預言者の系譜

エレミヤ 43
希望の始まりが

エレミヤ 32:1−44
ロマ 5:1−5
T 従兄弟ハナムエル

 ユダ王国の滅亡とダビデ王朝の崩壊、そして、ユダヤ人が移住したエジプトでの、エレミヤとバルクの働きを見て来ました。エレミヤ書はそこでほとんど終わりですが、まだ手をつけていないエレミヤのメッセージが残っていますので、少し遡って、そのメッセージを聞いていきましょう。

 今朝は、32章からです。「ユダの王ゼデキヤの第十年」(1)とありますので、これはエレミヤが主戦派の人たちによって「書記ヨナタンの家にある丸天井の地下牢」に幽閉され、あやうく餓死するところでしたが、それがゼデキヤ王の知れるところとなり、地下牢から助け出されて、王宮の「監視の庭」(獄屋)にいたときのこと(37:21)と思われます。ユダ王国の命運も厳しい状況でしたが、まだいくらかの余裕があり、獄舎で監視されていたと言っても、エレミヤはかなり自由だったようです。捕えられる前のように、預言者の務めのため、外に出て民衆に話しをしています。それを主戦派の人たちが聞いて、切羽詰まった38章の記事になるのですが、その前のことです。

 どこからか聞いたのでしょうか。エレミヤのもとに、アナトテから従兄弟・ハナムエルが訪ねて来ました。脱出組がバビロン軍の包囲網をくぐり抜けていますから、秘密の通路がどこかにあったのでしょう。彼は、エルサレム城内でも咎められず、王宮まで辿り着いています。主戦派の誰かとの接触、手引きがあったのではと思われます。「どうか、ベニヤミンの地のアナトテにある私の畑を買ってください。あなたには所有権もあり、買い戻す権利もありますから。あなたが買い取ってください」(32:8)これは、アナトテの土地売買のことで、バビロン軍が一時退却した時期を狙ってアナトテに行こうとしたエレミヤが衛兵に捕まり(37:12-13)、「丸天井の地下牢」に幽閉されたため、果たせなかった約束のためでした。「所有権もあり、買い戻す権利も」と言われますから、もともとエレミヤ一家の土地だったものを、ハナムエル一家の誰かが手に入れていたということでしょうか。すると、かなり裕福で、生活に困って土地を手放そうとしたのではない、利に聡い彼らの人物像が浮かび上がって来るようです。しかし、「買い戻し」は必ずしも元の所有者への移譲を意味しませんので、もしかしたら、本当に困窮していたのかも知れません。いづれにしても、もはやユダ王国に未来はないと見限ったのでしょう。アナトテを放棄し、他の土地に移住しようとしています。もしかしたら、イスラエルを離れ、外国に行こうと決めていたのかも知れません。


U アナトテの土地を

 エレミヤは、従兄弟の申し出が主から出たことであると知りました(8)。7節には「あなたのおじシャルムの子ハナムエルが、あなたのところに来て、『アナトテにある私の畑を買ってくれ。あなたには買い戻す権利があるのだから』と言おう」と、主のことばありました。それが何を意味するのか分かりませんでしたが、そこには何らかの主のご計画があるのだろうと、エレミヤはハナムエルが持ちかけた商談に乗ります。「そこで私は、おじの子ハナムエルからアナトテにある畑を買い取り、彼に銀17シェケルを払った。すなわち、証書に署名し、それに封印し、証人を立てて、はかりで銀を量り、命令と規則に従って、封印された購入証書と、封印のない証書を取り、おじの子ハナムエルと、購入証書に署名した証人たちと、監視の庭に座しているすべてのユダヤ人の前で、購入証書をマフセヤの子ネリヤの子バルクに渡し、彼らの前でバルクに命じて言った。『イスラエルの神、万軍の主は、こう仰せられる。これらの証書、すなわち封印されたこの購入証書と、封印のない証書を取って、土の器の中に入れ、これを長い間保存せよ」(9-14)

 銀17シェケルが適切な価格だったのか、それは分かりませんが、ユダヤに長く続いた神殿税が20 歳以上の男子一人につき年に半シェケルと義務づけられていたことを考えますと、17シェケルはいかにも大きな金額です。エレミヤが、この状況下で、それほどのお金を用意出来たことは驚きです。しかし、預言者活動のため庇護者もいましたから、神さまの支えがあってのことなのでしょう。そして、バルクは、(恐らく)証人の一人になり、併せて、証書を保管する者になりました。それは公認書記の重要な仕事の一つでしたから、証書を保管しておく場所がバルクの家だったと想像しても、あながち的外れではないでしょう。もしかすると、エルサレムでのエレミヤの居場所が彼の家だった……?とは、想像のし過ぎでしょうか。もっとも、この状況下では、家や土地など、もはやないに等しくなっています。痛みがあったとはまるで伝わって来ない、ハナムエルが得た土地の代金17シェケルは、まるでひったくられたとでも言えるほど大きな金額です。

 しかしエレミヤは、畑を購入することで、神さまのことばに従いました。それは、再びこの国で家や畑やぶどう畑が買われるようになるという、畑の購入は、イスラエルに再び平和がもたらされることへの象徴的な意味を持っていたのです。「まことに、イスラエルの神、万軍の主は、こう仰せられる。再び、この国で家や、畑や、ぶどう畑が買われるようになるのだ」(15)とあります。


V 希望の始まりが

 17-25節は、エレミヤの祈りです。しかしこの祈りは、「なぜ?」という彼の問いかけでした。「ご覧ください。この町を攻め取ろうとして、塁が築かれました。この町は、剣とききんと疫病のために、攻めているカルデヤ人の手に渡されようとしています。あなたの告げられた事は成就しました。ご覧のとおりです。神、主よ。あなたはこの町がカルデヤ人の手に渡されようとしているのに、私に『銀を払って、あの畑を買い、証人を立てよ』と仰せられます」(24-25)畑を買ったことに何の意味があるのだろうか。今まさに滅びようとするエルサレムの現状を見ながら、これはエレミヤに沸いた疑問でした。見回すと、戦争末期の殺伐とした光景が辺り一帯に広がっています。それでもまだ、再び平和が戻ると言われるのですか?

 神さまの答えは、峻烈です。エレミヤが抱いたかも知れない淡い期待は却下され、「見よ。わたしはこの町を、カルデヤ人の手と、バビロンの王ネブカデネザルの手に渡す。彼はこれを取ろう」(28)と、神さまの計画に変更はありません。恐らくハナムエルのことは、当時、利を求めて右往左往して走りまわっている、イスラエルの人たちの氷山の一角と思われます。彼がエレミヤのところに来たのは、アナトテの親族間に、そんな利を巡る争いがあったからではなかいかと想像します。神さまの審判が実行されようとしているのは、そんな人たちへの怒りからでした。イスラエルにとって、土地は神さまから頂いたかけがえのない恵みであって、その土地を親から子、子から孫へと受け渡されていくのは、神さまを私たちの神さまとするという、彼らの信仰でした。そんな大切な土地を、痛みも無く手放そうとする、それは神さまをないがしろにしているからです。そしてそれは、現代世相そのものではないでしょうか。大切なことから目をそらし、お金、お金……と目の色を変えています。

 36節の「それゆえ……」は43節に続き(37-42は編集者の加筆)、救済のことばに変わりますが、「それゆえ」が審判と救済を結んでいます。神さまの審判は、審判のための審判ではないと、エレミヤは聞かなければなりません。それがエレミヤへの答えでした。この32章は、「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した」とある30-31章の序文であって、今、エレミヤに答えることで、神さまは新しい希望の一歩をこの地に刻もうとしている、と見えて来ます。そう聞いたエレミヤは、もはや異議を挟みません。「それゆえ、今、イスラエルの神、主は……こう仰せられる。あなたがたが『この地は荒れ果てて、人間も家畜もいなくなり、カルデヤ人の手に渡される』と言っているこの国で、再び畑が買われるようになる。ベニヤミンの地でも、エルサレム近郊でも、ユダの町々でも、低地の町々でも、ネゲブの町々でも、銀で畑が買われ、証書に署名し、封印し、証人を立てるようになる。それは、わたしが彼らの捕らわれ人を帰らせるからだ。―主の御告げ―」(36、43-44)そんなエレミヤの葛藤と、神さまが与えてくださった解決を、バルクはすぐそばで見ていました。エレミヤが信仰に立ったように、バルクもまた同じ所に立ったのでしょう。その信仰こそ、希望への第一歩でした(ロマ5:1-5)。私たちもその信仰に立ちたいと願わされるではありませんか。そして、利のために走りまわる現代人も、ハナムエルのようではない立ち方を、覚えて欲しいと心から願います。


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