預言者の系譜

エレミヤ 26
神さまのことばのゆえに(2)

エレミヤ 36:1−32
黙示録   20:4
T エレミヤ書原典の受難

 エレミヤ書におけるエホヤキム王の登場、36章に飛びます。彼の治世第4年に、エレミヤは神さまから言われました。「あなたは巻き物を取り、わたしがあなたに語った日、すなわちヨシアの時代から今日まで、わたしがイスラエルとユダとすべての国々について、あなたに語ったことばをみな、それに書き記せ」(2) それは、記録することで、改めて神さまの熾烈な裁きを聞くことになるユダの家が、もしかしたら悔い改めるかも知れないという、期待(3)をもってのことでした。エレミヤは、バルクを呼び寄せて口授筆記させます。恐らく、長い年月エレミヤ自身が書き溜めていた断片も、役立ったことでしょう。バルクはもともと、公職の書記だったようです。エレミヤとの出会いは明らかにされていませんが、彼はエレミヤ唯一の弟子として、エジプトでその生涯を終えるまで、エレミヤの傍らにいたようです。エレミヤ書には何カ所も、聖書学者たちが「これはバルクの筆による」と認証しているところがあり、エレミヤの弟子ということで知られるようになったからでしょうか、後代の作品「バルク書」や「バルク黙示録」など、いくつもの外典偽典文書にその名がつけられています。巻物が出来上がると、エレミヤはバルクに命じました。「私は主の神殿に入ることを禁じられている(新共同訳を採用)。だから、あなたが行って、主の宮で、断食の日に、あなたが私の口述によって巻物に書き記した主のことばを、民の耳に読み聞かせ、また町々から来るユダ全体の耳にもそれを読み聞かせよ。そうすれば、彼らは主の前に祈願をささげ、それぞれ悪の道から立ち返るかも知れない。主がこの民に語られた怒りと憤りは大きいからである」(5-7)

 そこでバルクは神殿に行って、巻物を読み聞かせました。反響は大きく、その評判は1年ほど経って王の耳に届きます。何人かのエレミヤに好意を持つ高官たちがエレミヤとバルクに、「王の目に触れないよう身を隠せ」と勧め、彼らはその忠告に従いました。ですから、この巻物は王の前で読み上げられますが、それはバルクではなく、エフディ(侍従長?)によってでした。「第九の月であったので、王は冬の家の座に着いていた。彼の前には暖炉の火が燃えていた。エフディが三、四段を読むごとに、王は書記の小刀でそれを裂いては、暖炉の火に投げ入れ、ついに、暖炉の火で巻物全部を焼き尽くした」(22-23)これが神さまのことばに対する反抗でなくて、なんでしょう。イスラエルの王として、断じてあってはならないことでした。こうして、エレミヤ書の原典は失われました。


U 聞かない時代に

 いつもは控えめなバルクが、「王も、彼のすべての家来たちも、これらのすべてのことばを聞きながら、恐れようともせず、衣を裂こうともしなかった」(24)と、このときの様子を書き留めました。わずかに「エルナタンとデラヤとケマルヤ」の三人が王の非道ぶりを止めようとしますが、王は聞き入れません。そればかりか、エレミヤとバルクの逮捕を命じました。この三人の証言がバルクに伝えられたのでしょう。「主はふたりを隠された」(26)とありますから、その証言はしばらく経ってからのことと思われますが、バルクの主への信仰が確立していったのではないでしょうか。

 「ユダの王エホヤキムについてこう言え」と、神さまの託宣がエレミヤに下ります。「主はこう仰せられる。あなたはこの巻物を焼いて言った。『あなたはなぜ、バビロンの王は必ず来てこの国を滅ぼし、ここから人間も家畜も絶やすと書いたのか』と。それゆえ、主はユダの王座に着く者がなくなり、彼のしかばねは捨てられて、昼は暑さに、夜は寒さにさらされる。わたしは、彼とその子孫、その家来たちを、彼らの咎のゆえに罰し、彼らとエルサレムの住民とユダの人々に、彼らが聞かなかったが、わたしが彼らに告げたあのすべてのわざわいをもたらす」(29-31) エホヤキムが問題にしたのは、その巻物に何度も記されていた「バビロンが来てこの国を滅ぼす」という文言でした。それは王として当然のことだったでしょう。ユダ王国があっての王であり、家来たちだったからです。しかし、バルクが書き上げたエレミヤ書原典には、王と家来たち、またユダのすべての人たちが神さまをないがしろにしている「罪」が責め立てられていて、それが厳しく咎められ、「悔い改めて、主のことばを聞け」と、繰り返し語られていたのです。しかし、王はそのことに全く触れようとはしていません。まだ取り上げてはいませんが、エレミヤ書には何回か、預言者たちへの断罪が厳しいことばで記されて(27-29章)います。王の耳に心地よいことしか語ろうとしなかった、そんな預言者たちに囲まれ、それが王の安心の下地になっていたと思われます。王の判断の基準は、彼ら取り巻き預言者たちのことばだったのです。

 エホヤキム王にとって、エレミヤによる預言のことばは、恐らく、本物であろうと感じられたに違いありません。だからこそ恐怖を覚え、その恐怖が猛烈な怒りに変わったのです。それなら、「なぜ聞き入れないのか」と、神さまは怒っているのです。「それゆえ、彼らの咎のゆえに罰し、すべてのわざわいをもたらす」と言われました。王と王の家来、ユダの人たちの罪(彼らの咎31)は、神さまのことばを聞かなかったことにあると、書記バルクは、神さまへの畏怖を感じつつ、これを記したに違いありません。


V 神さまのことばのゆえに

 以下のメッセージは、そのバルクの信仰による記録です。エホヤキム王へのメッセージと、もう一つ、エレミヤに向けてのメッセージが語られます。「あなたは再びもう一つの巻き物を取り、ユダの王エホヤキムが焼いた先の巻き物にあった先のことばを残らず、それに書きしるせ」(28) 「もう一つの巻き物」、それは、何も書かれていない羊皮紙の巻物のことです。それはとても高価なものでした。書記のバルクが持っていたものかと思いましたが、32節を見ますと、エレミヤがこれを準備していますから、恐らく、エレミヤ自身がお金を払って購入したものでしょう。民衆からも迫害されていて、どこにそんなお金があったのかと不思議ですが、表には出て来ないエレミヤの支持者(恐らく複数)がいたのでしょうか。これも神さまのご配慮あってのことだったのでしょう。

 この神さまのことばの、順序はこうです。(1)もう一つの巻物に記せ(28)、(2)王への審判、(3)もう一つの巻物への再録。「エレミヤは、もう一つの巻き物を取り、それをネリヤの子、書記バルクに与えた。彼はエレミヤの口述により、ユダの王エホヤキムが火で焼いたあの書物のことばを残らず書きしるした。さらにこれと同じような多くのことばもそれに書き加えた」(32) バルクは、28節と32節との間に王への審判のことばを入れ、わざわざ(1)と(3)を離していますが、何らかの意図が感じられます。まず28節ですが、巻物の再記録がエホヤキム王への審判に先立って語られたのは、神さまがそれを優先されたからと見なければなりません。神さまご自身がご自分の語られたことばを大切にされているのです。この優先順位を、私たちも覚えなければと思います。そして、神さまの命令を実行した32節のことですが、これはただ単に、作業に時間がかかったとか、出来事の順序がそうだったということではなく、これが36章全体の最後を締めくくっています。それは、エレミヤとバルクが、この作業を重く受け止めたからでしょう。二人は1年ほど前に行なった作業を、繰り返しました。エレミヤが口述し、バルクが筆記します。しかし、その作業は、前の時よりずっと困難を極めたことでしょう。エレミヤの記憶にも限度があり、今回は、バルクの記憶とのすりあわせも必要だったからです。以前と同じものが出来上がったとは考え難いようです。「さらにこれと同じような多くのことばもそれに書き加えた」とあるのは、一度書き上げたものへの追加ですが、何度も読み返しながら、二人の記憶の奥から、更にいろいろと引き出されたことを言っているようです。そんな苦闘があって、この巻物が出来上がりました。神さまの助けがあったのは、いうまでもありません。エレミヤは経験していましたが、バルクにとってこれは、新鮮な驚きだったでしょう。神さまのことばを命を賭して守る、エレミヤとバルクだけでなく、そんな歴史を、信仰の先輩たちは重ねて来ました。前回に続き、黙示録のことばをもう一度覚えたいと思います。「イエスのあかしと神のことばのゆえに」(20:4)その信仰の戦いを私たちも!


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