ヨハネによる福音書


33
生ける水の川が
ヨハネ 7:37−44
詩篇  46:1−11
T 雨乞いの祭りに

 仮庵の祭も八日目、最終日になりました。ヨハネはこの段落を、「祭りの盛大な最終日に、イエスは立ったまま叫んだ」(37岩波訳)と始めます。この最終日の八日目は、通常、何の行事も行われないまま終わっていたようですが、ヨハネが「盛大な」と言っていることから、批評的聖書学者たちは、これをそのことを知らない後世の付加であろうと考えています。恐らくヨハネは、そのことを知った上で、実際にイエスさまが立ち上がり、声を張り上げて語られたと、それをそのまま「盛大に」「立ったまま(大声で)叫んだ」と表現したと思われます。ユダヤのシナゴグで行われる礼拝では、聖書を読むときには立ち上がり、メッセージを語るときには座る、というのが普通のスタイルでしたから、ヨハネは、そのときのイエスさまの迫力を、強烈に思い出していたのでしょう。

 イエスさまが力を込めて話されたメッセージは、「水」に関するものでした。
 「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる」(37-38) 何週間か前に仮庵の祭の説明(ヨハネの福音書30)をしたとき、人々はゼカリヤ書を読みながら神さまの恵みを思ったと言いました。そこには、「その日には、エルサレムから湧き水が流れ出て、その半分は東の海に、他の半分は西の海に流れ、夏にも冬にも、それは流れる」(14:8)とあります。どこの国どこの地方でも、時代を問わず、農作物に水が必要なことは言うまでもありません。特に、たくさんの荒野や砂漠を抱えたイスラエルとその近辺の国々では、水不足がおきますと、たちまちその地方一帯に飢饉が広がってしまいます。仮庵の祭は、収穫祭でしたが、「雨乞いの祈りの祭り」でもあったのです。この地方は6-9月の乾期と11-3月の雨期に分かれていて、雨期の前後には、4-5月の「先の雨」と9-10月の「後の雨」の期間があります。それらはいづれも収穫の時期に重なっていますから、雨は欠かすことのできない大切なものでした。ところが、その「先の雨」「後の雨」の時期には雨が少なく、しばしば熱風が吹きまくり、作物が被害にあうことがありました。収穫の前に降る適度な雨は、その年の収穫にとって、非常に重要だったのです。仮庵の祭に「雨乞いの祈り」という意味が込められたのは、そのためです。今でも、ヨルダンのアラブ人たちは、イスラエル共和国で仮庵の祭が行われている間に雨が降るかどうか、注意深く見守っているそうです。農業に養われているからでしょう。
 イエスさまの水をテーマにしたメッセージは、そのようなタイミングで語られたのです。


U 主の恵みが

 雨乞いの儀式がどのように行われていたのか、詳しい様子は分かりませんし、それをここで説明しようとも思いませんが、様々な儀式が行われていたであろうことは想像に難くありません。イエスさまは、そんな形式張った儀式など何の役にも立たない。それより、「渇いているなら、わたしのもとに来なさい。わたしが飲ませてあげよう。わたしを信じる者は、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる」と言われたのです。イエスさまは、サマリヤの女にもこう言われました。「わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます」(4:14) 「川のように流れ出る」「泉となりわき出る」と、イエスさまから頂く水は、それを飲む人の渇きを癒やすだけでなく、必要に応じて他の人にも分け与えることが出来るほど、豊かな水量になって行くのです。それを聞いてサマリヤの女は、イエスさまをキリストであると信じました。

 ところで、ここに言われる「水」は、何を指しているのでしょうか。
 その「水」のことを、少し考えてみたいと思います。飲む水、作物への水などの違いはありますが、水は、いつの時代のどんな地域でも、人間ばかりか、生ある全てのもののいのちを育んできました。しかし、その雨が、いつでも必ず恵みの雨になるとは限りません。先の雨は雨期の延長でしたし、後の雨は雨期に続いていました。恵みと思った雨が、何もかも押し流してしまう洪水になったこともあったようです。水の豊かな日本のようなところでも、水はしばしば甚大な災害をもたらします。……すると、モーセの時代に、ネゲブの荒野で、岩から水が出て人々の渇きを癒やしたという体験はどうなるのか。それは、神さまのあわれみによるものではなかったのか。たとえイスラエルの様式であっても、カナン各地の異教と同じように雨乞いの儀式をするのは、神さまの御心に適うかどうか考えてみる必要があると、ヨハネの思いが伝わって来るようです。「これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである」(39)と、ヨハネは告知しました。そこに「イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである」(39)と加えたのは、イエスさまが昇天された後に弟子たちに注がれた聖霊を意識してのことでしょう。この表現は、文献的に舌足らずの感がぬぐえませんが、「私たちもその御霊を受けた」というヨハネの、証言に他なりません。主の恵みが注がれたのです。その恵みこそ、収穫を願って祭りに来ていた人々の、最も必要なことでした。それは、ヨハネが暮らしているローマ・ギリシャ世界でも、同じだったに違いありません。


V 生ける水の川が

 世界の気候を考えますと、日本のように四季がはっきりしているところはほとんどなく、雪が降る冬と雪が降らない夏だけの寒冷な地域、豪雨と猛暑が繰り返される熱帯性気候の地域、雨が極端に少ない乾燥地帯と、乾期と雨期の二季制のところが多いようです。それも、どちからに偏っているのです。しかし、乾湿いづれに偏ろうとも、国土の不作を他国への侵略で補おうと、「水」を巡る問題は、古くから民族や部族抗争の原因となりました。「水」はあらゆる文明の原点なのです。その「文明」を巡って、人間の歴史に、争いは絶えませんでした。パレスティナからギリシャ地方にかけても、そんな世界でした。そんな世界に生きていた人たちにとって、イエスさまが語られたこのメッセージは、ずしりと重く響いたのでしょう。聞いていたある者は「あの方は、確かにあの預言者なのだ」(40)と言い、またある者は「この方はキリストだ」(41)と言いました。「あの預言者」とは、申命記に「わたしは彼らの同胞のうちから、彼らのためにあなたのようなひとりの預言者を起こそう。わたしは彼の口にわたしのことばを授けよう。彼は、わたしが命じることをみな、彼らに告げる」(18:18)とある、神さまの約束です。イエスさまを、「あの預言者」或いは「キリスト」であると、人々の受け止め方は段階的ですが、やがて彼らは、イエスさまを信じる者として、教会に加わったのではないか……と想像します。この「彼ら」は、パレスティナのユダヤ人ではなく、ローマ・ギリシャ世界にいる、ヨハネのメッセージを聞いている人たちを指すと、聞いていいのではないでしょうか。

 しかしそこには、「キリストは(ガリラヤからは)出ないだろう」(41)と言う者も、イエスさまを捕らえようとした者たち(44)もいたのです。どちらも、イエスさまの抹殺を求めました。イエスさまをというより、イエスさまがキリストであること、イエスさまの福音を抹殺したかったのです。「信じる者は、……生ける水の川が流れ出るようになる」と言われたその生ける水を、「そんなものはない」と、徹底的に否定しかったのです。それは、何千年にも及ぶ人間の歴史の中で、繰り返されて来た神さまとの葛藤です。そしてそれは、現代人も同じであると言わなくてはなりません。信じる者には、自分ばかりか、他の人をも生かす「いのち・神さまの霊」がイエスさまによって頂けると、そんなことは聞きたくないのです。しかし、私たちが否定すれば、イエスさまが下さる「生ける水・永遠のいのち」は、ないものになるのでしょうか。そうではありません。十字架のイエスさまが恵みの主であることは、神さまの約束なのです。「川がある。その流れは、いと高き方の聖なる住まい、神の都を喜ばせる。神はそのまなかにいまし、その都はゆるがない」(詩篇46:4-5)「やめよ。わたしこそ神であることを知れ」(同10)とあります。世界各地で対立や紛争が激しくなっているこの現代に、それはまさに、私たちが聞くべきことばではないでしょうか。、愛と赦しに満ちた豊かな川のいのちの水を、イエスさまを信じる者となって、私たちも頂こうではありませんか。



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