預言者の系譜

エレミヤ 36
神もし我らの味方ならば(1)

エレミヤ 37:1−21
ロマ  8:31−39
T 何を期待してか?

 ゼデキヤ王はもともと、ネブカデネザルによって思いもかけず王とされた人ですが、能力的にも資質的にも欠けたところが多く、優柔不断で、声高に世論を引っ張る主戦派に、どうしても傾いていきます。そのゼデキヤ王の治世に、バビロニア軍のエルサレム包囲という、ユダ王国最大のピンチを迎えますが、ゼデキヤには、それを回避する力がありません。ついにエルサレム陥落という事態を招いてしまいます。37~43章までは、そんな一連の王国滅亡物語が進行します。今朝は37章からです。

 恐らく、これはバルクの手によるもので、36:32に「(バルクは)さらにこれと同じような多くのことばもそれに書き加えた」とある、その続きの記事なのでしょう。最初に、事前説明があります。「王も、その家来たちも、一般の民衆も、預言者エレミヤによって語られた主のことばに聞き従わなかった」(2)「そのとき、エレミヤは民のうちに出入りしていて、まだ獄屋に入れられていなかった。パロの軍勢がエジプトから出て来たので、エルサレムを包囲中のカルデヤ人は、そのうわさを聞いて、エルサレムから退却したときであった」(4-5)バビロニア軍包囲の中で、エジプト軍の援軍が出動して来ます。風前の灯火といった状況が少しだけ緩和され、そんな中で、王はエレミヤに使者を送ります。「どうか私たちのために、私たちの神、主に祈ってください」(3)王たちは、エレミヤから好ましい知らせが聞けると期待したのでしょうか。しかし、エジプト軍は到着しません。

 エレミヤのメッセージがあります。「イスラエルの神、主は、こう仰せられる。『わたしに尋ねるために、あなたがたをわたしのもとに遣わしたユダの王にこう言え。見よ。あなたがたを助け出しに来たパロの軍勢は、自分たちの国エジプトへ帰り、カルデヤ人が引き返して来て、この町を攻め取り、これを火で焼く』」(7-8)「あなたがたは、カルデヤ人は必ず私たちから去る、と言って、みずから欺くな。彼らは去ることはないからだ。たとい、あなたがたが、あなたがたを攻めるカルデヤの全軍勢を打ち、その中に重傷を負った兵士たちだけが残ったとしても、彼らがそれぞれ、その天幕で立ち上がり、この町を火で焼くようになる」(9-10)これは、王たちが期待したものとは、根本的に違いました。ユダの反撃がバビロン軍を打ち破るなど、あり得ないことですが、そんな不可能が可能になったとしても、神さまの語られたことは覆ることはない。それは、預言者たちが王の耳に吹き込んできた、「欺瞞的な政治的希望・希望の神学」を徹底的に打ち砕くものでした。


U 襲いかかる苦難

 エレミヤに危害の手が及びます。「カルデヤの軍勢がパロの軍勢の来るのを聞いてエルサレムから退却したとき、エレミヤは、ベニヤミンの地に行き、民の間で割り当ての地を決めるためにエルサレムから出て行った」(11-12)エレミヤがベニヤミンの地に行こうとしている、その事情は、「民の間で割り当ての地を決めるため」とあるだけですが、32章で、何らかの事情があり、いとこのハナムエルが、「ベニヤミンの地にある私の畑を買ってくれないか」と言って来ました。その時、契約書作成のことで、バルクも立ち会っています。恐らく、その件で出掛けようとしていたのでしょう。しかし、金を払ってその畑を購入するのは少し後の32章のことですから、この時、それは実現しません。なぜならエレミヤは、城壁北側のベニヤミンの門で、逮捕されてしまったからです(13)。「あなたはカルデヤ人のところへ落ちのびるのか」と詰問されていますから、当時、バビロン軍に投降する者が多く、門衛イルイヤも、エレミヤをバビロンのシンパとみなしたのでしょうか。門を通る者が、厳しい検問にかかっても当然の状況です。バビロン軍が退却したとはいえ、戦時中であることに変わりありません。門衛イルイヤはエレミヤの弁明など聞こうともせず、上司である高官たちのところにエレミヤを連行しました。この高官たちは、エレミヤを見知っていたようです。それは彼らが、34章でゼデキヤ王が奴隷解放を宣言したとき、奴隷を自由にした後、その契約を破棄したと、エレミヤから厳しく非難された者たちだったからです。そこにはもう、エレミヤに好意を持つ高官など、見当たりません。王の意思とは関係なく、ユダ王国はすでに、主戦派の手に押さえられていました。

 彼らは、イルイヤが連行したエレミヤを見て、屈辱を晴らす絶好の機会が巡って来たと思ったのでしょうか。「預言者エレミヤに向かって激しく怒り、彼を打ちたたき、書記ヨナタンの家にある牢屋に入れた。そこを獄屋にしていたからである。エレミヤは丸天井の地下牢に入れられ、長い間そこにいた」(15-16)と、バルクの筆はその不当性を告発してやみません。彼らは、エレミヤ逮捕を王に報告しようともせず、裁判にかけようともしていません。やりたい放題をやっているのです。この段階でユダ王国は、もはや無政府状態に陥っていたと言っていいでしょう。恐らく、通常の牢獄は、そんな不当逮捕による、無実の罪に問われた者たちで一杯になっていて、臨時の牢獄が用意されていました。「丸天井の地下牢に長い間」としかバルクは記していませんから、その期間がどれくらいだったのか、あるいは、どのような拘束だったのかは分かりませんが、21節にパンの記述があることから、エレミヤは、恐らく、食べ物が与えられずに放置されていたことが窺えます。それは、エレミヤを飢え死にさせるための処刑、ではなかったかと思われます。


V 神もし我らの味方ならば

 地下牢に幽閉されたエレミヤのことが、王に知らされます。ゼデキヤは、エレミヤを王宮に連れて来るように命じて、「ひそかに」尋ねました。「主から、みことばがあったか」(17)「ひそかに」というのは、主戦派を刺激しないためでしょう。王とは言えゼデキヤに、そんな主戦派の横暴な行動を制止する力は残っていません。退却したバビロン軍が戻って来て、エルサレム包囲網は再開されていたようです。いつの時代、どこの国においても、戦時中は、主戦派軍人の発言が強く、しばしば王さえも圧倒したと、それは歴史が物語っています。しかし、ここで彼らがすんなり王の命令を聞いてエレミヤを引き渡したのは、足下に火がついて、エレミヤどころではなかったからかも知れません。バビロン軍が戻って来たということは、もはやエジプトを当てに出来ないことを意味します。王はひそかに尋ねましたが、エレミヤはそんなことに斟酌しません。

 「あなたはバビロンの王の手に渡されます」(17)と、厳しいメッセージを繰り返し、優柔不断な王も、そのことばに耳を傾けざるを得ませんでした。ゼデキヤは、「あなたや、あなたの家来たちやこの民に、私が何の罪を犯したというので、私を獄屋に入れたのですか。あなたがたに『バビロンの王は、あなたがたと、この国とを攻めに来ない』と言って預言した、あなたがたの預言者たちは、どこにいますか。今、王さま、どうぞ聞いてください。どうぞ、私の願いを御前にかなえて、私を書記ヨナタンの家へ帰らせないでください。そうすれば、私はあそこで死ぬことはないでしょう」(18-20)と訴えた彼の願いを聞き、王はエレミヤを、王宮の監視の庭(牢獄)に拘留します。バビロン軍の包囲で、食料も乏しくなっていたと思われますが、王は「パン屋街」から、エレミヤのために毎日パン一個を届けさせています(21)。パン屋街、そんな町並みがエルサレムで機能していたことや、ゼデキヤがそんな庶民感覚を持っていたことに驚かされます。王になどならなければ、或いは、平穏な一生を過ごしたかも知れないゼデキヤ。しかしその王の好意は、エレミヤを「守る」と言われた、神さまの約束があってのことでした。

 この時、危機的状況を免れるべく、預言者たちが宮殿内を右往左往していたと思われます。その人たちを横目で見ながら、私には何の咎もないと、これはエレミヤの弁明です。咎められるべきは、神さまのことばに逆らい、「偽りの希望の神学」を吹き込んで人々を破滅へと駆り立てた、預言者たちだったのです。彼らは何の反発や弁解もすることなく、沈黙しました。パウロのことを見てみましょう。ユダヤ人から訴えられ、幾度も死ぬほどの迫害を受けましたが、その都度、神さまが盾となって助けて下さいました。パウロの証言を聞いてください。「神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。……私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです」(ロマ8:31-39) 神もし我らの味方ならば……、私たちも、そこに立ちたいではありませんか。


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