預言者の系譜
エレミヤ 2
神さまのことばは必ず……

エレミヤ書 1:11−19
エペソ書 6:14−17
T 神さまの見張りの中で

 預言者として召し出されたエレミヤに、語るべきメッセージが伝えられます。「エレミヤ。あなたは何を見ているのか」「アーモンドの枝を見ています」「よく見たものだ。わたしのことばを実現しようと、わたしは見張っているからだ」(11-12) 神さまが「何を見ているのか」と二回同じ問いかけをしていますが、最初のエレミヤの答えと、神さまの第一のメッセージから見ていきましょう。多分彼の家の庭には、大きなアーモンドの木が植わっていたのでしょう。その木を見上げながら、「アーモンドの枝を見ています」とエレミヤは答えました。アーモンドの木、これはヘブル語で「シャーケード」と発音しますが、それを聞かれた神さまは「わたしは見張っているからだ」と言われます。「見張っている」はヘブル語で「ショーケード」(新共同訳参照)です。古代ヘブル語のaは曖昧に発音されたそうですから、oとaは非常に近い発音でした。きっと、アーモンドの枝を見ながら、エレミヤも神さまの目を感じていたのでしょう。ふと庭に出てなんとなく見たのではない。神さまから召し出されて、「わたしがあなたとともにいる」という神さまのご臨在を、アーモンドの枝のうちに感じつつ見た(注視した)、ということなのです。エレミヤは、神さまのことばが遂行されるかどうか、神さまご自身が「(自分を)見張っておられる」と聞きました。それほどに、エレミヤが神さまのご用のために召し出されたことは重要であるという、預言者の認識がここに語られています。

 こう聞きますと、第二の問いかけとエレミヤの答え、それに対する神さまのメッセージが伝わって来るようです。「何を見ているのか」「煮え立っているかまを見ています。それは北のほうからこちらに傾いています」「わざわいが、北からこの地の全住民の上に降りかかる。今、わたしは北のすべての王国の民に呼びかけているからだ。ー主の御告げー」(13-15)第一の情景とは違っていますから、時間がおかれて、再度の召命の様子が語られていると聞かなければなりません。「煮え立っているかまど」は、エレミヤが台所にいたことを示しているようです。「アーモンドの枝」も「煮え立っているかまど」も、エレミヤに語りかけた神さまのことばが、極めて具体的な生活の場に根付いたものであることは注目に値します。エレミヤ自身は祭司ではありませんでしたが、祭司の家庭に生まれ育ち、知的階級に属していましたから、ユダヤ人が大切にして来た祭儀や律法という文脈でメッセージが語られたとしても、エレミヤはそれを十分に理解しただろうと思われます。にもかかわらず神さまは、台所という風景の中で問いかけます。何を見ているのか。そして、エレミヤも気にしていました。「神さまが見張っているのは誰か」 エレミヤが語りかけなければならなかった人たちは、ユダヤ人民衆だったのです。


U 災いが北から

 当時の預言活動というものを、理解しておく必要があります。それは文筆活動ではなく、街角に立って、道行く人たちに語りかけるというものでした。それがイスラエル預言者の伝統的スタイルでした。時には王のもとへ、或いは特定の人物のところへ行って語ることもありましたが、原則は街角での演説です。神さまは、エレミヤが街角に立って語るメッセージを伝えます。それは、これからエレミヤが語り続けていかなければならないメッセージでしたが、それは、その時々で少しずつ違っています。ここに語られるのは、ユダ王国の滅亡など、一部はまだ隠されていますが、エレミヤ書全編を通しての基本的メッセージと言っていいでしょう。「わざわいが、北からこの地の全住民の上に、降りかかる。今、わたしは北のすべての王国の民に呼びかけているからだ。ー主の御告げー 彼らは来て、エルサレムの門の入り口と、周囲のすべての城壁と、ユダのすべての町に向かって、それぞれの王座を設ける。しかし、わたしは、彼らのすべての悪にさばきを下す。彼らはわたしを捨てて、ほかの神々にいけにえをささげ、自分の手で造った物を拝んだからだ」(14-16)

 ここで、エレミヤが台所で煮え立っているかまを見ていた理由が明らかになります。彼はこう言いました。「それは北のほうからこちらに傾いている」煮え立つ釜が、北のほうから傾いてこぼれ落ちそうになっている。それは、北から攻めかけて来る軍勢を意味していました。パレスチナの北から攻め寄せて来る敵、それはシリヤであり、メデヤです。いろいろな民族が想定されるかも知れませんが、北イスラエル王国がアッシリヤによって滅亡した出来事は、まだ記憶に新しいのです。そのアッシリヤ帝国を滅亡させた新しい帝国・新バビロニヤ帝国が台頭して来たことを、エレミヤは知っていたと思われます。神さまは、その帝国に出動を呼びかけたと言うのです。アッシリヤも、バビロニヤも、後にはメデヤ・ペルシャも……、東に出現した強大な帝国は、いづれもシリヤ、ギリシャ、エジプトという西側の強国に戦いを挑どみ、帝国の版図を広げています。その狭間に位置するパレスチナの小国ユダヤは、彼らのターゲットに向かう道筋に転がる、小石のようなものです。取り除かなくては邪魔になるのです。今、突如出現した新バビロニヤ帝国は、わずか4代の王を擁した短命な帝国でしたが(AD605-539年の66年間)、それが怒濤のように押し寄せて来ると言うのです。まるでユダ王国を滅亡させるために現われた帝国でもあるかのように。恐らくエレミヤは、その辺りの国際情勢など、詳しくは知らなかったでしょう。しかし彼は、それが神さまの意志であると、心に刻んだのです。当時の預言者は、たとえばイザヤなどは、神さまからイスラエル断罪のメッセージを伝えよと言われ、あれこれと弁護していますが、エレミヤにはそんなところが少しもなく、ただ言われたことを忠実に実行しようとしています。彼の目にも、イスラエルの神さまをないがしろにした不信仰が、明らかだったのかも知れません。恐らく、他の神々の偶像が神殿に安置されている、そんな光景が見られたのでしょう。彼の召命は、ヨシア王宗教改革(第18年)の5年前のことでした。


V 神さまのことばは必ず……

 「さあ、あなたは腰に帯びを締め、立ち上がって、わたしがあなたに命じることをみな語れ。彼らの顔におびえるな。さもないと、わたしはあなたを彼らの面前で打ち砕く。見よ。わたしはきょう、あなたを、全国に、ユダの王たち、首長たち、祭司たち、この国の人々に対して、城壁のある町、鉄の柱、青銅の城壁とした。だから、彼らがあなたと戦っても、あなたには勝てない。わたしがあなたとともにいて、ー主の御告げー あなたを救い出すからだ」(17-19) 神さまからのメッセージの後半は、エレミヤへの警告と励ましです。「腰に帯を締め、立ち上がって……」と始まりますが、このメッセージを街角で語るのは、戦場への派遣であるという、司令官・神さまの認識を示しています。戦いですから、遣わされる者・兵士は、勇敢でなければなりません。敵に後ろを見せるようなことがあってはならないのです。おびえていては、勝利を手にすることはできません。「彼らの顔におびえるな。さもないと、わたしはあなたを彼らの面前で打ち砕く」、この警告が語られたのは、エレミヤの中に、預言者として立つことのおびえやためらいがあったからでしょう。メッセージを聞く者たちの、激しい怒りや恐れに満ちた表情までもが予想されています。「おびえ」、或いは「ためらい」であったかも知れませんが、それは、エレミヤの同胞の民への優しさだったのかも知れません。「破滅」というメッセージを語らないことで、もしかしたら、神さまの決定が回避されるかも知れないと、エレミヤは期待したのでしょうか。しかし、神さまのこの警告は、ユダヤ人たちへの、もう後戻りすることのない、強烈な怒りが決定的であることを示しています。

 しかし、エレミヤを送り出す神さまは、彼を見殺しにはしません。「城壁のある町、鉄の柱、青銅の城壁」とあるのは、エレミヤの盾となるものが、神さまご自身であることを指しています。にもかかわらず、神さまはエレミヤを救い出さなければならない状況を予想していました。エレミヤは厳しい迫害に遭うだろう。その苦難は歴史をしてエレミヤを「悲しみの預言者」と呼ばせたほどです。聖書の中に、これほどの重い荷を負った預言者は他にいません。神さまは、なぜそれほどの覚悟を彼に求めたのでしょうか。神さまのメッセージは必ず聞かれなければならない。恐らく、これが唯一の答えであり、これがエレミヤを戦場に送り込んだ理由でした。現代の私たちも、聞きたいではありませんか。



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