ヨハネによる福音書


41
主の恵みに立つ
ヨハネ 9:1−12
哀歌 5:19−21
T 新しい価値観に

 10:22で宮きよめの祭りに言及されていますので、時は第9月(12月)25日から8日間と、仮庵の祭から三ヶ月ほど経っています。ということは、あと三ヶ月で過越の祭りを迎え、イエスさまの受難が始まるのですが、この頃、ユダヤ人指導者たちのイエスさまへの追求が、ますます激しくなっています。それは、ユダヤ人との論争が語られた八章の最後で、「彼らは石を取ってイエスに投げつけようとした」(59)とあるほどです。しかし、そんな中でもイエスさまは、貧しく、病んでいる人たちに差し伸べる手を、少しも休めることはありません。そんなお働きの中から、新しい弟子が誕生するのです。

 イエスさまと弟子たち一行は、「道の途中で、生まれつきの盲人を」(1)見ました。イエスさまたち一行は、エルサレム城壁外の東側を、ヒンノムの谷に沿って南に下っていたようですが、城壁を西に回り込んだ辺りに(当時は、城壁内)、この記事の舞台となるシロアムの池があります。その辺りは町外れで、のんびした田舎の風景が広がっています。そんな所まで足を伸ばされたのは、ユダヤ人との摩擦を避けたいという、イエスさまの意識なのでしょうか。

 「生まれつきの盲人」との出会い、ここには細かな描写は省かれていますが、イエスさまの一行に声をかけられ、彼が「生まれつきの盲人」だと分かったのでしょう。弟子たちが質問します。「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか」(2)因果応報という考え方は、いつの時代、どこの国にもありました。ユダヤも例外ではありません。もともと基本律法である十戒には、「主は怒るのにおそく、恵み豊かである。咎とそむきを赦すが、罰すべき者を必ず罰して、父の咎を子に報い、三代、四代に及ぼす」(民数記14:18)とあります。ところがこれが申命記の頃になりますと、「父親が子どものために殺されてはならない。子どもが父親のために殺されてはならない。人が殺されるのは、自分の罪のためでなければならない」(24:16)となり、預言者の時代には、それが度々繰り返されるようになります(エレミヤ31:29-30、エゼキエル18:4、20)。因果応報という考え方が広がっていたからでしょう。弟子たちのこの質問は、彼ら、また紀元一世紀末のギリシャ世界、さらに「教会」においても、人々がそんな古い考え方に囚われていたことを示しているようです。それは、単に因果応報というだけでなく、ユダヤ滅亡という現実に直面し、その責めを負った人たちの、痛みでもあったのでしょうか(哀歌5:7-8)。シロアムの池で盲人の目が開かれた出来事の発端が、弟子たちのこの質問から始まったのは、イエスさまの福音を土台とする、新しい価値観を教えるためではなかったかと思われます。


U 見えるようになって

 弟子たちの質問にイエスさまが答えられましたが、それは後回しにしましょう。まずは、この盲人に起こった出来事です。イエスさまは地面の土とご自分のつばで泥を造り、それを彼の目に塗って、「シロアムの池で洗いなさい」(7)と言われました。そして彼は、言われたようにシロアムの池に行って目を洗い、見えるようになりました。このシロアムの池は、何百bか離れたところにある、「ギホンの泉」から水路で引かれて造られた池で、長い階段を下りて行くようになっています。目の不自由な者にとって、そこに辿り着くのは極めて困難だったと思われますが、彼は命じられた通りにし、新しい視力が与えられました。このシロアムには(訳して言えば、遣わされた者)と、その意味が付加されています。これは「遣わす」というヘブル語から派生した(水を)「通す」という意味のことばですが、それをヨハネは「遣わされた者」という名詞形(分詞)にして、イエスさまに結びつけたのでしょう。つまり、「つば」や「泥」や「水」や「シロアムの池で洗うという行為」が癒やしにつながったのではなく、「洗いなさい」と言われた方の命令から生まれた奇跡であると、これは、エペソ教会での、ヨハネのメッセージでした。それは、エペソ教会に来ているローマやギリシャの人たちが、そんな魔術的奇跡をイエスさまを信じる信仰に重ねていたからでしょう。ヨハネにしては珍しく、回りくどい治療の手順が描かれていますが、その中心は、イエスさまのことばなのです。

 ヨハネはここに、彼を見知っていた人たちの反応と、盲人との会話を記録しています。
 「近所の人たちや、前に彼がこじきをしていたのを見ていた人たちが言った。『これはすわって物乞いをしていた人ではないか。』ほかの人は、『これはその人だ。』と言い、またほかの人は、『そうではない。ただその人に似ているだけだ。』と言った。当人は、『私がその人です。』と言った。そこで、彼らは言った。『それでは、あなたの目はどのようにしてあいたのですか。』彼は答えた。『イエスという方が、泥を作って、私の目に塗り、シロアムの池に行って洗いなさい。と私に言われました。それで行って洗うと、見えるようになりました。』また彼らは彼に言った。『その人はどこにいるのですか。』彼は、『私は知りません。』と言った。」(8-12) ヨハネはここに、近所の人たちの反応を取り上げています。実は、7節の「彼は見えるようになって、帰って行った」という証言は、イエスさまや弟子たちのものではなく、「近所の人たち」が確認したことだったのです。この人たちは、見えるようになった男がすたすたと歩いているのを目撃しました。何げなくすれ違うところだったのでしょうが、誰かが、彼をあの盲人の男であると認め、一体何が起こったのかと大騒ぎになりました。


V 主の恵みに立つ

 それはそうでしょう。近所の人たちですから、彼の目が見えないのは生まれつきだったことも知っていました。その目が見えるようになっているのですから。彼らは、見えるようになった本人を前に「これはすわって物乞いをしていた人ではないか」とか、「そうではない。ただその人に似ているだけだ」などと、様々な反応を示しています。その声から、彼らが自分の近所の人たちであることが分かった彼は、「お前の目はどのようにしてあいたのか」と問われ、「イエスという方が、泥を作って、私の目に塗り、『シロアムの池に行って洗いなさい。』と私に言われました。それで行って洗うと、見えるようになりました」と答えます。そんな会話を、ヨハネは、この男から聞いたのでしょう。ヨハネは、近所の人たちを、イエスさまの不思議の証人に仕立てているようです。

 さて、保留にしていた「イエスさまのことば」のことです。この福音書執筆時にヨハネは、弟子たちの質問に合わせてこれを物語の発端に入れました。これは、この物語を彩るヨハネのメッセージなのです。「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか」(2)「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現わされるためです。わたしたちは、イエスさまを遣わした方のわざを、昼の間に行わなければなりません。だれも働くことのできない夜が来ます。イエスさまが世にいる間、イエスさまは世の光です」(3-5)とこれは、ヨハネからエペソ教会の人たちへのメッセージであると同時に、問いかけでもあったのでしょう。「近所の人たち」にも似た寄り合い所帯のようなエペソ教会の人たちに、「あなたがたは、神さまのわざであるイエスさまの恵みの証人になるのだ」と、ヨハネの願いが伝わって来るではありませんか。

 先に民数記やエレミヤ書から、親の罪咎が子や孫にも引き継がれていたこと、また、預言者の頃には罪の報いは犯した本人の責任になっていたことなど、イスラエルの伝統的律法観に触れました。恐らくローマ・ギリシャの世界にも、似たような二つの価値観(どちらも「目には目を、歯には歯を」というものです)が広がっていたのでしょう。「だれも働くことのできない夜が来る」とこれは、律法的価値観に基づく中では、罪の赦しを求めても得られない社会を指しているのでしょう。現代は、そんな闇に覆われた時代であると言っていいのではないでしょうか。しかし、イエスさまの十字架に罪赦された者は、そんな価値観にも縛られることはないのだと、このメッセージをもってヨハネは、キリスト者の価値観確立を願っているようです。イエスさまを信じる者たちの価値観は、イエスさまの十字架の恵みを基準に確立していくのです。それは、今の時代にも有効であり、第一に聞くべきことはこれであると覚えたいのです。イエスさまは「世の光」であり、その光に照らされた者たちも、「あなたがたは世の光」(マタイ5:14)と呼ばれるのですから。



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