預言者の系譜

エレミヤ 48
預言者の優しさを

エレミヤ 47:1−7
エペソ 2:11−22
T 第一の敵対民族・ペリシテ

 46-51章には、エジプトとパレスティナ一帯に広がる、七つ(八つ?)の民族(ペリシテ、モアブ、アンモン、エドム、ダマスコ、ケダルとハッツォル、エラム)と、バビロンへのメッセージが語られています。エジプトについては先週お話しましたが、残りの民族全部については取り上げません。その中から今朝は、ペリシテとバビロンへの託宣だけを見ていきたいと思います。パレスティナ諸民族については、いずれも古くからイスラエルの敵対国であり、表現は違っても、彼らへの威嚇という託宣に変わりないからです。ペリシテは、カナンを指すパレスティナの語源になった(バル・コフバの乱・132年の後、ローマによってシリア・パレスティネンシスと改名された)民族で、もともと、エーゲ海のどこかの海洋民族だったようです。他の民族に先駆けて鉄器を使うなど、高度な文明を誇っていました。何らかの事情でカナンに移り住み、地中海沿岸平野部に、自分たちの国を建てたようです。イスラエルの敵対国として、アブラハムの頃から度々その名が出てきます。有名なところでは、士師記の「サムソンとデリラの物語」ですが、少年ダビデが戦いを挑んだ巨人ゴリアテも、ペリシテ人です。彼らは、イスラエルに敵対した最強民族でした。もっとも、ダビデ以降は、ほとんどの時代、イスラエルに屈服しています。

 1節の表題に、「パロがまだガザを打たないうちに、ペリシテ人について、預言者エレミヤにあった主のことば」とありますが、もともとこれは、「ペリシテ人について」という、シンプルな表題だったろうと考えられています。「パロがまだガザを……」とある部分は、70人訳にはなく、恐らく、バビロン捕囚期の編集者による加筆と思われます。ペリシテ南部に位置するガザは五大都市の一つでしたが、イスラエルの支配地になったり、アッシリヤの手に渡ったりと、変遷を繰り返しました。エジプトのネコによるガザ攻撃は、ヘロドトスの「歴史」にも言及されていて(BC605年?)、それは事実だったろうと考えられています。すると、ユダ王国にさまざまな危機が襲いかかった時期と、ペリシテ人へ厳しい警告が発せられた時期が、時間的巾はあるものの、重なります。しかし、どうしてペリシテ人にこれほどまでに厳しい審判が下されるのか、その理由については、神さまもエレミヤもバルクも何故か沈黙しています。ユダ王国がらみの、何かがあったようです。


U 洪水のように

 「見よ。北から水が上って来て、あふれる流れとなり、地と、それに満ちるもの、町とその住民とにあふれかかる。人々は泣き叫び、地の住民はみな泣きわめく。荒馬のひづめの音、戦車の響き、車輪の騒音のため、父たちは気力を失って、子らを顧みない。すべてのペリシテ人を破滅させる日が来たからだ」(2-4a) 「北から……」とは、バビロンのことです。ペリシテ侵攻が洪水に例えられていますが、この地方の人々にとって、荒馬のひづめの音、戦車の響き……といった猛々しい騒音を上げながらやって来るバビロニヤ軍の侵攻は、毎年経験している、雨期の洪水にも似ていると感じられたのでしょう。この地方は乾期と雨期という、二期制の熱帯性気候です。最近の日本も、それに似た様相を呈しているようですが……。乾期にもワディと呼ばれる河床はありますが、そこには一滴の水もありません。雨期になるとそのワディに水が溢れ、別に何本もの川を造って、何もかも押し流してしまいます。ペリシテ人は、その恐ろしさを経験して知っていました。イスラエルを圧倒していた頃の彼らは、少々の洪水などには驚かなかったでしょうが、ダビデの時代から400年も経って、今はその面影もありません。「父たちは気力を失って」とは、彼らが、かつて傘下にあったイスラエルに支配され、近隣の弱小民族と同じように、無気力になっていたことを言っているのでしょう。しかしこの託宣が語られた時は、エホヤキム王治世の早い段階で、まだヤハウェの託宣に過ぎません。しかしそれは、実際にバビロニヤ軍が攻撃して来たときの光景そのものではなかったかと思われるほどです。バビロン軍の侵攻がいつ頃のことだったかは不明ですが。

 「すべてのペリシテ人を破滅させる日が来たからだ。その日には、ツロとシドンを、生き残って助ける者もみな、断ち滅ぼされる。主が、カフトルの島に残っているペリシテ人たちも破滅させるからだ」(4) 少し北に位置するフェニキヤの港湾都市・ツロやシドンは、バビロンの脅威のもとに、ペリシテと同盟都市関係にあったようです。しかし、それらの都市が先にバビロンの攻撃を受け、ぺリシテに援軍を送ることも出来なくなっています。カフトル島は、クレタ島のことのようです。カナンに移住しなかったペリシテ人もいたのでしょう。海洋民族でしたから、クレタ島ばかりでなく、あちこちに同じ民族が小さな集団となって生きのびていたと思われますが、バビロンは、そんな者たちをも攻撃し、滅ぼしたのでしょうか。「ガザは頭をそられ、アシュケロンは滅びうせた。アナク人の残りの者よ。いつまで、あなたは身を傷つけるのか」(5)ペリシテ人の都市が次々と攻略されます。


V 預言者の優しさを

 カルケミシュでエジプトのネコの軍隊を打ち破ったネブカデネザル王は、バビロニヤ軍をカナンに送るのですが、それに先だって、カナンの諸民族国家を次々と攻略し、アラム、モアブ、アンモンを、ユダ王国攻撃の先兵として送り込んでいました(12:12・エレミヤ15参照)。それはBC601年のことでしたが、その時期と重なるのでしょうか。しかしこの時、そこにペリシテやツロ、シドンの名は見当たりません。そんなバビロンの戦法は、ペリシテをも巻き込み、エホヤキムからゼデキヤの時代まで、何回も繰り返されたに違いありません。少し後になって、各国の使者がゼデキヤ王のもとにやって来ました。バビロンの脅威に対し、軍事同盟を結ぼうという誘いです(27:2-4)。そこには、「ユダの王ゼデキヤのところに来る使者たちによって、エドムの王、モアブの王、アンモン人の王、ツロの王、シドンの王に伝言を送り、彼らがそれぞれの主君に次のことを言うように命じよ」と、ツロやシドンの名前が出て来ます。この時エレミヤはその軍事同盟を阻止していますが(27:4-11)、同じようなことが何回もあったと思われます。昔からカナンでは、付いたり離れたりということが普通でした。カナンばかりでなく、戦争というのは、そうしたものなのでしょう。ですから、バビロン捕囚時の編集者にもさまざまな出来事が交錯していて、この託宣がいつごろ実現したのかは確定できません。これが何回目のことであったか分かりませんが、エドム、モアブ、ツロ、シドンといったカナンの諸民族国家が、バビロンに屈服した後に裏切ったとすれば、このような報復と破滅は当然だったのかも知れません。そして、その中にペリシテも含まれていたのです。

 6-7節はエレミヤの嘆きです。「『ああ、主の剣よ。いつまで、おまえは休まないのか。さやに納まり、静かに休め』どうして、おまえは休めよう。主が剣に命じられたのだ。アシュケロンとその海岸―そこに剣を向けられたのだ」 現代にも、このエレミヤの嘆きが聞こえて来るようです。昔、平凡社から「戦争の歴史」という全集が出版されましたが、中身はほとんど一般の歴史と同じでした。人間の歴史と戦争の歴史は、重なりあうのです。武器が巨大化して全面的な世界戦争が出来なくなったと指摘されていますが、その掛け金が、いつ、どんなきっかけで外されないとも限りません。鉄砲の弾が飛び交うばかりでなく、経済戦争なども含め、神さまを忘れてしまった人間の所行が浮き彫りにされています。ところがこの威嚇預言には、「なぜ神さまは剣に命じられたのか?」という、エレミヤの疑問がにじみ出ているようです。外国の、しかもイスラエルにとって敵国だったペリシテに対するエレミヤの目は、とても優しいのです。いや、人間に対してと言うべきでしょうか。外国人とか異邦人とか言っても、神さまにとって、いづれもご自分の民なのです。ただ彼らは、バアル神やイシュタル女神にうつつをぬかし、ヤハウェを忘れてしまいました。そんな彼らにヤハウェを思い出させるために、イスラエルは祭司の国として選ばれたのです。それなのにイスラエルは……!! エレミヤの優しさは、イスラエルが担うべきことではなかったでしょうか。私たちもその優しさを、そのかけらでも持ち続けたいと願わされます。「……以前は遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスの中にあることにより、キリストの血によって近い者とされたのです」(エペソ2:11-22)とパウロが言ったように、主の民を求める者として……。


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