ヨハネによる福音書


42
大きく羽ばたいて
ヨハネ  9:13−34
イザヤ 40:27−31
T あの方は預言者だと……

 イエスさまは、生まれつき盲目だった人の目を、見えるようにされました。彼が見えるようになっていることに気付いた近所の人たちが、「どうして見えるようになったのか」といろいろ尋ねましたが、ただ「イエスという方が……」(11)と言うだけで、何とも要領を得ません。また、その目を癒やしたというイエスさまがどこにいるのかも分かりません。とりあえず彼らは、その男を、近くのシナゴグ(ユダヤ人会堂)のパリサイ人たちのところに連れて行きました(13)。「その日は安息日」(14)で、そこでは安息日礼拝が行われていましたから、そこに行けばきっと、偉い先生たちがこの不思議を解明してくれるだろうし、もしかしたら、イエスさまもそこにいるかも知れないと思ったのでしょうか。しかし、彼らの期待は、見事にはずれました。イエスさまはいませんし、パリサイ人たちはその不思議を解明しようとしましたが、その日が安息日だったことから、彼らの間で意見が分かれたのです。発端は、「どうして見えるようになったのか」と問われて、見えるようになった盲人が、「あの方が私の目に泥を塗ってくださって、私が洗いました。私はいま見えるのです」(15)と答えたことによります。そこには、こうあります。「パリサイ人の中のある人々が『その人は神から出たのではない。安息日を守らないからだ。』しかし、ほかの者は言った。『罪人である者に、どうしてこのようなしるしを行なうことができよう。』そして、彼らの間に分裂が起こった。」(16) 今朝のテキスト13-34節でヨハネは、この盲目の男とパリサイ人たちの立ち方に焦点を合わせています。

 パリサイ人たちが尋ねました。「あの人が目をあけてくれたことで、あの人を何だと思っているのか。」彼が答えます。「あの方は預言者(だと思います)」(17) これはイエスさまから自分の不行跡を指摘されたサマリヤの女も用いた尊称ですが、そのような尊称を、こんなにも超自然的、奇跡的な力を行使されるお方に、驚きと尊敬の念を込めて言ったのでしょう。ところがパリサイ人たちは、「目が見えるようになったこの人について、彼が盲目であったが見えるようになったということを信ぜず」(18)、疑いの目を捨てることが出来ません。そこで彼らは、彼の両親をシナゴグに呼び出しました。34-35節には「パリサイ人たちが彼を外に追い出した」とあり、イエスさまは「彼が追放された」ことを聞いたとありますから、彼らはシナゴグで男を尋問し、シナゴグに両親を呼び出したのです。シナゴグは彼らの牙城であり、彼らの権威の象徴でした。彼らが居丈高なのも頷けます。


U 人々の立ち位置は

 パリサイ人たちと両親の会話はこうです。「お前たちが盲目で生まれたと言っている倅はこの者か。それなら、どのようにして今は見えるのか。」「この者が私どもの倅であること、盲目で生まれたことはわかっていますが、どのようにして今は見えるのか、私どもにはわかりません。誰が彼の両目を開けたのか、この私どもにはわかりません。本人にたずねて下さい。もう大人です、自分のことは自分で語るでしょう。」(19-21岩波訳) パリサイ人の質問は、恐らく、岩波訳のように威張った物言いだったに違いありません。しかし、知っていることを正直に話すのは危険だと、両親は判断したのでしょう。この時点で両親は、息子の目が見えるようになったこと、それは、近頃、預言者ではないか、メシアだろうかと評判になっている、イエスさまがなさったことであると、呼びに来た近所の人たちから聞いていました。「彼の両親がこう言ったのは、ユダヤ人たちを恐れたからであった。すでにユダヤ人たちは、イエスをキリストであると告白する者があれば、その者を会堂から追放すると決めていたからである。」(22)と、ヨハネは付け加えています。

 ところで、ヨハネはこの記事を、思い出しながら書いているのですが、実は、共観福音書にはこの記事自体がなく、「イエスをキリストであると告白する者があれば、その者を会堂から追放すると決めていた」などということも、一切ありません。そればかりか、イエスさま逮捕のときにも、ユダヤ教当局者は、弟子たちには全く手を出そうとはしていないのです。共観福音書はいづれも、イエスさまの出来事を事実として書き留め、後世の人たちにイエスさまのファクトを残すことを目的に書かれました。ですから、イエスさま以外の人たちを迫害のターゲットにしたという事実はなかったと言えるでしょう。それを、なぜヨハネはここで、キリスト者迫害の第一条件のように持ち出しているのでしょうか。後期ユダヤ教の典礼文「十八の祈り(シェモーネ・エスレー)」の第十二の祈りに、「ナザレ人とミンニームは瞬時に追い出せ。彼らを生命の書から消し去り、義人と共に書き留めるな」とあるそうです。ナザレ人はキリスト教徒、ミンニームは特にユダヤ教から改宗したキリスト教徒を指し、この反異端の祈りは、紀元85年、エルサレム陥落後に、ユダヤ教の中心地となったヤブネで公にされたとありました(NTDヨハネによる福音書、昭和50年)。ヨハネは、そんなユダヤ教の動きを敏感にキャッチしていたのかも知れません。そしてもう一つは、今まで何度も触れて来たように、ヨハネの目が、ローマ・ギリシャ世界の教会に注がれていたからです。「私はキリスト教徒である」と告白した者だけに迫害の手が及ぶ。それがトライアヌス帝の施策でした。すると、ヨハネがこの記事をこの福音書に収録したのは、当時の異邦人教会の人たちに是非とも聞いてほしいメッセージがあってのことと思われます。ヨハネがこの記事の中心と位置づけるメッセージが始まります。


V 大きく羽ばたいて

 パリサイ人たちに詰問された盲目の男は、「あの方……」と、それがイエスさまであることを曖昧にし、彼の両親も、「分かりません」と、イエスさまの名を伏せました。それなのにパリサイ人たちは、その方がイエスさまであると気付いています。しかし、その口を割ることは難しく、これ以上尋ねても無理と判断したのでしょう。彼らは、両親を帰し、恐らく家に戻っていたであろう息子を呼び出しました。彼らは、権威の牙城から一歩も出ようとはせず、再び息子への尋問を開始します。

 「神に栄光を帰しなさい。私たちはあの人が罪人であることを知っているのだ。」「あの方が罪人かどうか、私は知りません。ただ一つのことだけ知っています。私は盲目であったのに、今は見えるということです。」「あの人はおまえに何をしたのか。どのようにしてその目をあけたのか。」「もう話したのですが、あなたがたは聞いてくれませんでした。なぜもう一度聞こうとするのです。あなたがたも、あの方の弟子になりたいのですか。」「おまえもあの者の弟子だ。しかし私たちはモーセの弟子だ。私たちは、神がモーセにお話しになったことは知っている。しかし、あの者については、どこから来たのか知らないのだ。」(24-29)とこの会話は、居丈高なパリサイ人たちの一方的な命令口調で進行していますが、「あなたがたも、あの方の弟子になりたいのですか」と言われ、思わず素直に「私たちはモーセの弟子だ」と答えてしまいました。その辺りから彼らは、盲人だった男のペースに巻き込まれているようです。両親が「あれはもう大人です」と言ったことばから、彼はまだ20歳そこそこの若者だったと思われますが、そんな若者が、ユダヤ教の教師たちを相手に、一歩も引き下がっていません。イエスさまを受け入れた者にはこのような骨太な一本の線が通るのだと、今、ヨハネは、エペソ教会の人たちに語りかけているのでしょう。

 「これは驚きました。あなたがたは、あの方がどこから来られたのか、ご存じないと言う。しかし、あの方は私の目をおあけになったのです。神は罪人の言うことはお聞きになりません。しかし、だれでも神を敬い、そのみこころを行なうなら、神はその人の言うことを聞いてくださると、私たちは知っています。盲目に生まれついた者の目をあけた者があるなどとは、昔から聞いたこともありません。もしあの方が神から出ておられるのでなかったら、何もできないはずです」(30-33) 彼は、「私たちは知っている」と言いました。パリサイ人から疎外されている人たちが他にもいる。彼は、そのような人たちを思いやる優しさを持っているのです。何と素敵な若者ではありませんか。彼の告白は次回になりますが、これからはもう彼の独断場です。社会的にも知的にも弱者だった者が、イエスさまと出会うことで大きく羽ばたくことができる。そんな信仰の世界を、私たちも構築して行きたいではありませんか。



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