預言者の系譜

エレミヤ 34
弱者に寄り添う(1)

エレミヤ  21:1−10
Tテサロニ  5:12−22
T 重大な局面を迎えて

 預言者エレミヤの活動時期が、前回の24章で、ゼデキヤ王の時代に移りました。ヨシア王(BC608年没)以降、何人もの王が入れ替わっていますが、最初の王はヨシア王の子エホアハズで、その時、アッシリアを滅亡に追い込んだ(612年)新バビロニヤ帝国が、メソポタミアの覇者として歴史舞台に登場(608年)して来ました。エホアハズは、カルケミシュでバビロンのネブカデネザル王と対峙していたエジプトのファラオ・ネコにより、わずか3ヶ月で退位させられ、替わってその兄エホヤキムが即位します。彼は、ネコとの戦いを制したバビロニヤがカナンに攻め込んで来た時、あっさりとエジプトからバビロニアに鞍替え(605年)しますが、3年後、エジプトに攻め込んだバビロンの敗北という誤報に、再びエジプトに寝返ります(601年)。当然のことながらバビロンは、彼の背信をそのままにはしておかず、その3年後の597年に、バビロンの大軍がユダ王国に襲いかかり、大勢の人たちを捕虜としてバビロンに引いて行きました。第一回目のバビロン捕囚です。エホヤキムはその直前に死去、暗殺だろうと言われています。替わって王となったのは、エホヤキムの子エホヤキンですが、彼はバビロンに引いて行かれ、わずか3ヶ月の王でした。そしてバビロンがユダの王としたのが、エホヤキンの叔父ゼデキヤです。「ゼデキヤは21歳で王となり、エルサレムで11年間王であった」(U列王記24:18)とあります。彼はユダ王国最後の王となります。

 そのゼデキヤ王が、神託を聞くべく、マルキヤの子パシュフルとマアセヤの子祭司ゼパニヤを、エレミヤのもとに遣わしました。「どうか、私たちのために主に尋ねてください。バビロンの王ネブカデネザルが私たちを攻めています。主がかつて、あらゆる奇しいみわざを行われたように、私たちにも行ない、彼を私たちから離れ去らせてくださるかも知れませんから」(1-2) このパシュフルは、20:1のパシュフルとは別人です。そして、この祭司ゼパニヤが20:1の神殿警備長官パシュフルの後任だったようで(29:25-26、29参照)、ここに登場するパシュフルは、ゼパニヤより先に名があげられていますから、より高い地位にあったと思われます。そんな重立った人たちが、エレミヤのところに遣わされました。ユダ王国が危機的局面に陥っていたと、暗示されています。


U 神々の託宣に頼って

 エホヤキム王の時代からすでに10年近く経っており、ゼデキヤ王の治世、11年の終わりに差し掛かっています。このとき、バビロニアの大軍はエルサレムを包囲し始めていて、ユダ王国の命運は、風前の灯火です。それでゼデキヤ王は、当時有名になっていた預言者エレミヤに使者を送り、託宣を求めたのです。この時、エレミヤの名は、広く知られるようになっていました。ユダ王国の情勢が、エレミヤの預言通りに変化していたためでしょう。

 ゼデキヤの質問から、彼が預言者エレミヤに求めたのは、かつて、モーセやダビデがしたような、神さまのことばの前に立つ、真摯な姿勢とは違ったようです。この時代(前6-4世紀)の世界情勢は、人類史上希に見る飛躍の時期であり、ユーラシア大陸の多くの地域で、学術・思想・文化が格段の発展をし、「枢軸の時代」(ヤスパース)、または「ユーラシア文化革命期」(謝世輝)と呼ばれるように、大きな変化に富んだ時代でした。中国は春秋戦国時代でしたし、メソポタミアでは目まぐるしく覇者が交代しています。ギリシャ圏は多くの賢人たちを排出して一つの盛りを迎えつつあり、ローマも台頭していました。鉄器が実用化され、そんな文化が発達しての、強国の台頭です。当然、至る所で抗争が繰り返されていました。そんな中で、デルフォイ神殿を中心とする、「神々の託宣」が重んじられたのです。イスラエルには、すでにそんな神々が入り込んでいましたから、ゼデキヤのこの質問は、そんな風潮に毒されたもののように聞こえます。きっと、王の周りに貼り付いていた預言者集団は、王の諮問に、何度もそんな「託宣」で答えていたのでしょう。それが王の耳に心地よいものだったことは、言うまでもありません。もしかしたら、デルフォイ神殿にも使者を送ったのではないかと、そんな想像さえしてしまいます。しかし、ユダを取り巻く情勢は、そんなお為ごかしで済ませられるものではありません。日に日に厳しくなっていく情勢の中で、王は、著名な預言者なら、この情勢を打破してくれるかも知れないと、エレミヤのもとに使者を遣わしたのです。かつて、主がアッシリヤ軍からエルサレムを救って下さった(U列王記19)それを、もう一度と願ったのでしょうか。


V 弱者に寄り添う

 しかしエレミヤには、そんな神託の世界など関係ありません。ただ、神さまの真実なことばがあるのみです。彼は、ゼデキヤ王が望んだ託宣とは全く逆の、応答を伝えました。「見よ。あなたがたは、城壁の外からあなたがたを囲んでいるバビロンの王とカルデヤ人とに向かって戦っているが、わたしは、あなたがたの手にしている武具を取り返して、それをこの町の中に集め、わたし自身が、伸ばした手と強い腕と、怒りと、憤りと、激怒とをもって、あなたがたと戦い、この町に住むものは、人間も獣も打ち、彼らはひどい疫病で死ぬ。そのあとで、―主の御告げ― わたしはユダの王ゼデキヤと、その家来と、その民と、この町で、疫病や剣やききんからのがれて生き残った者たちとを、バビロンの王ネブカデネザルの手、敵の手、いのちをねらう者たちの手に渡す。彼は彼らを剣の刃で打ち、彼らを惜しまず、容赦もせず、あわれまない」(4-7) 神さまがイスラエルに敵対し、戦うというこのメッセージに、もはや説明はいらないでしょう。

 ここではただ、二つのことだけを取り上げたいと思います。第一は、「伸ばした手と強い腕とをもって」ということばです。イスラエルのエジプト脱出のときのように(32:21、出エ14:31、15:12)、本来それは、イスラエルの救いに関わる「ことば」でした。それがここで、まるで逆の意味で使われています。断固「裁く」と、神さまの堅い意思が伝わって来るではありませんか。そして第二のことです。「イスラエルの神、主はこう仰せられる」(4)という言い方に注目して頂きたいのですが、そこには、イスラエルと契約を交わした神さまが、ご自分の民から、その契約を反故にされた、ご自分はイスラエルの敵対者になったと、神さまの怒りが見えて来ます。「怒りと、憤りと、激怒とをもって」と、強い表現が繰り返されています。「疫病や剣やききん」、そして「生き残った者たちとを、バビロンの王ネブカデネザルの手に渡す」とあるメッセージは、ここに来てようやく明らかにされた、神さまの厳しい裁きの全容であると伝わって来ます。

 「見よ。わたしはあなたがたの前に、いのちの道と死の道を置く。この町にとどまる者は、剣とききんと疫病によって死ぬが、出て、あなたがたを囲んでいるカルデヤ人にくだる者は、生きて、そのいのちは彼の分捕り物となる。なぜならわたしは、幸いのためにではなく、わざわいのためにこの町から顔をそむけるからである。―主の御告げ― この町は、バビロンの王の手に渡され、彼はこれを火で焼くであろう」(8-10)4-7節と同じ状況下で語られたと思われますが、かなり穏やかな表現になっています。それは、4-7節が王と主戦派に向けたメッセージであるのに対し、これは別の時に、民衆向けて語られたものだったからでしょう。王や役人、指導者に厳しかったエレミヤの態度が、民衆に向けて、穏やかになっています。ユダ王国の罪の責任、その第一の要因は、上に立つ者たちにあるということなのでしょうか。もちろん、民衆に罪がないというわけではありません。しかし、預言者は、貧しく、弱い者たちに寄り添う存在でなければならないと、神さまの原則がここに浮き出ているようです。これは、エレミヤとバルクの信仰ではなかったかと思われます。特にバルクは、エレミヤと出会ったことにより、イスラエルがなぜ神さまの選びの民とされたのか、そして、その選びの民が、なぜこれほどの苦難を負うようになったのかを悩み、考え抜いたのでしょう。神さまの目は、いつも弱い者たちに向けられている。弱者に寄り添う、それがイスラエルに欠けていたのではないか。あわれみの心は、聖なる神さまの特質であると……。イエスさまがそうされたように、イエスさまを信じる者たちも、ずっとそのように歩んで来ました。「兄弟たち。あなたがたに勧告します。気ままな者を誡め、小心な者を励まし、弱い者を助け、すべての人に対して寛容でありなさい。だれも悪をもって悪に報いないように気をつけ……」(Tテサロニケ5:14)とあります。そうありたいではありませんか。


Topページへ