ヨハネによる福音書


24
信仰と真心を
ヨハネ  6:1−15
U列王 4:42−44
T 憐れみの思いが溢れて

 今朝のテキストは、共観福音書にも取り上げられている「五千人の給食」と言われる奇跡物語ですが、これはもう一つの「湖上歩行」(6:15-21)とともに、22節以下に続くイエスさまのお話の序文になっているようです。まず、「五千人の給食」に込められたメッセージを聞いていきましょう。

 「その後、イエスはガリラヤの湖、すなわち、テベリヤの湖の向こう岸へ行かれた。大ぜいの人の群れがイエスにつき従っていた。それはイエスが病人になさっていたしるしを見たからである。イエスは山に登り、弟子たちとともにそこにすわった。さて、ユダヤ人の祭りである過越が間近になっていた」(1-4)ガリラヤの湖を、当時のローマ皇帝・ティベリウスの名にちなんだガリラヤの首都の名、テベリヤ(そば)の湖と言い換えているのは、ローマ・ギリシャ世界の読者たちを念頭に置いているからでしょう。さらに、ヨハネにしては珍しく、「ユダヤ人の祭りである過越が間近になっていた」と、この出来事の時期に触れています。それは、イエスさまが、人々を癒やしたり教えたりと、忙しく働いているその時、十字架の出来事が間近に迫っていたことを暗示しています。そんな時期に、人々がイエスさまのことをどのように受け止めていたのか、それがヨハネの最大関心事でした。

 「イエスは目を上げて、大ぜいの人の群れが自分のほうに来るのを見て、ピリポに言われた。『どこからパンを買って来て、この人々に食べさせようか』」(5)共観福音書では、イエスさまがバプテスマのヨハネがヘロデ・アンティパスによって処刑されたことを聞かれ、船に乗ってどこかへ行ってしまわれたので、いつもの所だろうと、人々が陸路を走ってイエスさまのところに押し寄せた。そんな人々を「飼う者のない羊のような」と憐れんで、食物を……というのが真相のようですが、ヨハネはその一切を省いています。ピリポに「パンを買って来て……」と持ちかけているのはヨハネの記事だけで、イエスさまには初めから、この人たちを食べさせるという明確な意志が見られます。それは、この記事を締め括る、「人々は、イエスのなさったしるしを見て、『まことに、この方こそ、世に来られるはずの預言者だ』と言った」(14)、「人々がイエスさまを王とするために、むりやりに連れて行こうとしていた」(15)という、民衆の思いを問題にしているからでしょう。それが、22節以下に記されるパンの説話につながっているのです。


U 十字架への時を刻んで

 「もっとも、イエスは、ピリポをためしてこう言われたのであった。イエスは、ご自分では、しようとしておられたことを知っておられたからである。ピリポはイエスに答えた。『めいめいが少しずつ取るにしても、二百デナリのパンでは足りません。』弟子のもうひとりシモン・ペテロの兄弟アンデレがイエスに言った。『ここに少年が大麦のパンを五つと小さい魚を二匹持っています。しかし、こんなに大ぜいの人々では、それが何になりましょう。』」(6-9)とあります。この記事は、何らかの意図があって、ヨハネだけが書き加えているものですが、その意図を探ってみたいと思います。

 ここに登場するピリポとアンデレは、「五千人の給食」という出来事の証人に立てられたのでしょう。バプテスマのヨハネの弟子たちが「見よ。神の小羊」と言われてイエスさまと出会った1:35以下の記事を見ますと、二人はイエスさまの最初の弟子でした。ピリポに食物のことを尋ねたのは、彼が、この不思議の舞台となったガリラヤ湖北端すぐ近くの、ベッサイダの出身だったからでしょう。しかし、二人は、イエスさまの意図が分からないまま、とんちんかんな受け答えをしています。

 そのイエスさまの意図に、恐らく、だいぶ経ってからでしょうが、ヨハネは気づきました。
 大ぜいの人たちが回りに集まって来るそんな時が、残り少なくなっていました。間もなくイエスさまは、十字架にかかるためにエルサレムに上らなければなりません。過越の祭りが近づいていたからです。なぜ過越の祭りなのかと言いますと、イスラエルがエジプトを脱出したとき、神さまは、「わたしはエジプトの地を巡り歩き、彼らに裁きを下そう」と言われました。「しかし、イスラエルの家々にはしるしとして子羊の血を塗りなさい。それがあなた方のためのしるしとなり、わたしはその家々を通り過ぎよう」と、これが過越の祭りの由来(出エジプト12:3-14)ですが、ヨハネはその故事に、イエスさまの十字架を重ねているのです。しかし、まるでそれが発端のように、群れ集まっていた民衆ばかりか弟子たちまでが、イエスさまから離れて行くのです。66節に「弟子たちのうちの多くの者が離れ去って行き、もはやイエスとともに歩かなかった」とあります。「五千人の給食」は一つの切っ掛けに過ぎませんが、これは、そんな民衆と弟子たちの心を試すかのような出来事でした。「ピリポをためして……」も「ご自分ではしようとしておられたことを知っておられた」も、間近に迫った十字架への時を刻みながら、ヨハネの痛みが書かせた加筆ではないかと思われます。


V 信仰と真心を

 「そこでイエスは言われた。『人々をすわらせなさい。』その場所には草が多かった。そこで男たちはすわった。その数はおよそ五千人であった。そこでイエスはパンを取り、感謝をささげてから、すわっている人々に分けてやられた。また、小さい魚も同じようにして、彼らにほしいだけ分けられた。そして、彼らが十分食べたとき、弟子たちに言われた。『余ったパン切れを、一つもむだに捨てないように集めなさい。』彼らは集めてみた。すると、大麦のパン五つから出て来たパン切れを、人々が食べたうえ、なお余ったもので十二のかごがいっぱいになった」(10-13)「その場所には草が多かった」というこの描写は、そこにヨハネもいて、この不思議を体験したという証言なのでしょう。そう聞きますと、この記事は、実に、臨場感に溢れているではありませんか。しかし、それはともかく、ここには、ヨハネが編集したと思われるところがいくつか目立っています。見ていきましょう。

 第一の点は、「感謝をささげてから」というところです。共観福音書では「祝福して」となっていますが、ヨハネはそれを「感謝(ユーカリスト)」に変えています。このギリシャ語の「ユーカリスト」は、教会で行われる聖餐式を意味するようになりました。きっと、紀元一世紀末の、ヨハネが牧師であったエペソ教会では、「主に感謝せよ」とこの出来事が語られ、聖餐式が執り行われていたのでしょう。それは、宗教儀礼としての聖餐式が執行されたということではなく、生けるパンとして、イエスさまご自身が人々に分け与えられたことを、心から感謝して行われたということです。しかし、この食事に与った民衆は、最後までその意味が分からず、悟ろうとはしませんでした。それでもこの人たちを食べさせようと、最後まで立ち働いた弟子たちのために、十二のかごいっぱいにパンの残りが用意され、彼らはそれを心から感謝して食べたのではないでしょうか。これは、U列王記4:42-44にある預言者エリシャと百人の預言者たちにまつわる出来事ですが、やがて弟子たちは、そのパンの意味を、神さまの救済計画・主の十字架と知ったのです。ヨハネがイエスさまをして、「わたしはいのちのパンです」(6:35)と言わしめた、まさにその通りです。そしてそれは、ヨハネが主に献げた信仰告白だったに相違ありません。聖餐式も同じだったのでしょう。私たちもその意味での聖餐式を、感謝とともに守り通したいではありませんか。

 第二の点は、「欲しいだけ」ということです。ヨハネは、人々が十分に食べたとしか記していませんが、このパンは貧乏人が食べる、さほどおいしくない大麦のパンでした。中にはこんなものは食べられないと、つぶやいた人もいたことでしょう。それなのに、「欲しいだけ」とヨハネは、彼らの意志を重視しているようです。イエスさまは、「あなたがたはわたしを見ながら信じようとはしない」(35)と言われていますが、彼らは、見たいものだけを見、聞きたいことだけを聞く、そんな者たちでした。現代にも、そんな在り方ばかりが多くなっています。そうではなく、ヨハネとエペソ教会がイエスさまを「生けるいのちのパン」と受け止めたように、十字架のイエスさまを「わが主、わが救い主」と告白し、その方の前に、私たちの信仰と真心を献げたいと思います。そうすることで、見たいことだけを見、聞きたいことだけを聞く人たちの心に、私たちの信仰と真心が届いていくよう願おうではありませんか。
 


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