登場されたイエスさまを、「見よ。世の罪を取り除く神の小羊」(1:29)と指し示し、人々にこの方こそ、「聖霊のバプテスマを授ける神の子」(1:33-34)と言ったと、バプテスマのヨハネの証言だけを浮き彫りにしています。それは、ここから「地上を歩まれる先在のロゴス=人の子」としての「神の子」の歩みが始まったと、バプテスマのヨハネと福音書記者ヨハネの証言なのでしょう。福音書記者ヨハネは、「多くの人々がイエスを信じた」と、この要約の核心的記事をもって、イエスさま三年間の公的活動を締め括ります。それは、地上を歩まれた人の子・イエスさまの中心である最後の大事業・十字架とよみがえりの出来事がいよいよ始まるのだとする、高らかな宣言となっています。ですからヨハネは、この要約を、人々の心を煌々と照らす「ともしびの祭り(宮きよめ)」に始まる10:21-39節の結語のように加えました。しかし、まだ、人々がイエスさまの何を信じたのかは明らかにされていません。恐らくそれは、先の二つの要約と同じように、極めて曖昧な信仰であったろうと思われますが、イエスさまを信じるとは、十字架とよみがえりの主が私たちを永遠の御国に招いて下さる、その恵みとまこと(1:14)を信じることなのだと、ヨハネの核心的メッセージ開始の合図が、この要約に込められたのではないでしょうか。その意味でここは、「ラザロのよみがえり」の序文になっているのです。


U 昼の光の中に数えられて

 ヨハネの核心的メッセージが込められた、「ラザロよみがえり」の記事が始まります。ヨハネはここに、いくつもの主題を、段落ごとに分けて語っているようです。一回目は、16節までです。

 「さて、ある人が病気にかかっていた。ラザロといって、マリヤとその姉妹マルタとの村の出で、ベタニヤの人であった。このマリヤは、主に香油を塗り、髪の毛でその足をぬぐったマリヤであって、病んでいたのは彼女の兄弟であった。」(11:1-2) ベタニヤは、ケデロンの谷を挟んでエルサレムと向き合うオリーブ山南東の斜面にある小さな村で、彼女たちの家は、エルサレムでのイエスさまの定宿でした。弟(?)の病いを心配した姉妹は、イエスさまに使いを送りました。「主よ。ご覧ください。あなたが愛しておられる者が病気です」(3)一家のことを良く知っておられるイエスさまは、すぐそれがラザロであると分かりました。「イエスはマルタとその姉妹とラザロとを愛しておられた」(5)とあるヨハネのコメントは、その辺りの事情を伝えており、この記事の中心が何であるか、その伏線としているのでしょう。ラザロは、彼女たちが使いを送ったすぐ後に亡くなっていたようです。しかし、イエスさまは、「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです。神の子がそれによって栄光を受けるためです」(4)と言われ、すぐにベタニヤに行こうとはされません。「このようなわけで、イエスは、ラザロが病んでいることを聞かれたときも、そのおられた所になお二日とどまられた」(6)とあります。そのとき、イエスさまは、エルサレムから一日路ほど離れたところにおられました。「神の栄光のため……」と、これは、生まれつき盲目だった若者に出会った時(9:3)の言い方にそっくりです。しかしヨハネは、一層の緊迫感をもって、この記事を伝えようとしています。過越の祭り、すなわち、十字架の出来事が間近に迫っていました。

 三日目になって、イエスさまが「もう一度ユダヤに行こう」(7)と言われると、弟子たちには、一気に緊張が走りました。「先生。たった今ユダヤ人たちが、あなたを石打ちにしようとしていたのに、またそこにおいでになるのですか?」(8) ユダヤ人がイエスさまに石をぶつけようとした時から(10:31)さほど時間は経っていません。弟子たちは、イエスさまを、神さまから遣わされて世に来られた「キリスト・神の子」であると信じ、イエスさまが神さまを父と呼ぶことも受け入れてはいましたが、感覚的には、ユダヤ人の律法に基づく正義感をも理解していたのでしょう。ですから、彼らとの摩擦は避けて欲しいと、イエスさまを諫めるほど腰が引けています。イエスさまはそんな弟子たちに、「昼間は12時間あるでしょう。だれでも、昼間歩けば、つまずくことはありません。この世の光を見ているからです。しかし、夜歩けばつまずきます。光がその人のうちにないからです」(9-10)と言われますが、これは、石をもってイエスさまを封じ込めようとする者は、夜うごめく者であるが、君たちは光(神さま)の中を歩む者なのだよ、と言っておられるようです。光の中をと聞いた、弟子たちは変わり始めます。


V 愛ある歩みを

 それでもまだ腰が引けている弟子たちに、イエスさまは、「わたしたちの友ラザロは眠っています。しかし、わたしは彼を眠りからさましに行くのです」(11)と言われました。これを聞いた弟子たちは、「眠っているのなら、彼は助かる」(12)と安心したのではないでしょうか。彼らにとっても、ラザロは親しい友人でした。この「友」ということばは、ギリシャ語原典では「愛する者」ということばであって、3節と5節に続いて、イエスさまだけでなく、弟子たちとラザロ一家との愛の交わりを浮き上がらせています。恐らくヨハネは、彼らの愛に富む交わりを強調することで、イエスさまの教会が志さなければならないことに触れたのでしょう。黙示録でエペソ教会が言われた「初めの愛から離れてしまった」(2:4)という警告を持ち出すまでもなく、迫害と殉教の時代を迎えた紀元一世紀末のローマ・ギリシャ世界の教会にとって、「愛の教会」という意識は、ことさら大切な要素でした。

 ところで、「眠っている」と聞いたのに、実は、ラザロは亡くなっていました。イエスさまはそのことを弟子たちに明らかにします。「ラザロは死んだのだ。わたしがその場に居合わせなかったのは、あなたがたにとってよかった。あなたがたが信じるようになるためである。さあ、彼のところへ行きましょう」(14-15新共同訳) ベタニヤに行くべきかどうか迷っていた弟子たちは、イエスさまから「ラザロは死んだのだ」と聞き、決断します。口火を切ったのは、デドモと呼ばれたトマスでした。「私たちも行って、主といっしょに死のうではないか」(16) 変わり始めた弟子たちがイエスさまを信じる信仰に立とうと決断したその瞬間を、ヨハネは、このように生き生きと描きました。そこに、「私たちの愛する者のために」という意識が働いていたことは、言うまでもありません。

 「愛の教会」という意識は、イエスさまを介して成立します。教会を社交場とするような人間本意の愛・エロースによるものでは断じてありません。イエスさまが愛して下さったから私たちは互いに愛し合うのです。イエスさまが私たちを愛して下さったその愛は、言うまでもなく、イエスさまの十字架とよみがえりに凝縮しています。ラザロの記事には、その中心とも言うべきところがあります。「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか」(11:25-26) ラザロはその通りによみがえるのですが、彼の死と復活は、間近に迫ったイエスさまの十字架とよみがえりを予表しています。弟子たちの決断は、そこまで踏み込んだからこそ、なし得たのではないでしょうか。若かったヨハネの、その時の感動が伝わって来るようです。これは、エペソ教会での、ヨハネのメッセージなのです。エペソ教会の愛の歩みは、回復していったであろうと想像します。私たちも十字架とよみがえりの主を信じて、愛ある歩みを志そうではありませんか。愛が冷えて行く現代社会に抗して。



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