ヨハネによる福音書


21
聖なる日を
ヨハネ 5:9b−18
創世記   2:1−3
T 咎められて

 前回、5章1−9a節で、イエスさまが、エルサレム城壁外、羊門のすぐ近くにあったベテスダの池で、38 年もの間病気で苦しんでいた男を癒やした記事を見ました。今朝はその続きです。

 「ところが、その日は安息日であった」(9b)と、それは始まります。「ユダヤ人」とありますが、それは、ベテスダの池に見回りに来ていた、パリサイ人たちだったと思われます。彼らは言いました。「今日は安息日だ。だから床を担ぐことは、律法で許されていない」(10新共同訳) 彼らは、男が今まで伏せっていた担架のようなベッドを折りたたみ、それを担いで歩き回っているのを咎めたのでしょう。「安息日に物を運んではならない」、これはミシュナと呼ばれるラビたちの規定ですが、パリサイ人たちの指導のもとで、細かな律法厳守規定として、タルムッドとともに、ユダヤ社会の隅々にまで行き渡っていました。しかし、一般民衆にとっては、厳格な律法遵守は恐らく表面的なところだけで、見つからなければいいと、小さな律法違反の繰り返しは、日常的知恵だったのでしょう。この男も、見つかってしまったかとばかりに、癒やしてくれたその人に、名を知らぬまま、責任を転嫁してしまいます。「私を直してくださった方が、『床を取り上げて歩け』と言われたのです」(11)

 「お前に、『床を取り上げて歩け』と言ったのはだれだ」「分かりません。今までここにいたのですが。こんなに沢山の人では、探しても、もう……」「うーん、そうか。では帰ってよろしい。だが、床を担いではならんぞ。今日は安息日だからな」と、こんな会話があったのでしょうか。小うるさい役人たちが立ち去ると、この男は、ぺろっと舌を出し、一旦は下に置いた床をまた取り上げて担ぎ、ベテスダの池を出て行ったのでしょう。向かった先は神殿でした。きっとこれまで、神殿に行きたくても、担架に担がれていては外庭までが限度で、ユダヤ人成人男性が祈ったり犠牲を献げたりする内庭には、入ることが出来ませんでした。この男が何歳くらいで、その名前は……ということは全く不明ですから、恐らく、この後、彼が教会に仲間として加わって来ることはなかったのでしょう。「38年もの長い間病気にかかっていた」(5:5)この男が、歩けるようになって真っ先に向かったのは、神殿内庭でした。ユダヤ市民の仲間入りが、彼の最大の願いだったのです。


U 神さまの前で

 ところが、向かった神殿境内で、彼はイエスさまと出会います。きっとイエスさまは、病気を直したことが広まるのを嫌ってその場を立ち去り、神殿におられたのでしょう。マルコ12:41に、座って人々の様子を眺めている記事がありますが、この時もそうしておられたのでしょうか。イエスさまは、担架を担いで入って来た男に気づきました。ヨハネの記事にも、「その後、イエスは宮の中で彼を見つけた」(14)とあります。きっとその男も、自分を見つめているイエスさまに気がついたのでしょう。近づいて来た男にイエスさまは、「見なさい。あなたはよくなった。もう罪を犯してはなりません。そうでないともっと悪い事があなたの身に起こるから」(14)と言われました。「もう罪を犯してはならない」、これは何を指しているのでしょうか。ある人は、この男が病気になったのは罪のためだという、後期ユダヤ教の典型的教説がここに適用されていると言っていますが、しかし、病気を直された本人ならともかく、イエスさまがそんな迷信を……とは、考えられません。それより、パリサイ人の律法遵守にうわべは従順だった民衆が、裏にまわると、ぺろっと舌を出して小さな咎を繰り返している、そんな情景が浮かび上がって来ます。それはパリサイ人も同じだったでしょうが、ここは、「安息日に担架を担ぐ」「担がない」が問われているのではなく、安息日に、神さまの前に、本当に真摯に立っているかどうかが問われている、と聞くべきではないでしょうか。イエスさまは、そのことを言われたのです。

 神さまと誠実に向き合おうとしない極めて問題な姿勢を、この男は持っていたのでしょう。ですから彼は、「もう罪を犯さないように」と誡められたにもかかわらず、イエスさまにお会いしたことを、自分の身の安全のために利用するのです。彼は、わざわざベテスダの池に戻り、まだ人々を監視していた(であろう)ユダヤ人たちに、「自分を直してくれた方はイエスだ」(15)と告げました。「おまえにそう言ったのはだれだ」と、悪意のこもった彼らの態度を承知の上で、彼はイエスさまを売ったのです。それが神さまの前に一層の不誠実であるとは、気づいていません。ただただ、官憲から目をつけられた自分の不利な状況を回避しようと、歩けるようになった恩恵を浪費し、告げ口をするために、ベテスダの池に戻ったのです。自分の身の安全しか見ていないこの男は、まるで、現代の私たちそのものではありませんか。しかしヨハネは、この男のその後については、口を噤んでいます。まるで関心がないかのように。


V 聖なる日を

 「このためユダヤ人たちは、イエスを迫害した。イエスが安息日にこのようなことをしておられたからである」(16)とあります。「していた」は、「する習慣であった」という言い方ですから、ユダヤ人は、安息日違反を繰り返す常習犯として、イエスさまに憎しみを募らせていたのでしょう。「迫害」が具体的に何を指すかは分かりませんが、18節に「殺そうとするようになった」とありますから、彼らの憎しみは頂点に達し、その意味でイエスさまをつけ狙っていたと思われます。

 イエスさまは、彼らの反発に答えられました。いわゆる安息日論争です。見ていきましょう。
 「わたしの父は今に至るまで働いておられます。ですからわたしも働いているのです」(17)
 ユダヤ人の反発は、彼らが大切にしている創造神学の重要な部位、モーセの基本律法にも含まれている安息日を、イエスさまが常態的に反故にしているということでした。創造神学の最後は、このように飾られています。「こうして、天と地とそのすべての万象が完成された。それで神は、第七日目に……、なさっていたすべてのわざを休まれた。神はその第七日目を祝福し、この日を聖であるとされた。それは、その日に、神がなさっていたすべての創造のわざを休まれたからである」(創世記2:1-3) そして、十戒にはこうあります。「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。……七日目は、あなたの神、主の安息日である。あなたがたはどんな仕事もしてはならない。それは主が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された」(出エジプト20:8-11) それなのに、イエスさまは、その安息日を無効にするようなことを言われたのです。ある人は、これを聖と俗に分け、「イエスさまは制度としての俗なる安息日を廃されたが、聖なる安息日は守られた」と説明していますが、果たして、神さまのお働きを、そのように分けることが出来るのでしょうか。つじつま合わせの解釈をいくら積み重ねても、神さまの思いから離れていくばかりではないでしょうか。

 ユダヤ人が安息日を大切にした根拠は、「神さまが休まれた」とあるところです。しかし、それは、「創造のわざを完成されたから休まれた」のであって、「休まれた」は、人間が理解し得る範疇で言われた宣言なのです。しかし、詩篇には、「主は、あなたを守る方……、昼も日があなたを打つことがなく、夜も月があなたを打つことはない」(121:5-6)とあります。人間との関わりにおいて神さまは、「今に至るまで働いておられる」のです。時代が下るにつれ、安息日の戒律が神さまの命令の中で少しずつ厳しくなっているのは、ユダヤ人の歴史の中で、神さまご自身のことが、段々となおざりにされていったからではないでしょうか。ですから、安息日に関し、私たちが本当に聞かなければならないのは、神さまがこの日を「聖なる日とされた」ということであり、本当の意味で神さまを覚える日として、「これを聖なる日とせよ」と言われたということです。その意味で、イエスさまは、他の誰よりも、その日を大切な日、聖なる日としておられました。病気を癒やされたことも、盲人の目を見えるようにされたことも、悪霊を追い出されたことも、そんな人たちをあわれまれたイエスさまの、神さまご自身としての祝福だったのです。ヨハネがこの福音書を執筆している時代、異邦人世界に建てられた教会においてすでに、福音の形式化、宗教化が進んでいました。多くの異端が発生したことも、そんな傾向に拍車をかけていたのでしょう。ヨハネは、そんな教会に、本当の意味で神さまのことを覚えて欲しいと願ったのです。現代の私たちにも……。



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