預言者の系譜

エレミヤ 27
私たちの生き方は?

エレミヤ 22:13−19
ヨハネ 19:38−42
T 最高権力者の座に着いて

 後代の編集もあってか、21章からエレミヤ書は混乱を極め、年代順など、どこかに吹き飛んでしまっています。エホヤキム王のことは、25、26、36章と、先に何回か取り上げました。今朝また22章に戻りますが、エホヤキム王のことは、これが最後です。エホヤキム王の治世の、初期のことから始まっています。「ああ。不義によって自分の家を建て、不正によって自分の高殿を建てる者。隣人をただで働かせて報酬も支払わず、『私は自分のために、広い家、ゆったりした高殿を建て、それに窓を取りつけ、杉の板でおおい、朱を塗ろう』と言う者」(13-14) エジプトのネコがカルケミシュでバビロンのネブカデネザルと戦いながら決着がつかなかった頃、パロ・ネコはユダヤをエジプトの属国にしました(BC608年頃)。エホヤキムは、非常に高い貢ぎ物をネコに納めることになりますが、そんな中で彼は、父の宮殿では満足せず、自分の宮殿を建てたと前に触れましたが、この章ではそのことが取り扱われます。彼がネコに忠実だったのは、ネコによって王位に就けられたからですが、それにしても、常軌を逸しています。貢ぎ税も、宮殿建設も、強制労働まで、彼はユダ王国の貧しい民衆にそれを負わせました。広い家とゆったりした高殿というのは、豪華な宮殿を意味しています。窓も、杉の板も、朱を塗ったことも、贅沢を極めたものであったろうと思われます。杉の木材は、わざわざレバノンから取り寄せたのでしょうか。それほどの宮殿を建てる場所が、エルサレム(恐らく、高級住宅街の上町)にまだ残っていたとは思われませんから、きっと、庶民の住宅を撤去し、更地を確保しての建設ではなかったかと想像します。王という最高権力を手に入れる、それは彼にとって、際限のない贅沢に憂き身をやつすことだったのかも知れません。しかも彼は、それを実行したのです。

 エホヤキムが王となった経緯に、その行動の謎が隠されているようです。探ってみたいと思います。父ヨシア王が亡くなり、その子エホアハズが王になりますが、列王記にはこうあります。「この国の民は、ヨシアの子エホアハズを選んで、彼に油をそそぎ、彼の父に代えて、彼を王とした」(U列王記23:30)彼はそのとき23歳でしたが、三ヶ月後にネコによって幽囚の身となり、エジプトで亡くなります。そこでネコがエホアハズに代えて王としたのが、25歳の兄・エホヤキムでした。なぜ弟エホアハズが先に王位に就き、そして排除されたのか、聖書は何も語っていませんが、「選び」とありますから、ユダの人たちは、エホヤキムより、エホアハズの王位継承がより妥当と認めたのでしょう。父ヨシュア王に比べると、どちらも同じように思えますが……。しかし、エホアハズはネコの目に適わなかったようです。兄エホヤキムは、弟・エホアハズが王とされたことで、悶々とした日々を過ごしていたのでしょうか。それが、思いもかけず、弟の失脚で、自分に王位が転がり込んで来たのです。彼が暴君となった背景が、なんとなく見えるような気がします。


U 自分のためだけに

 神さまの目は、そんなエホヤキム王の暴君ぶりに、徹底的に厳しく注がれます。「あなたの父は飲み食いしたが、公義と正義を行なったではないか。そのとき、彼は幸福だった。彼はしいたげられた人、貧しい人の訴えをさばき、そのとき、彼は幸福だった。それが、わたしを知ることではなかったのか。−主の御告げ−」(16)彼とは、父ヨシア王のことです。おまえは父王に見習うべきではなかったのか、と言われています。エレミヤは、ヨシア王の飲み食いに理解を示していますから、王としての、ある程度の生活レベルには何も言わなかったのでしょうが、エホヤキムは、王としての義務である、統治を放棄していたのです。イスラエルの王は、神さまの正義を代行するものでした。彼にはそれが分からず、分かろうともせず、父ヨシア王のことも、ダビデやソロモンのことも、全く知ろうとしなかったのではと思われます。イスラエルの王であることに少しでも誇りを持つなら、偉大な王たちのことを知ろうとして当然と思うのですが、彼には全くその気配が感じられません。ただただ我欲に捕らわれ、凶暴な権力者となり、民衆を貪っています。「しかし、あなたの目と心とは、自分の利得だけに向けられ、罪のない者の血を流し、しいたげと暴虐を行なうだけだ」(17)

 これは、支配者たるエホヤキムの、民衆に対する立ち方への神さまの洞察ですが、これを、私たちの隣人に対する立ち方に、置き換えてみたらどうでしょうか。現代社会は、何よりも自分の利得を優先させるところで成立している、と言っていいでしょう。民主主義社会でさえそうですが、社会主義国も例外ではないでしょう。そこでは、権力者など一部の人たちに、より一層の利益が集中していると指摘されています。次第次第に、世界中に貧富の格差が広がり、それが暴動やテロなどに、極端な形となって噴出しています。そんな状況を憂える一部の学者や識者たちは、利益社会からの脱出を手探りしていますが、何から何まで複雑に絡み合ってしまったこの社会構造の中で、有効な手段など、見えて来ません。また、見えて来ないことを喜ぶ者がいるのでしょうか。少しでも改善の動きがあると、その芽が摘み取られていると、そんな風にさえ見えて来ます。改善の鍵は、社会構造の欠陥にあるのではなく、神さまから指摘されたエホヤキムの立ち方のように、私たち一人一人の立ち方にあるのではないでしょうか。


V 私たちの生き方は?

 聞いてください。神さまはエホヤキム王に、こう宣言されました。「だれも、『ああ、悲しいかな、私の兄弟。ああ、悲しいかな、私の姉妹』と言って彼を悼まず、『ああ、悲しいかな、主よ。ああ、悲しいかな、陛下よ』と言って彼を悼まない。彼はここからエルサレムの門(外)まで、引きずられ、投げやられて、ろばが埋められるように、埋められる」(18-19) 「ああ、悲しいかな、私の兄弟、ああ悲しいかな、私の姉妹」、「ああ、悲しいかな、主よ。ああ、悲しいかな、陛下よ」という言い方は、ごく一般的に言われていた埋葬の追悼のことばであって、直接エホヤキムに向かって言われたものではないようです。が、そんな当たり前の追悼のことばも聞かれないほど、誰も王の死を悼まないと言われるのです。ギリシャ語70人訳では、「ああ、この者に災いあれ!」と、この箇所が始められています。それは恐らく原典にあったもので、ヘブル語のテキスト・マソラ本文にそれがないのは、編集過程で失われたのではと推測されています。「災いあれ!」と言われるまでに、彼が死んでも、誰も悲しまないし、王が当然受けるべき埋葬という最後の栄誉さえ、与えられることはないと言われるのです。彼はバビロン軍が到着する直前に暗殺されたのだろう、と推察する人もいるほどですが、真偽はともかく、不幸な最後を迎えたのは事実と思われます。

 ところで、彼の死については、諸説あります。U列王記24:5には「彼の先祖とともに眠り」とありますが、U歴代誌36:6には「彼を青銅の足かせにつなぎ、バビロンへ引いて行った」とあって、ダニエル書も同じ説をとっています(1:2)。注解者たちはその調和に苦労しているようで、ある人は「葬られたが、その墓があばかれ、遺体が辱められたのであろう」とまで推測していますが、それは恐らく、想像のし過ぎであろうと思われます。しかし、ヨセフスの「古代誌」には、「ネブカドネザルがエホヤキムを殺し、その死体をエルサレムの城壁の外に投げ捨てるように命じた」とありますから、少々の違いはあっても、ネブカデネザルの手によって捕らえられて殺され、その死体が城壁の外に捨てられたのでしょう。エレミヤの「引きずられ、投げやられて、ろばが埋められるように、埋められる」とある、預言のことばが成就したと聞いていいのではないでしょうか。エレミヤは36章でも、同じような預言のことばを語っていました。「彼のしかばねは捨てられ、昼は暑さに、夜は寒さにさらされる」(36:30)と。身の毛もよだつ恐ろしい十字架上で、重罪人として処刑されたイエスさまが、まだ誰も葬られたことのない新しい墓に、王が亡くなったときのように、悲しまれ、心を込めて葬られたことと、全く対照的ではありませんか。なにも、葬りの仕方が重要なのではありません。ここではエホヤキムの生き方が問われた、と聞かなければならないでしょう。私たちも同じです。人は必ず死にます。遅いか早いかの違いはあっても、例外はありません。そのとき、どう惜しまれるのか。何よりも、神さまの評価が私たちを待っています。主に喜んで迎えて頂ける、そんな歩みを重ねて行きたいと願います。 


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