預言者の系譜

エレミヤ 9
聞こうとしない時代に

エレミヤ 7:16−8:3
マタイ  13:13−23
T 改革の王を失って

 前回、エジプトのパロ・ネコが、バビロニヤ軍によって滅亡の危機にあった同盟国・アッシリヤの援軍としてユーフラテス川沿いのカルケミシュに軍を進める中、これを撃とうとメギドに出陣したヨシア王の軍隊を破り、ヨシア王がそこで戦死するという出来事を見ました。バビロニヤ軍とエジプト軍の衝突は、途中、バビロニヤの王位がナボポラッサルからネブカデネザルに替わったこともあって膠着状態が続き、BC608-606の長きに渡りました。その間、ネコはシリヤとパレスティナを支配下に置き、二年間その支配を保持し、自分に刃を向けたイスラエルには完全な屈服を強い、莫大な貢ぎ物を要求しました。当然ながら、ユダの領土はヨシア王の時代より狭くなっていたことでしょう。この時のユダの王は、パロ・ネコによって王位に着けられたエホヤキムですが、領民の苦しみなど一切考慮出来ない暴君です。彼は父の宮殿では満足せず、新しい立派な宮殿を建てようと、エジプトへの貢ぎ物に加えて更に民から搾り取り、民に強制労働さえ強いました(22:13-17)。ところが、エジプト軍がバビロニヤに破られると、今度は、バビロニヤの支配下に屈することになります。

 そんな、王として相応しからざるエホヤキムの時代に、イスラエルの宗教状態は、はやヨシア王以前に戻っていたとしても、おかしくはありません。たちまちユダとエルサレムは、バアルや神々の祭壇で埋め尽くされてしまいます(11:12-13)。その代表格は、「天の女王」(7:18)でした。今朝のテキストは、7:16-8:3と長いのですが、マナセ王の時代にイスラエルに入り込み、ヨシア王の宗教改革で一時疎外されましたが、ヤーヴェ信仰が空洞化してエホヤキムの時代に復活した、「天の女王」・バビロニヤのイシュタル女神と深く関わります。

 「あなたがたは、この民のために祈ってはならない。彼らのために叫んだり、祈りをささげたりしてはならない。わたしにとりなしをしてはならない。わたしはあなたの願いを聞かないからだ。彼らがユダの町々や、エルサレムのちまたで何をしているのか、あなたは見ていないのか。子どもたちはたきぎを集め、父たちは火をたき、女たちは麦粉をこねて『天の女王』のための供えのパン菓子を作り、わたしの怒りを引き起こすために、ほかの神々に注ぎのぶどう酒を注いでいる。」(16-18) 同じ時のことが記される26章によりますと、1-15節のメッセージは、祭司と預言者とすべての民の怒りによって中断されていますから(26:7-8)、16節以下は別のときに語られたものなのでしょう。エレミヤの言葉は省かれていますが、この箇所は、神さまとエレミヤの対話になっているようです。


U イシュタル崇拝に

 イシュタル女神は、出産や豊穣、性愛の女神として知られています。バビロニヤの聖なる文書では、「世界の光」「万軍を率いる者」「正義の判事」「律法を定める者」「女神の中の女神」「力を与える者」「すべての法令を立案する者」「勝利の女神」「罪を赦す者」、などと呼ばれているそうです。彼女は極めて大きな力を有する神でした。そして彼女はまた、娼婦の守護者でもありました。世に言われる神殿娼婦は、バビロニヤのイシュタル神殿から始まったとされているほどです。そんな女神崇拝が入って来たからでしょうか。エルサレム神殿でも、男娼や売春などが、公然と行われていたようです。また、彼女は月神・シンの娘だそうですが、日本でもお月見に団子を供える習慣があるように、女たちがパン菓子を焼いて供える、供物宗教になっていました。7:21-28にある「供物祭儀」は、そのことを指しているのでしょうか。29-34の「小児供犠」は、供物祭儀がさらに発展した形なのかも知れません。

 イシュタル女神は、古くシュメール時代には、イナンナと呼ばれていました。それが古バビロニヤ、アッシリヤに引き継がれていたのです。そしてそれは、古代社会に共通の豊穣信仰の主神として、カナンのアシュタルテ、ギリシャのアフロディテ、ローマのウェヌス(英語名ヴィーナス)などにも引き継がれました。それらは同じ信仰類型であろうと言われます。アフロディテやヴィーナスは愛と美の女神として知られますが、性を司る女神でもあり、ときには争いや害悪をもたらしました。イシュタル女神も同じです。その信仰は、当時の中東世界と地中海世界に広く行き渡っており、バアルやゼウスといった父神とともに、母神として神々の世界の主役でしたから、イスラエルの人たちも、抵抗なくこれを受け入れていたと思われます。31節に「わたしが思いつきもしなかったことだ」とありますが、これは逆に民たちが「これは神さまも受け入れてくれるだろう」と考えていたことを示しています。ミカ書に、「私は何をもって主の前に進み行き、いと高き神の前にひれ伏そうか。全焼のいけにえ、一歳の子牛をもって御前に進み行くべきだろうか。主は幾千の雄羊、幾万の油を喜ばれるだろうか。私の犯したそむきの罪のために、私の長子をささげるべきだろうか。私のたましいの罪のために、私に生まれた子をささげるべきだろうか」(6:6-7)とありますが、ミカはマナセ王の時代に生きていましたから、イシュタル祭儀を背景にして、こう記したと見て間違いありません。

 エゼキエル書に、「ついでこの方は私を、主の宮の北の門の入り口へ連れて行った。するとそこには、女たちがタンムズのために泣きながらすわっていた」(8:14)とありますが、「タンムズ」とは、イシュタルが冥府に行き、そこから戻されるとき、冥府の女王が彼女を戻す条件として、身代わりの生け贄を求め、そこで殺された彼女の愛人(息子?)のことです。シュメール神話ではドゥムジという名前になっていますが、いづれにしても、バビロニヤのイシュタルがそのままエルサレム神殿にはいって来ており、エホヤキムの時代には、そのようなことが公然と行われていました。


V 聞こうとしない時代に

 「その時、−主の御告げ− 人々は、ユダの王たちの骨、首長たちの骨、祭司たちの骨、預言者たちの骨、エルサレムの住民の骨を、彼らの墓からあばき、それらを、彼らが愛し、仕え、伺いを立て、拝んだ日や月や天の万象の前にさらす。それらは集められることなく、葬られることもなく、地面の肥やしとなる。また、この悪い一族の中から残された残りの者はみな、わたしが追い散らした残りの者のいるどんな所でも、いのちよりも死を選ぶようになる。−主の御告げ−」(8:1-3)

 「彼らが愛し、仕え、伺いを立て、拝んだ日や月や天の万象」とありますが、その様子が記されたところがあります。バビロニヤ軍が侵攻して来たとき、エジプトに逃れたユダヤ人たちの言い分です。「あなたが主の御名によって私たちに語ったことばに、私たちは従うわけにはいかない。私たちは、私たちの口から出たことばをみな必ず行なって、私たちも、先祖たちも、私たちの王たちも、首長たちも、ユダの町々やエルサレムのちまたで行なっていたように、天の女王にいけにえをささげ、それに注ぎのぶどう酒をを注ぎたい。私たちはその時、パンに飽き足り、しあわせでわざわいに会わなかったから。私たちが天の女王にいけにえをささげ、それに注ぎのぶどう酒を注ぐのをやめた時から、私たちは万事に不足し、剣とききんに滅ぼされた」(44:16-18)「私たち女が、天の女王にいけにえをささげ、それに注ぎのぶどう酒を注ぐとき、女王にかたどった供えのパン菓子を作り、注ぎのぶどう酒を注いだのは、私たちの夫に相談せずにしたことでしょうか」(44:19)ヨシア王の改革と非業の死以後、ユダは確実に滅亡へと向かい始めました。これはそれ以前の、マナセとアモン王の異教的時代のほうが良かったという、民の反論です。それは697-640年のことでした。彼らにとって改革は、迷惑以外の何物でもなかったのでしょうか。改修中の神殿から律法の書(申命記?)を発見し、民を集めてそれを朗読したという改革の最終段階は、ヨシア王の第18年でしたから、そこから王の死までの13年間では、恐らく、民衆への教育が行き届かなかったのでしょう。いや、手をつけてはいたが、こびりついてしまった異教崇拝の習慣を、そぎ落とすことが出来なかったのかも知れません。エホヤキムは、父王の仕事を引き継ぐべきでした。しかし、彼にそれを引き継ぐ資質はありません。神さまのことばを語る預言者に腹を立て、迫害者となり、エレミヤは難を逃れましたが、同じ時代の預言者ウリヤは、この王に殺されました(26:20-24)。神さまが働いていらっしゃると、王は知らなければなりませんでした。しかし、知ろうとはせず、「聞こうとしない」(7:13)、それが問題でした。まるで、現代のように……。


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