ヨハネによる福音書


29
イエスさまに選ばれて
ヨハネ 6:60−71
申命記   7:6−8
T 十字架への決意が

 今朝のテキストの始まりを、少し考えてみたいと思います。「そこで、弟子たちのうちの多くの者が、これを聞いて言った。『これはひどいことばだ。そんなことをだれが聞いておられようか。』」(60新改訳)、「ところで、弟子たちの多くの者はこれを聞いて言った。『実にひどい話だ。だれがこんな話を聞いていられようか。』」(60新共同訳) 新改訳と新共同訳を並べてみましたが、大した違いはないように聞こえるでしょう。しかし、このあとのイエスさまのことば「このことであなたがたはつまづくのか。それでは、もし人の子がもといた所に上るのを見たなら、どうなるのか」(61-62)という組み合わせで聞きますと、その違いが浮かび上がって来るようです。「これはひどいことばだ。……」(60)と非難した弟子たちは、イエスさまの「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む」ことに反応したと大方の人たちは考えていますが、新改訳は、その立場に立って訳していると言えるでしょう。しかし、どうもヨハネの取り上げ方は違うようです。ヨハネは、ここから、弟子たちとイエスさまだけの舞台に、景色を一変させています。それは、イエスさまが「(天に)上る」という景色です。するとそれは、「わたしは(天から地上に)下って来たパンである」というイエスさまの最も根本的なヤハウェ証言に、多くの弟子たちが、信じられないと反応したということではないでしょうか。その意味で彼らは、ユダヤ人と同じように、イエスさまは地上を歩かれる神さまであるということに反応し、それを拒否したと言えるでしょう。新共同訳は、そのことを念頭に訳しています。訳としてはどちらも可能ですが、前後の文脈から考えますと、新共同訳に軍配を上げるのが妥当と思われます。

 もっとも、イエスさまが聖餐式の話をされたとき、カペナウムの会堂には弟子たちもいたと思われますから、ある意味で彼らも、イエスさまの「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む」に、他の人たちと同じように反応したと言えるでしょう。しかしその場合、彼らに理解出来なかったのは、そこに隠されている神さまの秘儀(聖餐式)でした。十字架を間近に控え「死ななければならない」と言われたイエスさまの哀しみを見抜けなかった彼らは、「全幅の信頼をわたしに寄せるか」というイエスさまの問いかけに、気づかなかったのです。それが彼らの問題の中心点でした。そうです。この時点で彼らは、イエスさまの「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む……」は、聖餐式の教えというより、「死ななければならない」というイエスさまの、十字架への決意と聞かなければならなかったのです。


U 教会儀礼ではなく、主の恵みとして

 もともと、イエスさまから「覚えよ」と命じられて始まった聖餐式(Tコリント11:23-28・これが最も古い聖餐式の記述)でしたが、それは、十字架が投影されたものなのです。聖餐式に与る者たちが覚えるべきは、そこで食されるパンやぶどう酒を通して、痛めつけられ、苦しめられたイエスさまのお身体、流されたイエスさまの血潮が、私たちのためであったとする意識です。そのことは、私たちの信仰なくしては、想像することも出来ません。しかしそれは、神さまの御霊(聖霊)のお働きがあって、始めて可能となるのです。紀元三世紀以降、聖餐式が執り行われるときに唱和されるようになった祈祷式文に、「エピクレーシス」というのがあります。そこには、「われらは祈りまつる。汝の聖なる教会の聖餐に、汝のきよき御霊を送り給わんことを。また聖餐にあずかるすべての聖徒たちの上に御霊を与え、彼らを一つとなし、聖霊を満たして真理に対する信仰を確立し給わんことを」とあるそうです。「いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです」(63)は、まさに、十字架の贖罪を語っているではありませんか。十字架上でご自分の肉を裂き、血を流すことでイエスさまは、死ななければならない私たちの身代わりになって下さいました。教会儀礼としての聖餐式で、パンを食し、ぶどう酒を飲むことが、私たちを神さまの民に加えるのではありません。イエスさまの十字架は罪の身代わりでしたが、父なる神さまがそれを承認されたが故に、私たちは生きる者となったのです。聖霊がそれを保証して下さいます。

 ところが、イエスさまの周りに集まっていた弟子たちの多くが、イエスさまをそのようなお方と認めていません。そして、ヨハネは、そんな弟子たちに、エペソ教会の人たちを重ね合わせているのです。彼らは、牧師ヨハネを中心に聖餐式を執り行なっていますから、その意味を、何回も聞いたことでしょう。それなのに、ある者たちは、教会の一員という意識で聖餐式に与ったことが、即、神さまの御国に入る資格を持つことであると理解したのでしょう。「あなたがたのうちには信じない者がいます」(64)は、そんな者たちに向けられたことばだったのかも知れません。少なくとも、新改訳で区切られたところ「―イエスは初めから、信じない者がだれであるか、裏切る者がだれであるかを、知っておられたのである―」(64)は、ヨハネの挿入句ですが、これは、イスカリオテ・ユダが想定されると同時に、迫害期の脱落者を咎めるものではなかったかと思われてなりません。ヨハネは、こんなイエスさまのことばでここを締め括ります。「それだから、わたしはあなたがたに、『父のみこころによるのでないかぎり、だれもわたしのところに来ることはできない』と言ったのです」(65)


V イエスさまに選ばれて

 ヨハネは、当時のことを思い出しながら、次の段落へと話を進めます。
 「こういうわけで、弟子たちの多くの者が離れ去って行き、もはやイエスとともに歩かなかった。そこで、イエスは十二弟子に言われた。『まさか、あなたがたも離れたいと思うのではないでしょう。』すると、シモン・ペテロが答えた。『主よ。私たちがだれのところに行きましょう。あなたは永遠のいのちのことばを持っています。私たちは、あなたが神の聖者であることを信じ、また知っています。』イエスは彼らに答えられた。『わたしがあなたがた十二人を選んだのではありませんか。しかし、そのうちのひとりは悪魔です。』イエスはイスカリオテ・シモンの子ユダのことを言われたのであった。このユダは十二弟子のひとりであったが、イエスを売ろうとしていた」(66-71)

 ガリラヤの民衆や多くの弟子たちがイエスさまを離れて行ったこと、ペテロの信仰告白、イスカリオテ・ユダの裏切り等々、ここに組み込まれたファクトは、同時期に起こったことではありません。共観福音書には、たとえば民衆の離反などは、かすかな痕跡が見られるものの、ヨハネのような明確な記事はありませんし、その後イエスさまは、ピリポ・カイザリヤに行かれ、「変貌山」と呼ばれるところに登って、モーセ、エリヤと会われた後、エルサレムに行かれます。弟子たちへの問いかけや、ペテロの信仰告白は、ピリポ・カイザリヤへの途上のことですし、イスカリオテ・ユダのことは、エルサレムでのことです。ヨハネが、そんな数ヶ月にも及ぶ時間を凝縮し、それらをここに重ねたのは、明らかに何らかの目的があってのことでした。ヨハネのその目的とは、何だったのでしょうか。

 ヨハネの中には、生涯忘れられない出来事が、痛みと共にこびりついていました。ヨハネはそれをこの記録から省いていますが、ゲッセマネの園でイエスさまが捕らえられたとき、「弟子たちはみなイエスを見捨てて逃げてしまった」(マタイ26:56)ことです。恐らく、今、迫害と殉教の時代を迎えた教会に、そんな人たちが続出していたのでしょう。現代はどうでしょうか。世俗化した教会につまずく人たちが多いと言われています。しかし、教会を離れた人たちは、イエスさまからも離れ、神さまからも遠いと感じているのではないでしょうか。ヨハネは、そんな人たちに、問いかけているのです。「イエスさまを離れてどこに行こうとするのか」と。イスカリオテ・ユダの名が上げられたのは、私たちもユダになる可能性があると示唆したものと思われます。ペテロの信仰告白はとても立派なものですが、イエスさまを信じたというのは、イエスさまに選ばれたということです。主体はイエスさまであって、私たちではないのです。そのことをはっきりさせるなら、誰もが、ペテロのような信仰告白をすることが出来るでしょう。もし、イエスさまから遠く離れていると感じているとしても、ユダのように別の者と手を結ぶのでなければ、「あなたはわたしのもの」と、イエスさまのお声を聞くことが出来るのです。主のお声を聞いて頂きたいと思います。イエスさまは、それを望んでおられるのですから……。



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