預言者の系譜

エレミヤ 49
主の手として

エレミヤ 50:1−10
マタイ    6:33
T バビロンの終焉を

 50-51章では、バビロン没落と、それに結びつく捕囚の民ユダヤ人の帰還が語られます。この箇所を、「預言者の系譜エレミヤ」に組み入れていいものかどうか迷いましたが、やはり取り上げることにしました。迷ったのは、この箇所がエレミヤやバルクに由来しておらず、後代の、恐らく捕囚期の編集者の加筆であろうと思われるからです。文体も内容もエレミヤとは違っていると指摘されていて、時折り、エレミヤ書からそっくり転用していると思われる箇所もあります。預言者エレミヤの緊張感ただようメッセージとは、まるで違っているのです。しかし、それにもかかわらず、バビロンの出現と終焉を神さまの手によるものとし、それ自体は、エレミヤのメッセージそのものと言えるでしょう。そして、あれほど深くユダ王国の命運に関わったバビロンのその後に触れないでは、預言者エレミヤを締めくくることは出来ないと思ったからです。また、エレミヤが命を削った思いには届かないものの、編集者はこの加筆によって、預言者エレミヤの思いを更にそこに込めようとしたのではないか、と思われるからです。手探りですが、編集者のそんな意図にたどり着けたらと願います。

 「主が預言者エレミヤを通して、バビロンについて、すなわちカルデヤ人の国について語られたみことば」(1)「主が語られたみことば」とありますが、これは編集者がエレミヤ書のスタイルを踏襲したものです。この編集者を「捕囚期の」と言いましたが、帰還後のエルサレムでこれを記したのではないかと考える学者たちも多く、バビロンの終焉を目撃した帰還の民としますと、それも頷けます。たとえば、50:9にはバビロンに攻め込む軍勢は「北の地から」とあり、51章に入ると、「メディア」の名が頻繁に出て来ます。バビロンはメディア・ペルシャの連合軍に攻め込まれて滅亡というのが、ヘロドトスも書いている歴史上の出来事です。その立役者になったペルシャのキュロス2世は、ペルシャ・アケメネス家の娘マンダネがメディア王アステュアゲスに嫁いで(戦略結婚・その頃ペルシャはメディアに隷属していた)生まれた王子です。メディアの王宮で育ちましたが、いろいろ事情があってペルシャに戻り、そこで、みるみるうちに実力をつけてアケメネス朝を立ててメディア王国を滅ぼし、非常に短期間で大河地方の覇者となりました。メディアのことは余り知られていませんが、他国への侵略にはさほど興味がなかったようで、自分たちのエリヤが侵害されなければそれでよしとするところがあったようです。後期メディアとペルシャの連合はごく短期間のうちに行われ、バビロンにいた捕囚の民にも、全く寝耳に水といったバビロン崩壊ではなかったかと思われます。捕囚の民の中にも預言者たちがいましたから、一概にこれを神さまの託宣でないと言い切ることは出来ませんが、「預言者エレミヤを通して」と断り書きがあるところを見ますと、事後報告と考えたほうが当たっているようにも感じられます。


U エレミヤ亡き後の余白を

「諸国の民の間に告げ、旗を掲げて知らせよ。隠さずに言え。『バビロンは捕らえられた。ベルははずかしめられ、メロダクは砕かれた。その像ははずかしめられ、その偶像は砕かれた』」(2)ベルはバアルのことで、都市神メロダクはバビロンの主神マルドゥク、これもベルと呼ばれていますから、同一神が複数の言い方で言われているようです。ベルはもともとアッシリア・ニップルの都市神でしたが、バビロンが帝都になったとき、祭儀伝承とともにそれがマルドゥクに転用されたのでしょう。シリアからカナン諸国に至る地域ではバアル神が広く崇拝されていましたが、「バアル=主人」という意味があるように、古代バビロンの影響下にあって、マルドゥク信仰がバアル信仰に姿を変えて定着したと思われます。ここにはバアルという呼び名は出て来ませんが、ベル、メロダクと言い換えをすることで、編集者はその広がりを示しているのかも知れません。恐らくそこには、バビロンの神々に対して畏敬の念を抱いていたキュロスのことも含まれているのでしょう。神々の権威失墜は、世界規模のニュースになっているのです。「北から一つの国がここに攻め上り、この地を荒れ果てさせたからだ。ここには住む者もない。人間から家畜に至るまで逃げ去った」(3)とあります。「ユダ王国を滅ぼすために北から一つの国を興す」と、バビロンのことを語ったのはエレミヤ自身でしたが、この編集者は、もう一つ別の国を北から興し、バビロンに敵対させると言うのです。それが彼の見た結果であったとしても、そこには、エレミヤの預言思想を受け継ぎたいとの、彼の強い願いが透けて見えるではありませんか。

 この編集者はただの知識人ではなく、彼自身が預言者だった可能性が浮かび上がって来るようです。預言者とは、もともと神さまのことばを伝える者という意味であり、そのような存在でした。特に捕囚期には、シナゴグが生まれ、そこで神さまのことばが朗読され、その神さまのことばからメッセージが語られるという礼拝が行われていましたが、そのメッセージの担当者が、預言者たちではなかったかと思われます。詩篇や箴言には、彼らのメッセージの痕跡が色濃く残っているようです。エレミヤは主のことばの証人として生きながらえ、ユダ王国の滅亡を見届けました。しかし、心ならずもエジプトに強制連行され、それでも預言者としての活動を続けましたが、この出来事の最後までを見届けることは出来ず、エジプトで亡くなりました。この編集者は、その余白を埋めようと試みたのでしょう。彼は多分、より多くの知識に富む、知識人でした。それがこの託宣詩に現われているようです。


V 主の手として

 その思いは、次のイスラエルの歩んだ在り方と、もう一つのバビロンからの帰還の記事に込められているようです。「―主の御告げ。― イスラエルの民もユダの民も共に来て、泣きながら歩み、その神、主を、尋ね求める。彼らはシオンを求め、その道に顔を向けて、『来たれ。忘れられることのないとこしえの契約によって、主に連なろう』と言う。わたしの民は、迷った羊の群れであった。その牧者が彼らを迷わせ、山々へ連れ去った。彼らは山から丘へと行き巡って、休み場も忘れてしまった。彼らを見つける者は、みな彼らを食らい、敵は『私たちには罪がない。彼らが、正しい牧場である主、彼らの望みであった主に、罪を犯したためだ。』と言った。バビロンの中から逃げ、カルデヤ人の国から出よ。……」(4-10)これは、捕囚となってバビロンで苦労の日々を重ねていたときに、編集者自身が目撃したことであろうと思われます。彼らが流した涙と辛酸の末イスラエルに帰還出来たとすれば、エレミヤより少なくとも一世代は若いでしょう。彼らより前の世代が神さまに対して犯した罪の結果がこれであると悔いた、その思いを受け継いでヤハウェへの信仰に立とうとしています。それは実に、エレミヤが願ったことでした。民の教師であり預言者でもあった編集者は、そのラインに立って、エレミヤ書の余白を埋めようとしたのではないでしょうか。「私たちは罪を犯しました。このバビロン捕囚は当然のことでした」と、その思いが伝わって来るようです。

 彼らがそこに立った時、神さまのご介入があります。メディア・ペルシャが招き出され、バビロンの役割が終わりました。その出現も突然でしたが、終わりもまた突然です。神さまの手として彗星のように現われ、そして前539年、カルケミシュの戦いからわずか66年で消えていったのです。キュロスもまた、神さまの手として招き出されました。イスラエル帰還に関しては、U歴代誌にこうあります。「これは、エレミヤにより告げられた主のことばが成就して、この地が安息を取り戻すためであった。この荒れ果てた時代を通して、この地は70年が満ちるまで安息を得た。ペルシャの王クロスの第一年に、エレミヤにより告げられた主のことばを成就するために、主はペルシャの王クロスの霊を奮い立たせたので、王は王国中におふれを出し、文書にして言った。ペルシャの王クロスは言う。『天の神、主は、地のすべての王国を私に賜った。この方はユダにあるエルサレムに、ご自分のために宮を建てることを私にゆだねられた。あなたがた、すべての主の民に属する者はだれでも、その神、主がその者とともにおられるように。その者は上って行くようにせよ。』」(36:21-23)ただ帰還を許したのではない。エルサレムに主の宮を建てるために、帰還を促したのです。「神の国とその義とを第一に求めよ」(マタイ6:33)とあります。エレミヤとバルク、そして、この編集者も、そのために働き、イエスさまの弟子たちもそうでした。主の手として。私たちもと願わされるではありませんか。


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