ヨハネによる福音書


19
命の息を吹き込むお方を
ヨハネ 4:43−54
創世記     2:7
T 他面的、立体的な目を

 「さて、二日の後、イエスはここを去って、ガリラヤへ行かれた」(43)と、イエスさまの舞台はサマリヤからガリラヤへ移ります。ところが、44節で「イエスご自身が『預言者は自分の故郷では尊ばれない』と証言しておられたからである」とあり、45節で「ガリラヤ人はイエスを歓迎した」とあります。古くから、この二つの言い方は矛盾していると、聖書中、難解な箇所とされて来ました。しかし、矛盾は見掛け上のことであって、ヨハネはそこに何の矛盾も感じていないようです。それは、54節で「第二のしるし」とされる46-53節の記事を、カナの結婚式で水をぶどう酒に変えた「第一のしるし」につなげ、「しるしを見て信じた」(2:23)人たちが、ヨハネの主題になっているからです。エルサレムでもサマリヤでもガリラヤでも、歓迎しながらイエスさまの周りに群がって来た人たちの大半が「しるし」を見て信じたという、ある種の英雄伝説を造り上げているのではないかと、ヨハネは、自分もガリラヤ湖でイエスさまの奇跡を見て信じた(ルカ5:1-11)一人として、しるしだけを見て信じるのではなく、イエスさまのもっと中心的なところを見て欲しいと、ギリシャ、ローマ世界に広がっている教会に警告しているのでしょう。それが、この見掛け上難解な言い方になりました。

 「預言者は自分の故郷では尊ばれない」は、諺だったようです。ガリラヤからエルサレムへ、エルサレムからガリラヤへと、イエスさま初期のお働きは、目まぐるしいものでした。そして、その行く先々で、イエスさまの評価はくるくると変わりました。共観福音書ではそんな評価は省かれていますが、ヨハネがこの福音書を書いている時代には、同じようにくるくる変わる評価と真っ正面から向き合うことなしには、宣教活動などおぼつかなかったのでしょう。カナの結婚式に出た人たちも、ニコデモも、サマリヤ人たちも、ときには弟子たちでさえ、イエスさまとの接点は全く違ったものでした。そのどれもがイエスさまの中心を見ていなかったと、ヨハネは、自分自身をも含め、地上の人間の愚かさや限界を嘆いていると感じられます。「彼らも祭に行っていたので、イエスが祭の間にエルサレムでなさったすべてのことを見ていたからである」(45)は、「見ていない」の裏返しでしょう。ヨハネの目は、多面的であり、立体的であると言っていいかと思われますが、この福音書を読む私たちにも、そんな目が必要なのでしょう。


U 魔術的癒やしなのか?

 ガリラヤに戻られたイエスさまは、再びカナの村にやって来ました。「そこは、かつて水をぶどう酒にされたところである」(46)とあります。カペナウムに住む王室付き役人の物語を書き始めようとこれは、物語の序章として挿入されたようです。この物語を読み解くキイワードは、奇跡物語です。

 王室付き役人、彼はガリラヤ領主ヘロデ・アンティパスの高官であったと思われます。ただの高官ではない。王という称号を少し変えただけの、王にも似た高い位にある人だったようです。ある人たち(ルター等)は、「ヘロデの家令クーザ」(ルカ8:3)がこの人ではなかったかと言っています。彼には、重い病いのため死にかけている息子がありました。この人がエルサレムから帰って来られたイエスさまのことを聞き、息子の病いを直してほしいと、カペナウムかテベリアから、カナまでやって来ました。

 彼がイエスさまの奇跡をどこで知ったのか、そんなことは必要ないとばかりに、ヨハネは省いています。そればかりではなく、この記事には不自然な部分が多く、記事は極めて断片的です。この記事の原資料をヨハネは、何らかの意図があって編集したのではと想像されていますが、その原資料は、マタイ8:5-10とルカ7:1-10にある、カペナウムの百人隊長のしもべの癒やしの記事ではないかと指摘されています。そこで異邦人の百人隊長が、「イエスさまを家に迎え入れる資格は私にはない。ただおことばをください。そうすればしもべは必ず直る」(マタイ8:8)と言ったことに対し、イエスさまは、「わたしはイスラエルのうちのだれにも、このような信仰を見たことがない」(同10)と称賛されています。この称賛がマタイとルカの中心主題であったのに対し、なぜかヨハネは、その部分を省いて大幅に編集し、王室付き役人の懐疑的とも言える部分を強調しています。ヨハネ独自の主題による編集と思われますが、探ってみたいと思います。

 息子の病いを直して欲しいという彼の願いを、イエスさまは、冷たく突き放します。「あなたがたは、しるしと不思議を見ないかぎり、決して信じない」(48)それなのに彼は、食い下がって言います。「主よ。どうか私の子どもが死なないうちに下って来てください」(49) 息子をどうしても助けたいと思い、どうか来てくださいとお願いしたのです。しかし、彼が求めたのは「奇跡」であって、そのためには、イエスさまの来訪が必須の条件でした。つまり、「来て、息子に手を置いてください」と彼は、魔術的癒やしを求めたのです。何とも不自然な二人の会話ですが、その不自然さは、この記事全体を通して流れています。その不自然さがこの記事の本質を浮き彫りにする、と言わんばかりに。


V 命の息を吹き込むお方を

 奇跡信仰、魔術的信仰と言い換えていいかと思いますが、そんな風潮が、ユダヤやギリシャ社会に広がっていたと思われます。ヨハネは、教会にも広がっていたそんな風潮に、異を唱えたのです。ところが、イエスさまは、この役人の要請を聞いて、「帰って行きなさい。あなたの息子は直っています」と優しいことばをかけられ、彼はそのことばを信じて帰って行きました。ここに「直る」と訳されていることば(50、51、53)は、いづれも「生きる」(新共同訳・岩波訳参考)を意味しています。それほどこの息子は重体であって、いつ亡くなってもおかしくない状態だったのです。そんな父親の深い哀しみを、イエスさまは共有されました。だからでしょうか、イエスさまは、子どもにとっても父親にとってもこれ以上はない恵み、いのちの創造者としての、決定的なことばをかけられたのです。「生きよ」と。イエスさまのそのことばに命があったから、子どもも父親も直った、いや、生きたのです。「生きよ」と言われたイエスさまのことばに力があり、その力を認めてこの父親は、言われた通り帰途に着いたのでしょう。彼が「信じた」とは、そのことを指しています。

 魔術的な、それゆえ破滅へと誘う「しるし」信仰から、いのちを吹き込む、ロゴス信仰へと変わっていったこの父親の、ヨハネが描きたかったのは、そのところでした。「彼が下って行く途中、そのしもべたちが彼に出会って、彼の息子が直ったことを告げた。そこで子どもがよくなった時刻を彼らに尋ねると、『きのう、七時(第七時)に熱がひきました』と言った。それで父親は、イエスが『あなたの息子は直っている』と言われた時刻と同じであることを知った。そして彼自身と家の者がみな信じた」(51-53) ここで強調されているのは、イエスさまが生きると言われ、彼がそれを信じたということです。死にかけていた子どもが癒やされたのは、イエスさまが「生きる」と言われた時刻でした。その時刻が七時であったと彼が意図的に確かめたとか、直ると言われたことの保証を求めたなどと、詮索する必要はありません。そのことも含めた記事そのものの不自然さは、父親の信仰が変わったことに比べると取るに足らないと、ヨハネが問題にしていないのですから。それより、「イエスはユダヤを去ってガリラヤにはいられてから、またこのことを第二のしるしとして行われたのである」(54)という証言に目を留めたいのです。二章から取り上げられて来た「しるし」問題に、ヨハネは、一つの結論を出しました。「しるし」信仰は、いのちの息を吹き込まれる、永遠のロゴス、十字架とよみがえりの主、イエス・キリストを信じる信仰に誘うものである、ということです。現代、魔術的信仰が、ひそやかに拡大しつつあります。しかし私たちは、ヨハネとともに、現代を蝕んでいるあらゆる悪と罪に異を唱え、イエスさまが招いてくださる永遠のいのちという恩恵に、目を向けようではありませんか。その恩恵には、この父親と息子のように、破滅への危険を抱える現代の私たちにも、イエスさまから「生きよ」ということばが語られているのです。私たちも、その信仰に立ちたいではありませんか。



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