ヨハネによる福音書


まばゆいばかりの光に
ヨハネ 1:1−5
イザヤ 9:1−2
T 神さまご自身である方を

 前回、この福音書が書かれたのは、イエスさまへのヨハネの信仰告白であり、主への麗しい賛歌であると聞きました。まだ一行も考察していませんので、改めて1:1から見ていきましょう。

 「初めにことばがあった」とこの「初め」は、創世記1:1を意識しているのでしょうが、アウグスティヌスの「告白録」を持ち出すまでもなく、私たちにはそれを問うことは出来ません。「神さまの初め」など、想像しようにも、そんな範疇は私たちにはないからです。「初め」、これをギリシャ人は「アルケー」ということばで表現しましたが、彼らはそれを、「知の原理」「存在のもと」「運動の原理」といった意味で用いているようです。しかし、旧約聖書にそういった哲学的思惟はなく、もともと神さまの系譜といったものは一切ないのです。世のあらゆる神々には、系譜ないし誕生にまつわる物語があるのが普通ですが、ヘブライ人には、そういった意識は全くありません。世界の初めはありますが、神さまに初めはなく、神さまの存在しなかった時などないからです。それと全く同じ意味で、ロゴスにも存在しなかった時など一度もないと、ヨハネはここで強調しているのです。もしかしたら、この「初め」は、私たち人間が理解し得るところで用いられたのかも知れません。「初め」は、私たちの範疇を大きく超えたお方・神さまのこと、として語られています。ですから、「初めにことばがあった」とは、これだけで一括りであって、神さまのことが語られていると聞こえてきます。

 すると、次の「ことばは神とともにあった」「ことばは神であった」も神さまの範疇に属することですから、繰り返しで、「初めにことばがあった」だけで十分と思われますが、ヨハネはわざわざこの二つを加えました。何らかの意図があったと見るべきでしょう。黙示録でヨハネは、幻のうちにイエスさまを感じましたが、これは当時の神秘思想によるのではないかと指摘されています。当時、さまざまな異端思想が初期教会を荒らし回っていて、それらのことが影響していたのでしょうか。そのような異端との戦いは、黙示録にたくさん見られますから、イエスさまのことを正しく覚えることが当時の教会の急務だったとしても、おかしくはありません。異端を意識していたかどうかはともかく、すでに迫害と殉教の時代を迎えていましたから、イエスさまは神さまご自身であるという信仰告白は、初期教会にとって非常に重要なことでした。


U この方によらずして

 「ことば・ロゴス」については、先週触れましたので繰り返しませんが、「この方は、初めに神とともにおられた」(2)と、ヨハネは結論づけています。この方は神さまご自身であるが、神さまとは別人格であって、神さまの愛しいひとり子としての神さまであると、ヨハネはそのところまで踏み入ったのでしょう。黙示録にこうあります。「死者の中から最初によみがえられた方、地上の王たちの支配者であるイエス・キリストから、恵みと平安が、あなたがたにあるように。イエス・キリストは私たちを愛して、その血によって私たちを罪から解き放ち、また、私たちを王国とし、ご自分の父である神のために祭司としてくださった方である。キリストに栄光と力とが、とこしえにあるように。アーメン」(1:5-6) 先週、序文の1:1-18が瑞々しい感性によって詩の形に仕上げられたと触れましたが、その中身は、現代神学の基礎ともなる知性に溢れています。三位一体という神学用語を世に提示したのはアウグスティヌスですが、ヨハネに、すでにその萌芽が見られるのです。恐らく、パウロ書簡の影響なのでしょう。とても百歳間近とは思われない、柔軟な信仰姿勢ではありませんか。

 「この方は、初めに神とともにおられた」と、イエスさまのおられた位置を理解してヨハネは、創造主としてのイエスさまを思うことが出来ました。「すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない」(3)とヨハネは、ただ創世記1章をなぞるだけでなく、自分のことばでそれを言い切りました。彼の信仰告白と考えていいでしょう。とりわけ、「この方によらずにできたものは一つもない」は、当時の全キリスト教徒への宣言と聞かなければなりません。それに「否」を唱える人たちが、教会の中に起こっていたからです。特に、初期教会の歩みに歩調を合わせるかのように台頭してきたキリスト教系グノーシス主義(東の大河地方に由来する異教思想)は、イエスさまの神性を否定するばかりか、その唯一全能の創造主であることをも否定し、善悪二元論という理論で武装するなど、そこから種々の異端思想が生まれ、エウセビオスの教会史の時代には、非常な勢いでキリスト教徒たちを惑わしていました。教会がその問題に決着をつけたのは、「キリストの二性一人格」が争われ「キリストは神である」を正統とした、325年のニケヤ会議においてでした。しかし、「キリストは神ではない」とする異端思想は、現代においても根絶せず、いろいろに姿形を変えて、教会を脅かして来ました。ヨハネは、極めて早い段階で、その問題に決定的な「ノン」を、彼自身の信仰告白として、これほど明確に宣言していたのです。


V まばゆいばかりの光に

 続く4-5節も、その告白(ヨハネ神学)の延長線上にあると聞かなくてはなりません。「この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」 この「いのち」を、3節の「造られたもの」につなげてはなりません。つなげて読む人たちは、1世紀の教会に、先に述べたグノーシス主義など、ヨハネが福音書を著す以前からすでに出ていましたから、ヨハネは一層慎重に、言葉と文章を注意深く選びながら、これを、ことば・ロゴス論の締めくくりとしました。つなげて読むと、「造られたものは、その中にいのちがあった」となります(参考・岩波訳「彼において生じたことは、生命であり、その生命は人々の光であった」)。そのような例は、多くの写本や初期教父たちの翻訳などに見られます。彼らは自分たちの説をヨハネ文書に求めた、と言えるようです。もともと原典にはピリオッドなどないので、どこで区切るのかという困難な問題はありますが、しかし、ヨハネが精魂込めて書き上げたこの箇所は、グノーシス主義や近現代聖書学者たちが主張する「歴史上に何かが生じた」とする見解を排除し、新改訳や新共同訳のように、「この方にいのちがあった」と読まなければなりません。全宇宙のあらゆる造られたものは、この先在の、世界を創造されたロゴスを通してのみ、「いのち」を持つのです。

 この「いのち」をある註解者は、「人を生きたものたらしめる真の神的生命を意味する」と説明しています。しかし、恐らくヨハネは、自分のことを言っているのでしょう。このロゴスなるお方によっていのちある者とされたと、彼は告白しているのです。そして、そのいのちが光り輝いていると感じているのでしょう。ロゴスのいのちが吹き込まれたからです。ヨハネは、創世記を念頭にこれを書いているのでしょうが、そこでは、「イエスさまの十字架とよみがえり」の出来事が「創世記の記事」に取って代わり、彼の筆は、なんとしても読んで欲しいと願うイエスさまを示す証言に、少しずつシフトしているようです。「このいのちは人の光であった」は、そのシフトがあってのことなのです。「光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった」(5)と、彼の筆は進みます。

 創世記1:2の「地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる水のうえにあり、神の霊は水の上を動いていた」が念頭にあったのでしょうか。ヨハネにとって、イエスさまを十字架にかけた人間のあらゆる罪、それを統括し支配した力を意味するとしても、それはあながち見当外れではないと思われます。「やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った」(イザヤ9:2)とあるその光を、ヨハネもまた見たのです。「やみの中を歩んでいた民」、それはガリラヤのことです。「異邦人のガリラヤは光栄を受けた」(イザヤ9:1)とありますが、ヨハネはそのガリラヤの人でした。ユダヤ人からバカにされ、自分たちも神さまから遠く離れていると思い込んでいた、自分も含め希望のない人たちを、ヨハネはいやというほど見て来ました。ところが、そんな暗闇の中で、イエスさまにお会いしたのです。イエスさまを主と信じる、多くの仲間とも出会いました。「やみはこれに打ち勝たなかった」とこれは、まばゆいばかりの光に招かれた者の証言と聞こえてくるではありませんか。


Home