預言者の系譜
76  エレミヤ 1
主のことばに招かれて

エレミヤ書 1:1−10
ガラテヤ  1:11−12
T 悲しみの預言者

 今回からまた「預言者の系譜」の続きですが、ユダヤのバビロン捕囚直前に登場し、その語り続けた預言のゆえにユダヤ人から非国民と罵られ迫害され、「悲しみの預言者」と呼ばれたエレミヤに入ります。バビロン捕囚期という難解な時代は、資料を読めば読むほど難しく、訳が分からなくなって来るようですが、避けて通るわけにはいきませんので、勇気を振り絞って取り組んでいくことにしました。少しづつ、話しながらの手探りになるかと思いますが、エレミヤのメッセージを通し、現代の信仰者が抱える問題にも触れることが出来ればと願います。エレミヤは、そこにも関わっていると思うからです。

 「ベニヤミンの地アナトテにいた祭司のひとり、ヒルキヤの子エレミヤのことば」(1) アナトテはエルサレムの北東7キロにある小さな町です。もともとはベニヤミン族の地でしたが、レビ族が「主がモーセを通して私たちにも住むべき町を与えるよう命じた」と申し出て与えられた、48の町の一つでした(ヨシュア21:1-3、18)。レビは祭司の部族でしたから、エレミヤは自分を「祭司ヒルキヤの子」と紹介していますが、彼自身は祭司ではなかったようです。このアナトテが、彼の預言活動の最初の地になりました。レビ族の町に生まれ、その伝統の中で育てられた預言者エレミヤの信仰は、ユダヤで古くから培われて来た、神さまとの契約に基づいた「祭儀」にあったと推測されます。これから本文を見て行くわけですから、まだ詳しいことは何も言えませんが、恐らく、彼のその「祭儀」に関わる部分が、今後きわめて重要になって来るであろうと考えられます。

 「アモンの子、ユダの王ヨシヤの時代、その治世の第13年に、エレミヤに主のことばがあった。それはさらに、ヨシヤの子、ユダの王エホヤキムの時代にもあり、ヨシヤの子、ユダの王ゼデキヤの第11年の終わりまで、すなわち、その年の5月、エルサレムの民の捕囚の時まであった」(2-3)

 エレミヤが活動し始めたのは、ヨシヤ王治世の13年目(BC627年)でした。ヨシヤ王の治世は639-609年の31年、その後のエホアハズは609年のわずか3ヶ月、エホヤキムが609-597年の11年、エホヤキンが597年のわずか3ヶ月、そして、ゼデキヤの597-586年の11年目(586年)に、エルサレムが陥落し、南ユダ王国が滅亡しました。エレミヤの預言活動は、その南ユダ王国激動の、40年間に凝縮しています。その後、エジプトに逃れた人々によって無理矢理エジプトに連れて行かれ、終焉の地はエジプトになりました。伝説によりますと、ユダヤ人たちから石打の刑にあって亡くなったと伝えられています。64~5才だったのでしょう。


U 歴史のただ中に

 「次のような主のことばが私にあった」(4)と、エレミヤの召命は、主のことばで始まったことが明らかにされます。これは、預言者としてのエレミヤの、生涯変わらないスタンスでした。それは彼の預言活動が、常に神さまのことばを聞くところから始まっているからです。そして、その神さまのことばは、エレミヤが遭遇しようとしているイスラエルの歴史のただ中で語られ、聞かれなければなりませんでした。それは、諸宗教の神託がしばしば瞑想のうちに取り次がれ、人の思想や宗教行為の中で有効とされましたが、エレミヤのそれは断じてそのようなものではなく、彼とその時代の人々が歩き回る先々で、彼らの歴史を形成するものであり、はるか後代の私たちも、それは自分たちに関わることであると受け止めなければならない、神さまのことばだったのです。「わたしは、あなたを胎内に形造る前から、あなたを知り、あなたが腹から出る前から、あなたを聖別し、あなたを国々への預言者と定めていた」(5) 神さまのこのことばは、人を胎内に形造ることも主のわざであるとしています。「あなたを知っていた」とは、苦悩の叫びを「見た」「聞いた」「知っている」(出エジプト記3:7)と同じように、当時のイスラエルの民が置かれようとしている状況に対応しているのでしょう。そして、エレミヤ自身も、その状況下にあって悩んでいたことを示しています。預言者とは、神さまのことばを受け継ぐ「系譜」とでも言うべき人たちなのです。エレミヤは、その系譜の中に召し出されようとしています。エレミヤは言いました。「ああ、神、主よ。ご覧のとおり、私はまだ若くて、どう語っていいのかわかりません」(6) 神さまから召命を受けたとき、彼はわずか20-25才であったと推測されていますが、このエレミヤ書は、その時書かれたものではなく、ずっと後になって、エレミヤが口述し、弟子のバルクが筆記したものです。しかも、一度仕上げられたものが、時の王エホヤキムの怒りに触れて破られて、火中に投じられてしまい、バルクはもう一度それを書き直さなければなりませんでした(36:2-4、23-24、27-28、32)。それがこのエレミヤ書の原型になっています。つまり、エレミヤの預言活動の真っただ中で、語っても語っても人々は聞いてくれず、ただ彼を激しく攻撃してくるそのところで、その苦難を預言者とともに共有していたバルクが、「わたしは、あなたを胎内に形造る前から、あなたを知り、あなたが腹から出る前から、あなたを聖別し、あなたを国々への預言者と定めていた」と神さまのことばを記録し、「ああ、神、主よ。ご覧のとおり、私はまだ若くて、どう語っていいのかわかりません」と、エレミヤの辞退のことばを書き記したのです。ここは、ただ「若いから」と、聞くことはできない。そこにはイスラエル滅亡の危機的状況が隠されていると見なければならないでしょう。にもかかわらず神さまは、エレミヤに対し、ご自分の主権を断固主張されます。一方的な啓示という神さまの主権が、この預言者の中心主題になっています。


V 主のことばに招かれて

 エレミヤの「私はまだ若く、どう語っていいかわかりません」という辞退を聞いて、神さまが言われました。「まだ若い、と言うな。わたしがあなたを遣わすどんな所へでも行き、わたしがあなたに命じるすべての事を語れ。彼らの顔を恐れるな。わたしはあなたとともにいて、あなたを救い出すからだ。ー主の御告げー」(7-8)こういった神さまのことばが、エレミヤにどういう形を伴って語られたのか、何も触れられていません。エレミヤはただ、神さまのことばを聞きました。これがエレミヤの特徴でしょう。エレミヤは、神さまの主張に圧倒されたのです。キリスト者を迫害している最中によみがえりのイエスさまに出会ったパウロに、エレミヤと同じ姿を見ることが出来るようです。エレミヤもパウロも、「わたしはあなたとともにいて、あなたを救い出す」と聞きました。しかし、その約束は、初めから彼らの盾になっていたわけではありません。何回も何回も繰り返し襲いかかって来る危機、それは生死に関わる危機ですが、それほどの危機に対し、神さまは一回一回、その都度その都度、形を変えながら盾となってくださったのです。ですから彼らは、その時その時に主への信頼を問われ、主が身近にいてくださることを感じないわけにはいきませんでした。しかも、パウロもエレミヤも同じように、殉教への道を辿るのです。けれども、主に招かれました。もう後戻りすることは許されません。エレミヤは、この突然の召命に戸惑いながら、自分を整える暇もなく、従わなければなりませんでした。それが主の主権ということなのでしょう。その主権に、彼は従いました。

 「そのとき、主は御手を伸ばして、私の口に触れ、主は私に仰せられた」(9)と、彼は回顧しています。それは「御手を伸ばし」「口に触れ」という表象を伴いながらも、どのようなことが起こったのか何もわかりません。説明の必要がなかったのでしょう。それは神さまの秘儀でした。ただ重要なことは、神さまのことばがエレミヤの耳に届いた、ということです。「今、わたしのことばをあなたの口に授けた。見よ。わたしは、きょう、あなたを諸国の民と王国の上に任命し、あるいは引き抜き、あるいは引き倒し、あるいは滅ぼし、あるいはこわし、あるいは建て、また植えさせる」(10) エレミヤは、この神さまのことばを伝えるために、召し出されたのです。「諸国民の上に」、彼は神さまの領域で働くために召されました。「引き抜き、あるいは引き倒し、あるいは滅ぼし、あるいはこわす」「あるいは建て、また植えさせる」、ここに繰り返し強調されているのは、破滅のメッセージです。「建て、植える」というメッセージも込められてはいますが、しかし、ユダ王国の現実は、その救いの部分を覆い隠し、人々の心に届くことはありません。エレミヤの生涯を覆う、苦悩の始まりでした。



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