ヨハネによる福音書


34
神さまのことばに
ヨハネ 7:45−52
詩篇  119:105
T 権力構造の中で

 「それから役人たちは祭司長、パリサイ人たちのもとに帰って来た」(45) この役人たちは、32節で祭司長(一人)とパリサイ人たちからイエスさま逮捕に派遣された、神殿警察のレビ人たちでした。ここに記される「祭司長」ということばは、常時複数形で用いられていますが、大祭司や神殿警察長官など、司法・行政の長を輩出した、ごくわずかな名門祭司貴族を指しているようです。しかし、役人を顎で使いながら「長官」と言われていないところをみると、彼は、神殿警察長官を経験した、無役のOBではなかったかと思われます。そんな無役のOBが、イエスさまの噂を聞きつけ、これは自分たちの権力構造に重大な支障を及ぼすことになると危機意識を持ち、普段は仲の悪いパリサイ人たちと組んで、イエスさま逮捕に踏み切ったのです。ヨハネが、そんなエルサレムの権力構造やその内情、意識にまで通じていたのは、多分、母サロメを通して、大祭司の知り合い(18:15-16)だったからでしょう。

 現役の長官命令なら、役人たちはその命令に絶対に従わなければなりません。ところが、無役のOBなら、そんな責任や義務は発生しません。それでもこの役人たちは、イエスさまを逮捕しようと捜し回ったのでしょう。しかし、再登場した彼らは、手ぶらで帰って来ました。そして、祭司長やパリサイ人たちから「なぜあの男を連れて来なかったのか」(45)と咎められますが、「あの人が話すように話した人は、いまだかつてありません」(46)と言い訳までしています。この祭司長には、それが通用すると思ったのでしょうか。彼らは早くにイエスさまを見つけていましたが、逮捕も連行もしていません。派遣された32節から再登場の45節まで何日か経過しているようですが、その間彼らは、イエスさまについて回り、その話に引き込まれていたのです。人々が街中でキャンピングしている仮庵の祭の最中であったことが、そんな彼らの行動を覆い隠していたのでしょうか。もしかしたら彼らは、民衆と共にイエスさまを、「あの方は、確かにあの預言者なのだ」(40)とか、「この方はキリストだ」(41)と告白していたのではないかと、そんな想像さえ膨らんできます。

 すると、パリサイ人たちが言いました。「おまえたちも惑わされているのか。議員とかパリサイ人のうちで、だれかイエスを信じた者があったか。だが、律法を知らないこの群衆は、のろわれている」(47-49) 「議員」とは、最高議会(サンヒドリン)のサドカイ派議員のことで、「パリサイ人」は、彼らのライバルでした。イエスさまのような人を惑わす者たちを判定し咎めるのは「自分たちの務め」だと、彼らの思い上がった尊大さが、浮かび上がって来るようです。彼らにとって、イエスさまを信じる者たちなど、アム・ハ・アレーツ(地の民)と呼ばれる、賤民なのです。しかしヨハネは、権力側にありながら賤民にされてしまったこの役人たちの立ち方に、神さまの軍配を上げています。


U 律法に凝り固まって

 ところで、パリサイ人たちがイエスさまを信じた人たちを「律法を知らない群衆」と毒づいたのには、わけがあります。その頃、ヘブル語で聖書(旧約聖書)を読むことの出来るユダヤ人はさほど多くはなく、アラム語訳やギリシャ語訳で読む人たちが増えていたからです。しかし、いづれにしても、ユダヤ人の宗教は、ギリシャ・ローマのように社会の要求から生まれた宗教ではなく、ヤハウェの啓示に基づくものですから、彼らは古くから、その啓示の書である聖書を誇りとし、唯一の信仰の規範として来ました。そんなユダヤ教徒たちが、律法を知らないわけがありません。しかしパリサイ人たちには、その民衆に律法を教える務めに任じられているとの、自負がありました。しかも、彼らが言う「律法」には、旧約聖書にあるモーセの律法だけでなく、タルムッドやミシュナと呼ばれる、優れた律法学者たち(ラビ)の語録もあって、彼らは、それらの書物を聖書に準じたものとして重んじ、そこに記された細かな規定全般を、律法に加えていたのです。彼らはそれらを専門的に研究し、それら「律法」を遵守するよう民衆に強制していました。その意味で彼らは、民衆を「律法を知らない者」とバカにしていたのです。「律法学者」は、パリサイ人の中でも、特に律法研究に抜きんでたエキスパートとして区別された人たちでしたが、ある意味で彼らは、祭司やサドカイ派の議員たちをも律法の素人として民衆の列に加え、上から目線で優越感に浸っていたのかも知れません。もしかしたら、律法にタルムッドやミシュナを取り入れたのは、自分たちの権力を守りたいがため……だったのかも知れません。イエスさまの時代には前期ユダヤ教もかなり変質していて、紀元70年に終結したユダヤ戦争後、それは後期ユダヤ教と呼ばれるようになりますが、イエスさまの時代は、その過度期でした。後期ユダヤ教はヤハウェ信仰の混乱期と考えていいでしょうが、この時期すでに、その混乱期に入っていたのでしょう。

 その後期ユダヤ教の時代に、海外の教会でも彼らは、教えるのは自分たちの務めだと、指導者であることを主張していました。エペソ教会にも、そんな人たちが入り込んでいたのでしょう。そして、教会の中にも、ユダヤ人というだけで指導者として重んじる問題の体質があったのです。当時、ギリシャ世界には、キリスト教徒をユダヤ教の一派とする感覚が一般的に通用していました。そもそもユダヤ人の中に、その意識が強かったようです。ヨハネはそうした問題点をしっかり見つめ、婉曲にたしなめているのでしょう。「福音」は、他のどんな教えをもってしても代えることは出来ないものであると、それがヨハネの確固たる主張でした。役人たちの、「あの人が話すように話した人は、いまだかつてありません」(46)は、そんなヨハネの意識を、見事に代弁しているではありませんか。


V 神さまのことばに

 ヨハネは、そんなギリシャ世界にある教会へのメッセージに、更に補足します。ニコデモの登場です。「彼らのうちのひとりで、イエスのもとに来たことのあるニコデモが彼らに言った。『私たちの律法では、まずその人から直接聞き、その人が何をしているのか知ったうえでなければ、判決を下さないのではないか。』彼らは答えて言った。『あなたもガリラヤの出身なのか。調べてみなさい。ガリラヤから預言者は起こらない』」(50-52) ニコデモは「彼らのうちのひとり」とありますから、パリサイ人であり、サンヒドリンの議員でした。三章で「ユダヤ人指導者」とあるのは、その知名度の高さからだけでなく、他のパリサイ人たちにとって、彼は先輩であると言っているのでしょう。彼が最初にイエスさまのところに来てから二年以上は経っていますが、再登場したこの記事では、すっかりイエスさまシンパになっています。彼は、同僚のパリサイ人たちがイエスさまを批判するのを聞いて、「私たちの律法では、まずその人から直接聞き、その人が何をしているのか知ったうえでなければ、判決を下さないのではないか」とたしなめました。申命記17章にも、「よく調査しなさい」(4)とあります。しかし彼らは、「ガリラヤから預言者が出たためしはない」と、あっさりニコデモの異議申し立てを退けてしまいます。

 パリサイ派は、バビロン捕囚期に誕生して以来、前期ユダヤ教を牽引して来た、律法遵守を標榜するグループです。彼らには、バビロン軍の猛攻を受けてユダヤが滅びたのは、預言者たちがヤハウェの託宣を伝え、警告してくれたのに、自分たちはそれに従わなかった。そればかりか、偽預言者たちのことばを聞いてしまったという真摯な反省があって、だから、ヤハウェの啓示の書である聖書(具体的には、モーセの律法)を厳しく守らなければならないと、それが彼らの信仰であり、正義でした。イエスさまを偽預言者とするのは、そうした彼らの事情によるのでしょう。しかし、その志した伝統も五百年以上の時を重ねて、いつの間にか神さまの啓示に従うところから離れ、自分たちの正義や、握った地位とか権力に固執することに囚われてしまったのです。先輩である筈のニコデモにさえ、「あなたは間違っている」と言わんばかりに、自分たちの正義を貫こうとしています。ヨハネは、七章で取り上げたユダヤの神学上の混乱に、破滅へと向かう彼らの正義までも加えています。恐らく、エペソ教会のユダヤ人たちにも、分派が起こっていたのでしょう。ニコデモの立ち方に言及したのは、「聖書のことばに、真摯に耳を傾けなさい」という、ヨハネのメッセージなのかも知れません。自分の正義を振り回すのではなく、神さまのことばに聞くのだと……、覚えたいですね。



Home