ヨハネによる福音書


その麗しい告白を
ヨハネ 1:1
創世記 1:1
T 主の証人として

 今朝から、「ヨハネによる福音書」に入ります。近代聖書学者たちは否定していますが、1世紀・初期教会の時代からこれは、12使徒の一人、ゼベダイの子ヨハネによるものと伝えられて来ました。彼は十字架の下でイエスさまから母マリヤを託され(19:26)、伝説によりますと、マリヤを伴ってエペソに移り住んだと伝えられています。エペソにはヨハネの墓もあり、マリヤの住まい跡とされる記念会堂も現存しています。もっとも、ヨハネはエペソに住んでいましたが、マリヤの墓はエルサレムにもあって、そちらの方が本物らしいのですが……。しばらく経って、ドミティアヌス帝のキリスト教徒迫害が始まり、当時の教会指導者としてヨハネは、エーゲ海のパトモス島に流罪されました。その間、そこで見たさまざまな幻をもとに黙示録を書き上げていますが、ドミティアヌス帝没後、釈放され、再びエペソに戻って来ました。96年のことです。それからこの福音書が書かれたようですが、一世紀も終わり頃で、恐らく彼は、百歳近くになっています。そんなに高齢でと驚かされますが、21:24には「これらのことについてあかしした者、またこれらのことを書いた者は、その弟子(イエスが愛した弟子=24:20)である。そして、私たちは、彼のあかしが真実であることを知っている」とあります。紀元1-3世紀のキリスト教会の動向を記したエウセビオスの教会史には、アレクサンドリアのクレメンスが、「ヨハネはその人たちに助けられてこの書を書いた」と述べていることが紹介されています。この福音書の完成には、多くの人たちの手が加えられたと言っていいでしょう。この福音書が当時の異邦人教会内に広く流布していたことから、これが書物になったのでしょう。他の共観福音書(マタイ・マルコ・ルカ)とは、視点や内容に違いがあって当然と言えます。

 イエスさまと弟子たちは常に行動を共にしていましたから、イエスさまのことは、弟子たちによく知られていました。しかしそれは、主にガリラヤで働きが始まった時からのことで、ユダヤ地方で働かれたそれ以前のことは、共観福音書にはほとんど取り上げられていません。エウセビオスは、その欠けた部分を埋めるために、この福音書の執筆が企てられたと証言していますが、恐らくその通りでしょう。60年以上も経って、イエスさまの出来事は幾度も語られ、反芻され、単なる事実としてではなく、内面的にも深められて、この福音書になったのです。パウロ文書など他の新約文書も出回っていて、ヨハネがそれらを読んでいたことも影響しているのではと思われます。


U 初めにことばが……

 本文は1:19からですが、1-18節はその序文と考えられています。この序文には、すでに流布している共観福音書とは別にイエスさまの物語を執筆しようとする、その理由が書かれているようです。この福音書は、ヨハネ文書としては一番最後のものです。背景には特に、黙示録が考えられなければなりません。そこに描かれるイエスさまの姿は、幻のうちに示されたものでした。そんなイエスさまにお会いして彼は、イエスさまのその栄光に輝いた、神さまとしてのお姿を描きたいと願ったのです。これは、ヨハネ自身の証言と聞かなければなりません。それが近現代聖書学者たちに、違和感を感じさせているのです。ともあれ、ヨハネの証言から聞いていきましょう。


 「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった」(1)
 キイワードの「ことば」は、ギリシャ語でロゴス、理性と訳されます。冒頭から、いかにもギリシャ人好みの主題が語られます。インターネット等で検索しますと、なんとかこの箇所を理解しようと、みなさん非常に苦労しておられますが、避けて通るわけにはいきません。正面からぶつかってみたいと思います。「ことば(ロゴス)」という、ギリシャ賢人の世界で絶対的概念として議論の的となっていたものが、ここのモチーフになっています。ヨハネは、ギリシャ的思惟でその正体を突き止めようとするのではなく、神さまと絡め、セム系民族に極めて固有な伝統神学の中で、その絶対的概念を再構築しようとしています。難しいことを言い出したかも知れませんが、少なくともエウセビオスは、イエスさまのことを、「神のロゴス」という言い方で始めようとしています。それは恐らく、ヨハネの福音書が広く流布していたことによるのでしょうが、イエスさまのことを深く煮詰めたヨハネの神学が、支持されていたことを示しています。その辺りのことから考えてみたいと思います。

 黙示録の主題に、「神のことばとイエスのあかしのゆえに」(1:9、20:4)があります。並列に並べられていますが、ヨハネはこれを同一のものとしているようです。福音書を著すに及び、それがイエスさまのご人格にまで深められ、高められたと言えるのでしょうか。それは、イエスさまは神さまのことばそのものというところにまで、深められていきました。恐らくその思いは、創世記第一行目の、「初めに神、天と地とを創造された」(1:1)にまで及んでいます。ですからここで、それとよく似た表現を採用したのです。特に70人訳ギリシャ語聖書創世記1:1と比べてみますと、リズムやイメージなど、非常に似ています。恐らくヨハネは、ギリシャ語世界に移り住んでから、70人訳聖書を読んでいたのでしょう。当時のキリスト教徒たちにはそれが当たり前であり、ヨハネの意識にもそんなイメージがあったのでしょう。「神さまのロゴスであるイエスさまが父君のことばになって世界が創造された」というのではなく、イエスさまは、神さまご自身として「光あれ」と言われ、「光があった」のです。「とともに」という言い方は、共同作業という意味ではなく、神さまに「向かう」ことであり、イエスさまは神さまの中に溶け込み、そのご人格を神さまと融合し、創造に向かわれたのです。もともと、イエスさまは、唯一全能のお方でした。


V その麗しい告白を

 しかし、「ことば(ロゴス)」などと聞きますと、余りにも堅苦しく理詰めで、ヨハネは神秘主義的福音などと言われ、まるで神学者のことばのように聞こえますが、「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった」は、実に美しい詩的表現です。ちなみに、創世記1:1のヘブル語とギリシャ語・70人訳、ヨハネ1:1のギリシャ語を紹介してみましょう。
「ブレーシート バラー エロヒーム エト ハ シャマイーム ブ エト ハ アレーツ」(ヘ・創1:1)
「エン アルケー エポイエーセン ホ セオス トン ウーラノン カイ テーン ゲーン」(ギ70・創1:1)
「エン アルケー エーン ホ ロゴス、カイ ホ ロゴス エーン プロス トン セオン、カイ セオス エーン ホ ロゴス」(ギ・ヨハネ1:1)
へブル語やギリシャ語が分からなくても、何となく心地よいリズムが感じられるでしょう。つまり、韻を踏むその響きが、詩的なのです。この詩はどこから生まれたのでしょうか。

 荒っぽいガリラヤの漁師たちの中で、自らも漁師だったヨハネですが、その荒っぽさを少しも感じさせない、まるで女性のような優しく瑞々しい感性が、知性とともに福音書全体に溢れています。イエスさまに愛され、その感性に触れて、ヨハネの琴線がイエスさまを感じました。それはまるで、共鳴しているようにも感じられるではありませんか。パトモス島で神さまの秘められた幻を見たことも、理詰めではないヨハネの感性による、と聞いていいのではないでしょうか。若いときのヨハネには見られなかったものです。ギリシャ世界に移り住み、教会の指導者として責任を持つようになってからと思われますが、奥手だった彼の資質が、花開いたのでしょう。「これはロゴス賛歌であり、まるで賛美歌のようではないか」とは、著者ヨハネ説を否定する近代聖書学者のコメントです。彼らは、知られざる著者が、伝承として共同体にあった賛歌を取り出し、その原形に手を加えたと推測していますが、よしんば、原形に相当するものがあったとしても、ここに見られる、ヨハネの信仰を形造っている最も中心的部分が、イエスさまの愛であり、ヨハネはその愛に応えているのです。それはいささかも値引きされないでしょう。私たちが、今、手にし口ずさんでいる、このたぐい稀なことばは、ヨハネから溢れ出た信仰の告白であり、それはヨハネの愛してやまない主であり、救い主であり、故郷のように彼を招いてくださるお方に献げる、最高の香ばしい香りでした。それがこの美しい詩になったのです。その詩をヨハネの内に育ててくださったのは、紛れもなくイエスさまご自身でした。ヨハネよりほんの少し後のエウセビオスの時代には、殉教者たちも含めてイエスさまを、「神さまのロゴス」と受け止めました。イエスさまは紛れもなく神さまご自身である。これは間違いなく彼らの信仰告白でした。その信仰を、その麗しい告白を、私たちも継承したいではありませんか。


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