ヨハネによる福音書


18
みことばに聞く
ヨハネ  4:39−42
申命記 30:11−14
T キリストかも知れない

 サマリヤ人女性の、三回目です。彼女がイエスさまと話している時、食料を買いに行っていた弟子たちが帰って来ました。そこで彼女は、水がめを置いて町へ行き、人々に言いました。「来て、見てください。私のしたこと全部を私に言った人がいるのです。この方がキリストなのでしょうか」(29)「水がめを置いて」、それは、彼女が本来の目的を忘れたことを意味します。彼女は、ヤコブの井戸まで水を汲みに来たのです。それなのに、水を汲んで持ち帰ることは、もう彼女の念頭にありません。昼日中、こっそりと人目を避け、遠く離れたヤコブの井戸まで水を汲みに来た彼女が、自分から進んで町の人たちに近づき、夢中になって、自分の身に起こったことを大声で言い始めたのです。「私のしたこと全部」とは、イエスさまが、彼女の同棲相手が五人もいたと言い当てたことを指しています。そんな恥を、彼女はもう隠そうともしていません。「この方がキリストなのでしょうか」という彼女の期待は、その方が言い当てた不思議を体験してのことでした。恐らく、それは、カナの結婚式から続いている、イエスさまの「しるし」を見て信じるというジャンルに属するのでしょう。それをヨハネは、ニコデモの記事やその序文で否定したはずですが、それをまた、こんなにも大きな記事として取り上げています。「もう私たちは、あなたが話したことによって信じているのではありません。自分で聞いて……」と、ここに記される結語は、それこそ、「サマリヤの女」の記事として、これほど大きく取り上げた理由であり、異邦人教会に聞いてほしいと願う、ヨハネのメッセージではなかったかと思われます。

 「キリストかも知れない」という彼女の証言、それは、今、ユダヤで大きな流行になっているメシア待望信仰が、サマリヤでも広がっていることを示しています。なんのかんの言ってもサマリヤ人は、ユダヤの一部でいたいのでしょう。ゲジリム山上にあった神殿は、BC128年、ユダヤのハスモン王朝、ヨハネ・ヒルカノスのサマリヤ侵攻によって焼き払われ、破壊されました。その頃、「メシア信仰」はユダヤ全土に広がっていて、何人もの自称他称のメシアが出現していました。恐らく、それは、ハスモン王朝(BC140-37)誕生前にエルサレム等を好き勝手に蹂躙していた、シリヤのセレウコス王朝に反抗して立ち上がった、ユダ・マカベウスと三人の息子たちのゲリラ戦によって、ユダヤ全土が荒れ果てていたところから、急速に広がったと思われます。いわゆるマカベア一族は、人々のそんなメシア待望信仰に乗じてユダヤ独立運動を起こし、それを勝ち取ったのでしょう。ただ、彼らは祭司マタテヤの子孫であって、ダビデの家系には属していませんでしたから、ハスモン王朝成立後も、メシア待望信仰は消えることがなかったと言えそうです。


U 神さまから遠い者たちを

 色々と言いましたが、このサマリヤの女の言い方に少々ひっかかるところがありまして、もう少し考えてみたいと思います。「キリストと呼ばれるメシア」というところです。

 マカベア戦争はサマリヤ地方も巻き込んでいましたから、メシア待望信仰は、当然、サマリヤにも広がっていました。すると、サマリヤのメシア待望信仰は自然発生とも言えそうですが、なぜか彼らは、ユダヤ人と同じメシア待望信仰を標榜しています。もともとサマリヤの言語はヘブル語の方言でしたから、メシアという言い方が自然だったのと、ユダヤでの活発なメシア運動に引きずられてのことと思われます。しかし、一方、キリストという言い方も、ユダヤで広がっていました。新しいギリシャ語コイネーが、すでに世界言語になっていたからです。イエスさまとサマリヤ人女性はユダヤ人が用いるアラム語で会話していたと思われますが、ヘブル語にしてもギリシャ語にしても、サマリヤ人は、ユダヤ人が使っているものを共通の要素として大切にしていました。ですから、彼女は、「私はキリストと呼ばれるメシアの来られることを知っています」(25)と、両方の言い方をしたのです。そんな事情を考えますと、彼女がここでキリストと言ったのは、サマリヤでは、キリストという言い方がより一般的だったからでしょう。ただ、メシアにしてもキリストにしても、サマリヤでは、「モーセのような預言者」(申命記18:18)でしかありません。それは、ユダヤの、武力闘争によるローマ支配からの脱却ではなく、まして、神さまの御国へ招かれる、救い主を信じる信仰ということでもありません。前回触れたように、その預言者は、彼らに真実を伝えてくれる方でした。彼らはそのことを、なによりも待ち望んでいたのです。

 それは、ユダヤに寄り添いながらも反発してやまない、彼らの揺れ動く姿勢ではなかったかと思われます。拒否されてもののしらても、なお、受け入れて欲しいと願っていたのは、この女性の、町の人たちに対する思いでしたが、それは、サマリヤの町の人たちの、ユダヤに対する思いでもありました。拒否し、ののしったのは、彼女と対峙していた町の人たちでしたが、それは、サマリヤ人と対峙していたユダヤ人でもあったのです。今、ヨハネは、このサマリヤの女性を見ながら、そこに、神さまから遠いと感じている人たちを見ていたのではないでしょうか。それは、サマリヤ人であり、ユダヤ人と向き合うギリシャ人であり、また、現代の、日本人をも含む異邦人だったのでしょう。


V みことばに聞く

 この女性が水がめを忘れて町に戻ったのは、「来て、見てください」と、イエスさまを指し示すためでした。「私のしたことを全部言い当てた人がいます」「この方はキリストなのでしょうか」この証言を聞いたサマリヤの町の人たちは、これまで彼女を排斥していたとは思われない素直さで、すぐに、ヤコブの井戸までやって来ました(29-30)。ヨハネは、イエスさまと弟子たちの挿入記事からサマリヤ人の記事に戻り、最初に、「その町のサマリヤ人のうち多くの者が、『あの方は、私がしたこと全部を私に言った』と証言したその女のことばによって、イエスを信じた」(39)と記しました。彼女の二つの証言のうち、最初の証言だけがここで取り上げられているのは、注目に値します。2章以降、ヨハネは一つの主題、「しるしを見て信じる」ことに目を留めて来ました。しかし、それを一概には否定せず、ニコデモには、「人は新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない」と、福音を受け入れる過程を一歩先へ進めています。イエスさまと弟子たちの記事(31-38)では、種蒔く人と刈り入れる人のコラボレーションが語られていますが、これは、段階的過程と聞くことが出来るでしょう。ヨハネは、「しるしを見て信じた」人々を、次の段階、福音へと誘っているようです。

 そんな意図のもとでヨハネは、イエスさまを信じたサマリヤ人たちの記事を、39節と40節以下の、二段階に分けて記しました。39節では、「信じた」はまだ「しるし」によるのですが、40節以下では違ってきます。「そこで、サマリヤ人たちはイエスのところに来たとき、自分たちのところに滞在してくださるように願った。そこでイエスは二日間そこに滞在された。そして、さらに多くの人々が、イエスのことばによって信じた。そして彼らはその女に言った。『もう私たちは、あなたが話したことによって信じているのではありません。自分で聞いて、この方がほんとうに世の救い主だと知っているのです』」(40-42) 彼らは、イエスさまに、自分たちのところに滞在して欲しいと頼みました。その頼みを聞いて、イエスさまのサマリヤ滞在は、二日間にも及びます。ガリラヤへ行こうとして、サマリヤを通過する最短コースを選ばれたのは何のためか分かりませんが、急いでいたからでしょう。それなのに、その急用より、サマリヤ人の願いを優先させたのです。彼らがイエスさまを招いたのは、「聞く」ためでした。二日間、彼らは真剣に聞いたのでしょう。そして、女の証言を聞いていなかった人たちまでが、イエスさまを「世の救い主」と信じました。この言い方はここだけのものですから、彼らがどれほど福音に近づいたかは分かりませんが、少なくとも、「女のしたことを全部言い当てた」奇跡信仰から、一歩も二歩も抜け出しているようです。彼らの、「聞いて信じた信仰告白」には倣うべきことがあると、ヨハネの証言に聞きたいではありませんか。信仰は、主のことばに聞くところから始まるのですから(申命記30:14、ロマ10:12)。現代、教会から離れたり、イエスさまを信じる信仰から離れたりと、神さまから遠いと痛んでいる人たちが、世界的規模で増え続けているようです。しかし、「みことば」だけがその痛みを癒やすことが出来る、と覚えたいのです。



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