預言者の系譜

エレミヤ 40
主の証人として(2)

エレミヤ 41:11−43:13
Uテモテ 4:1−8
T バビロンの追っ手を逃れて

 先週、ミツパでユダヤ回復のために働き始めたゲダルヤが殺され、その地で神さまが祝福を望まれたのに、それを拒否した者たちがいたことを知りました。40章から43章までは、一続きのバルクの証言ですが、先週はその前半を見ました。今朝はその続き、後半の部分からです。聞いていきましょう。

「カレアハの子ヨハナンと、彼とともにいたすべての将校は、ネタヌヤの子イシュマエルが行なったすべての悪事を聞いたので、部下をみな連れて、ネタヌヤの子イシュマエルと戦うために出て行き、ギブオンにある大池のほとりで彼を見つけた」(41:11)と、後半の記事が始まります。ヨハナンは、イシュマエルの陰謀をゲダルヤに密告した人です。イシュマエルが連れ出したミツパの人たちは、ヨハナンとその軍隊を見て、大喜びでヨハナンのもとに駆け寄り(13-14)、イシュマエルは死海東に広がる、アンモン人の国に逃げ込みます(15)。そこは、バビロン軍に追われた彼が、身を潜めていたところでした。アンモン人の王は、ユダヤを狙っていて、イシュマエルを利用したようです(40:14)。

 さて、ゲダルヤもいなくなり、イシュマエルを追い払ったヨハナンは、ミツパの人たちとともにエジプトへ逃れようとします。バビロンが、総督ゲダルヤ殺害の責任を、自分に求めて来ると思ったからです(16-18)。ベツレヘム近くの国境の町ゲルテ・キムハムまで来たとき、一息ついたのでしょうか、ヨハナンはエレミヤに尋ねます。「どうぞ、私たちの願いを聞いてください。私たちのため、この残った者みなのために、あなたの神、主に祈ってください。ご覧のとおり、私たちは多くの者の中からごくわずかだけが残ったのです。あなたの神、主が、私たちの歩むべき道と、なすべきことを私たちに告げてくださいますように」(42:2-3) 答えは10日後でした。なぜ10日後だったのか、それをとやかく言うことは出来ませんが、追っ手を気にしながらの10日間は、どれほど長く感じられたことでしょう。その間のエレミヤとヨハナンの会話に、興味を惹かれるところがあります。神さまへの呼び名が、ヨハナンは最初、「あなた(エレミヤ)の神」(42:2)と言っていますが、エレミヤはそれに「あなたがたの神」(4)と答え、次にヨハナンは「あなたの神」(5)から「私たちの神」(6)と、神さまの呼び名が変わっています。バビロンへの恐怖が、神さまへの信仰にも変化を来したようです。短い記事で、隠されているところもありますが、恐怖と信仰との間を、振り子のように揺れ動く彼らの様子が、見事に描かれているではありませんか。どうしようかと議論を繰り返す彼らの、迷いと焦りが見えて来るようです。


U 揺れ動いた心がエジプトに

 神さまのことばは42:10-22と、とても長く詳しいです。ここはしっかり記録しなければという、バルクの思いが伝わって来るようです。「もし、あなたがたがこの国にとどまるなら、わたしはあなたがたを建てて、倒さず、あなたがたを植えて、引き抜かない。わたしはあなたがたに下したわざわいを思い直したから。あなたがたが恐れているバビロンの王を恐れるな。彼をこわがるな。―主の御告げ―わたしはあなたがたとともにいて、彼の手からあなたがたを救い、彼の手からあなたがたを救い出すからだ。……しかし、私たちはこの国にとどまらない。エジプトの国に行こう。あそこでは戦いに会わず、角笛の音も聞かず、パンにも飢えることがないから、あそこに、私たちは住もう……と言って、エジプトに寄留するなら、……あなたがたの恐れている剣が、あのエジプトの国であなたがたに追いつき、あなたがたの心配しているききんが、あのエジプトであなたがたに追いすがり、あなたがたはあそこで死のう。……」(10-17)これは前半の部分だけですが、神さまのことばが、エレミヤのことばとなって、最後まで続きます。要点は三つあります。一つは、ユダヤの地にとどまれ。そうすればあなたがたに祝福を与えよう。二つ目は、バビロンを恐れるな。神さまご自身がその盾となってくださる。三つ目は、エジプトへ行ってはならない、ということでした。このメッセージは、恐らく、何回にも分けて語られたと思われます。それをバルクが、一箇所にまとめたのでしょう。

 ヨハナンたちは「私たちは良くても悪くても、あなたを遣わされた私たちの神、主の御声に聞き従います」(6)と言いました。それなのに、彼らの心は揺れ動いていて、エレミヤからこう言われます。「あなたがたは迷い出してしまっている。あなたがたは私をあなたがたの神、主のもとに遣わして、『私たちのために、私たちの神、主に祈り、すべて私たちの神、主の仰せられるとおりに、私たちに告げてください。私たちはそれを行ないます』と言ったのだ。……だから今、確かに知れ。あなたがたは、行って寄留したいと思っているその所で、剣とききんと疫病で死ぬことを」(42:20-22)ミツパには戻れない。エルサレムは、もう住めるところではない。私たちの落ち着く所は、このイスラエルのどこにもない。エレミヤはイスラエルの地に留まれと言うが、それは出来ない。揺れ動く彼らの心は、エジプトに向かって、一気に振り切れてしまいました。


V 主の証人として

 「あなたは偽りを語っている。私たちの神、主は『エジプトに行って寄留してはならない』と言わせるために、あなたを遣わされたのではない。ネリヤの子バルクが、あなたをそそのかして私たちに逆らわせ、私たちをカルデヤ人の手に渡して、私たちを死なせ、また、私たちをバビロンへ引いて行かせようとしているのだ」(43:2-3)とヨハナンは言い、バルクはそれをこう記しました。「ヨハナンとすべての将校と、すべての民は、ユダの国にとどまれという主の御声に聞き従わなかった」(4)

 ヨハナンは、バルクがあなたをそそのかしたのだと、バルクを悪者に仕立てました。多分、バルクと同年代だったのでしょう(40歳前後?)。そのバルクが、確信をもって働いています。嫉妬が生まれたのでしょうか。引くに引けない状況になったヨハナンは、引き連れていたすべての者とともに、エジプトに行きます。エレミヤとバルクをも連れて。なぜ、エジプトに拘ったのか。一つには、そこにユダヤ人コロニーがあったからと言われています。エジプトには、古くからユダヤ人が住み着いていました。もっと後のことですが、エジプトはユダヤ人を手厚く保護し、エルサレム神殿を模した神殿の建設にさえ援助しています。しかし、恐らく、一刻も早くバビロンの手から逃れたいというのが、本音だったのでしょう。エジプトに行けば、強国エジプトが私たちを守ってくれるはずだ。バビロンを恐れ、エジプトを強大国と思い込んだ彼らの目は、エジプトがバビロンの手が届かないほど遠くに見えたのでしょうか。彼らの目に、ユダヤの外の土地は、とてつもなく広く、果てしない可能性を秘めていると感じられたのでしょう。神さまの手も届かないほどに……。本当は、ミツパに戻るべきでした。ネブカデネザルに事件の真相を話し、ことの正否を訴えるべきでした。それが神さまの望まれる、唯一の彼らの生きる道でした。しかし彼らは、エジプトしか見えなくなっていました。

 エレミヤとバルクは、彼らの申し出を拒否し、ミツパに戻ることも出来たでしょう。しかし二人は、逃げる人たちに寄り添いました。そして彼らに、神さまのことばを語り続けるのです。エジプト国境の町タフパヌヘスに着くと、エレミヤは神さまのことばを取り次ぎます。「見よ。わたしは人を送り、わたしのしもべバビロンの王ネブカデネザルを連れて来る。彼はエジプトの国を打ち、死に定められた者を死に渡し、とりこに定められた者をとりこにし、剣に定められた者を剣に渡す。彼はエジプトの神々の宮に火をつけて、それらを焼き、かれらをとりこにする。……彼はエジプトの国にある太陽の宮の柱を砕き、エジプトの神々の宮を火で焼こう」(10-13) その通り、ネブカデネザルはエジプトに遠征し、その地を略奪したことが知られています。582-581年のことだったようです。エレミヤとバルクは生き抜いて、その様子を目撃しました。報告はありませんが、44章にエジプトへの託宣が語られています。エレミヤもバルクも、主のことばの証人として立ち続けたのです。パウロのことばを聞いてください。「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、誡め、また勧めなさい」(Uテモテ1-8)「時が良くても悪くても……」エレミヤもバルクも、そんな生き方を貫きました。エジプトに居ながら、エジプトではなく、神さまに目を向けていたからでしょう。そんな立ち方、生き方を覚えたいと願います。


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