預言者の系譜

エレミヤ 25
神さまのことばのゆえに(1)

エレミヤ 26:1−24
黙示録    20:4
T 世界の国々にも主の目が

 26章1節には、「ユダの王エホヤキムの治世の初めに」とあり、彼の治世は、王を初め、国の指導者、祭司、預言者たちも偽りに満ちていて、国全体が神さまの意思に反した歩みをしていくと、その先触れとも言える出来事が扱われます。エレミヤはこのとき40歳前後ですが、預言者として召され、活動を始めて、20年近い年月が経っていました。その20年間はヨシア王の治世下で、さまざまな不安を抱えていたとしても、まだユダ王国は安定していて、国民の神さまに対する信仰が、さほど揺らいでいたわけではありません。しかし、エホヤキムを王に迎え、その様子が一変します。エレミヤの働きが現実味を帯び、様々な事態に直面し始めます。26:7以下の記事は、かなりあとになってからのものようですが、そんな状況を反映しています。それがなぜここに挿入されたのか分かりませんが、エホヤキム王の末期に、王国は激動の時代を迎えます。その「激動」と言ってもおかしくない状況が、エレミヤ書のこの辺り以降に盛られていますので、その一つに数えられたのかも知れません。26-35章は、エレミヤ書第三部に当たると見る聖書学者もいます。
 前置きはそれくらいにして、預言者エレミヤのメッセージを聞いていきましょう。

 「主はこう仰せられる。主の宮の庭に立ち、主の宮に礼拝しに来るユダのすべての町の者に、わたしがあなたに語れと命じたことばを残らず語れ。一言も省くな。彼らがそれを聞いて、それぞれの悪から立ち返るかもしれない。そうすれば、わたしは、彼らの悪い行ないのために彼らに下そうと考えていたわざわいを思い直そう。だから、彼らに言え。『主はこう仰せられる。もし、あなたがたがわたしに聞き従わず、あなたがたの前に置いたわたしの律法に歩まず、わたしがあなたがたに早くからたびたび送っているわたしのしもべである預言者たちのことばに聞き従わないなら、─あなたがたは聞かなかった―。わたしはこの宮をシロのようにし、この町を地の万国ののろいとする』」(2-6)

 エルサレム神殿で行われた大きな祭日だったのでしょうか。王国の各地からたくさんの人たちが集まっていました。そういった祭日には、神殿の庭に預言者たちが立ち、メッセージを語る習慣がありましたが、エレミヤも、恐らく、神さまから聞いていたことを伝えたのでしょう。その意味で、4-6節に記録されたメッセージより、実際に語られたメッセージはずっと長かったと思われます。これを筆写したバルクは、これまでにもいろいろ書いて来ましたから、ここには、最も中心的なメッセージだけを載せました。二つのことが語られていますが、ことさら新しいメッセージではありません。悔い改めと、のろいです。しかし、エルサレムが呪われるのは、「万国に先駆けて」という意味を持つています。新共同訳には、「この都を地上のすべての国々の呪いの的とする」(6)とあります。ユダ王国の首都・エルサレムの滅亡は、他国の人々をも震撼させるものでした。それは他国でも起こり得る事柄であり、単にバビロニヤ軍の侵攻によって、というだけではないのです。ユダ王国の頑固な唯一神崇拝は他国にも知れ渡っていましたから、彼らがその神に見放された、それが脅威なのです。自分たちの信じる神々もまた……と、その可能性が取り沙汰されたのではないでしょうか。


U 毅然として立つ

 「祭司と預言者とすべての民は、エレミヤがこのことばを主の宮で語っているのを聞いた」(7)そして、彼を捕らえました。「あなたは必ず死ななければならない。なぜ、主の御名により、この宮がシロのようになり、この町もだれも住む者のいない廃墟となると言って預言したのか」(8-9)

 以下は裁判の様子なのでしょう。駆けつけた首長たち(王宮の高官たち=裁判官)とすべての民(証人、または傍聴人?)を前に、祭司と預言者はエレミヤを告訴します。「この者は死刑に当たる。彼がこの町に対して、あなたがたが自分の耳で聞いたとおりの預言をしたからだ」(11) ここに上げられた祭司と預言者は、あとでまとめて触れる「偽預言者」に属する者(参考23:9-32、27:9-18)たちです。彼らもまた祭日に、民衆の前で自分たちのメッセージを語っていたのです。ところがそのメッセージは、エレミヤのそれと比べて、余りにも違いすぎました。きっと、恐怖を覚えたのでしょう。彼らはエレミヤのメッセージを「預言」と聞いていますから、民衆がエレミヤを本物の預言者と認識していたことを知っていたようです。エレミヤが神殿の庭で度々話しているのを、彼らもまた聞いていました。しかし、たとえエレミヤが、本当に神さまからのメッセージを取り次いでいたとしても、それを認めることは出来ません。なんとしてもあの者を排除しなければ、自分たちの破滅になる。そう考えたのかも知れません。その時点で彼らは、神さまを敵に回していました。

 エレミヤの弁明が始まります。「主が、あなたがたの聞いたすべてのことばを、この宮とこの町に対して預言するよう、私を遣わされたのです。さあ、今、あなたがたの行ないとわざとを改め、あなたがたの神、主の御声に聞き従いなさい。そうすれば、主も、あなたがたに語ったわざわいを思い直されるでしょう。このとおり、私はあなたがたの手の中にあります。私をあなたがたがよいと思うよう、正しいと思うようにしなさい。ただ、もしあなたがたが私を殺すなら、あなたがた自身が罪のない者の血の報いを、自分たちと、この町と、その住民とに及ぼすのだということを、はっきり知っていてください。なぜなら、ほんとうに主が、私をあなたがたのもとに送り、あなたがたの耳にこれらすべてのことばを語らせたのですから」(12-15)この弁明を読みますと、エレミヤは、死刑を回避しながらも、毅然と告発者と裁判官たちの前に立っています。そこには、誰が何と言おうと、自分は神さまのことばを語っているのだという、自負が見てとれます。迫害され、何回も向き合った死の恐怖に、主はことごとく対応してくださった。主は必ず、「私を青銅の城壁」としてくださると。


V 神さまのことばのゆえに

 その通りになりました。裁判官たちが判決を下します。「この人は死罪に当たらない。私たちの神、主の名によって、彼は私たちに語ったのだから」(16) その無罪判決を聞いた数人の長老たちが、預言者ミカのことばを引用して、付け加えました。「(ミカがこう言った)『万軍の主はこう仰せられた。シオンは畑のように耕され、エルサレムは廃墟となり、この宮の山は森となる。』このとき、ユダの王ヒゼキヤとユダのすべての人は彼を殺しただろうか。ヒゼキヤが主を恐れ、主に願ったので、主も彼らに語ったわざわいを思い直されたではないか。ところが私たちはわが身に大きなわざわいを招こうとしている」(17-19)北王国を滅ぼしたアッシリヤの大軍が、エルサレムに攻めかかって来たときのことです。神さまはヒゼキヤの祈りを聞き、一夜にしてその大軍を壊滅(U列王記19章)させました。エレミヤが釈放されたのは、言うまでもありません。しかし、告発者たちの恨みは残ったのでしょう。

 ところで、王宮から駆けつけた高官たちがエレミヤを無罪にしたことは、王の意向だったのでしょうか。どうも、そうではなかったようです。王がこの事件を知らないうちに、高官たちが片付けてしまったようで、王は、事後報告としてそれを聞いたと思われます。しかし、いくら王でも、一度無罪にしたエレミヤに手を伸ばすことは出来ません。そこに王のイライラを解消する、格好の報告が届きました。神さまのことばを語っていたのは、エレミヤだけではなかったのです。預言者ウリヤでした。彼は他には出て来ませんが、エレミヤと同じような預言活動を行なっていました。バルクは彼を真の預言者と認めていたようです。王はそれを聞き、ウリヤを殺そうとします。ウリヤはエジプトへ逃げましたが、エホヤキムは執拗に彼を追い、エジプトから連れ戻して、処刑してしまいます(20-23)。「王は剣で……」とありますから、王自身が彼を手にかけたのでしょうか。王の怒りと恐怖が見えるようです。エレミヤは難を逃れました(24)。しかし、これは発端に過ぎません。やがて、ユダ王国にもエレミヤにも、激動のときが訪れます。現代も、同じではないでしょうか。神さまのことばを受け入れるのはほんの一握りの人たちであって、ほとんどの人たちは、神さまのことばの敵に回るのでしょう。そんな中でも、私たちは立たなければなりません。同じような状況下で、使徒ヨハネは、「イエスのあかしと神のことばとのゆえに」(黙示録20:4)と言いました。考えてみる必要があります。


Topページへ