コリント人への手紙Ⅰ


65(最終回)
主の恵み、汝らとともに
コリント第一 16:19-24
詩 篇       4:1-8
Ⅰ 広い世界に

 パウロは今、この手紙を閉じようとしています。もう少し経ったら、コリント教会の人たちの懐かしい顔を見ることが出来ると、パウロの胸は期待に膨らんでいたのでしょう。そんな思いを込めてでしょうか、パウロは、この手紙の最後のフレーズ・今朝のテキストを、暖かい愛に溢れるいくつもの勧めで満たしています。

 まず、「あいさつ」からです。「アジヤの諸教会がよろしく……」(19)とこれは、パウロがそれらの教会を一つ一つ丹念に巡回していたからこそ言える、彼らからの心のこもった挨拶です。きっと、先週取り上げた三人も、パウロや長老たちと共にそれらの教会を訪ね、その人たちとの交わりから、新しいビジョンをかき立てられたのでしょう。この時代のことかどうかは不明ですが、四十年後の黙示録には、アジヤ州に七つの教会が誕生していたと記録されています。「彼ら(三人)は、あなたがたの足りない分を補ってくれた」(17)は、そのような内容を含んでいたのかも知れません。彼ら三人は、アジヤ州諸教会の福音宣教への熱い思いを、エペソ訪問最大の土産としたのではないでしょうか。

 もしかしたら、パウロの内には、コリント教会がこの混乱から抜け出すためには、そうしたワクワクするような宣教のビジョンが必要、との思いがあったのかも知れません。目先のことだけに囚われていると、そこから抜け出すことは出来ません。けれども、広いところを見つめると、イエスさまを信じる信仰にはこんな素晴らしい世界が広がっていたのだと、気づかされます。詩篇には、「あなたは、私の苦しいときに、ゆとり(広い所)を与えてくださいました」(4:1)とあります。パウロは、彼らがコリント教会という小さなコップの中でのごたごたから抜け出して、イエスさまがおられる広い世界に飛び出して欲しいと願っていたのでしょう。広いところとは、単にアカヤ州全域に出て行くということではなく、自分の教会(コリント教会)で礼拝や愛餐を忠実に守り、意見の違う人たちをも受け入れて交わりを構築していく、その中で生まれるイエスさまを信じる信仰の世界の広がりのことです。たとえ順序が逆であっても、イエスさまの愛の世界に気づいてくれるならそれでいいと、パウロの内にあったであろう思いを想像するのです。


Ⅱ 聖なる口づけをもって

 「アクラとプリスカ、また彼らの家の教会が主にあって心から、あなたがたによろしくと言っています」(19)とこれは、アクラとその妻プリスカが、エペソ教会のブランチとして、自分たちの家を提供して始めた集会のことで、エペソ教会の中核となっていました。そんなブランチの多いエペソ教会が会堂を建てたのは、ずっと後のことです。会堂をという話が持ち上がっているコリント教会に比べ、エペソ教会はまだ小さな群れにすぎません。それでも、アジヤ州の教会の中心となっていたのです。それはきっと、彼らが、地域の教会一つ一つを心に掛けていたからでしょう。

 四十年後の黙示録に、「あなた(エペソ教会)には非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった」(2:4)とありますが、これは、ドミティアヌス帝のキリスト教徒迫害により、パトモス島に流罪とされたヨハネが見た幻の中で、イエスさまが言われたことです。しかし、そのエペソ教会も、パウロの時代には、愛のうちに立ち続けていました。第一次獄中書簡と呼ばれるエペソ書には、「私は主イエスに対するあなたがたの信仰と、すべての聖徒に対する愛とを聞いて、あなたがたのために絶えず感謝をささげ、あなたがたのことを覚えて祈っています」(1:15-16)とあります。それが、コリント教会への「すべての兄弟たちが、あなたがたによろしくと言っています。聖なる口づけをもって、互いにあいさつをかわしなさい」(20)と、エペソ教会からの麗しいあいさつになったのでしょう。「口づけ」は、ローマ人たちの習慣として、紀元前5世紀頃からあったようです。しかし、誰にでも……ということではなく、ローマ貴族の「謁見」に見られるように、両手を握る(握手)のがローマの挨拶の主流でしたから、口づけは、ごく親しい者たちの間だけだったのでしょう。キリスト教がローマ世界の国教となってから、その古い習慣が取り入れられたのかも知れません。兄弟たちへの抱擁と口づけは、欧米人の平和のしるしとして、挨拶に取り入れられました。それはまた、クリスチャンたちの麗しい交わりのしるしでもあったのです。NTDの註解者は、「兄弟の接吻が主の食事の儀式の際に行われたことは、大いにありうることである」と指摘していますが、ロマ16:16、コリント第二13:12、テサロニケ第一5:26等を見ますと、「聖なる口づけ」が教会に定着して行った様子が窺われます。どんな挨拶を交わすのか、それは、キリスト者の真価が問われることころでしょう。


Ⅲ 主の恵み、汝らとともに

 パウロは「自分の手であいさつを書きます」(21)と、最後の数行を、自筆で書きました。長年の無理から、目も足も腰も……身体のあちこちにガタが来ていたのでしょう。パウロの口述をシルワノやテモテが代筆し、そこに自筆のサインを入れることで、書き上げた手紙を、パウロの真性書簡としたのです。これは、当時の書簡の定型だったのかも知れません。この数行の自筆サイン部分にも、含蓄あるいくつもの、福音の神髄とも言えるものが隠されていますので、見ていきましょう。

 その一つが、「主を愛さない者はだれでも、のろわれよ」(22)です。「聖なる口づけ」は、礼拝前の愛餐の席で行われる麗しい風景(儀式?)でしたが、礼拝前のひとときを、ただ飲んだり食べたりすることに費やしていたコリント教会の無軌道ぶりが、三人から報告されたからでしょうか、これはパウロからの、厳しい叱責と言えるでしょう。「呪われよ(アナテマ)」とその厳しい表現には、イスカリオテ・ユダが、口づけをもってイエスさまを裏切ったことが暗示されているのでしょうが、愛してもいないのに愛していると表面だけを繕うのは、イエスさまの弟子としてふわわしくありません。礼拝室に入ったなら、心を整えて聖餐を受け主を拝する、そこには、主への愛が求められているのです。

 二つ目は、「主よ、来てください」(22)です。黙示録22:20のギリシャ語原典には、アラム語で「マラナ・タ」とあります。これは、恐らく、シナゴグの礼拝で神さまの臨在を願いつつ言い交わしていたものを、原始キリスト教団が、イエスさまの再臨を願うものとして踏襲したのでしょう。それが、教会が異邦人世界に進出し、ローマ皇帝による迫害が激化する中で、「ホサナ」や「アーメン」と同じように礼拝の中で唱和され、キリスト者たちの合い言葉になりました。その時、イエスさまに、「主よ」と称号で呼びかけるのが常でしたが、彼らがイエスさまに向かって「主よ・キュリエ」と呼びかけるそれは、特に、皇帝に向かって「主よ(ドミネ)」(ときには、ラテン語化したギリシャ語・キリエ)と叫ぶ、ローマ人たちへの挑戦でもあったのでしょう。われらの主は、イエスさまただお一人であると……。パウロは、「アナテマ」と「マラナ・タ」を、並べました。それは、どちらを選ぶのか?という、コリント教会の人たちへの問いかけだったのではないでしょうか。四章でもパウロは、「私はあなたがたのところへむちをもって行きましょうか。それとも、愛と優しい心で行きましょうか」(21)と言っています。

 「主イエスの恵みが、あなたがたとともにありますように」(23)とこれは、コリント教会の礼拝で彼らが馴れ親しんでいた、パウロの祝祷です。この祝祷は、この書簡の冒頭にもありますが(1:3)、たとえ、書簡の内容がどんなに厳しいものであったとしても、その全ては、イエスさまの恵みの中で聞かれなければなりません。教会は、イエスさまの恵みによって立つところだからです。そして、「私の愛は、キリスト・イエスにあって、あなたがたすべての者とともにあります」(24)とパウロの愛が加えられて、この書簡は閉じられました。互いに愛し合う。それは、主に召し出された者たちが掲げる、旗印でしょう。詩篇に、「知れ。主は、ご自分の聖徒を特別に扱われるのだ。私が呼ぶとき、主は聞いてくださる。恐れおののけ。そして罪を犯すな。床の上で自分の心に語り、静まれ」(4:3-4)とあります。祈りも、礼拝も、互いに愛することも、主の前で! 覚えたいですね。


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