コリント人への手紙Ⅰ


57
主の光の中を
コリント第一 15:29-34
イザヤ書    58:3c-12
Ⅰ 代理洗礼

 「もしこうでなかったなら」(29)と、この冒頭のフレーズでパウロは、イエスさまの復活がなかったなら、私たちの宣教や信仰はむなしいという14-19節の議論に戻り、更にそこに、二つの議論を追加しました。一つは、「死者のゆえにバプテスマを受ける人たちは、何のためにそうするのですか。もし、死者は決してよみがえらないのなら、なぜその人たちは、死者のゆえにバプテスマを受けるのですか」(29)と、「死者のためのバプテスマ」という問題です。それが何を意味しているのか、古来から36もの解釈があるそうですが(小畑進「前掲書」)、それを一つ一つ取り上げてもきりがありませんので、ここでは、その中の一つで最も広く受け入れられて来た、「代理洗礼」を取り上げたいと思います。コリント教会には、「死者に代わってバプテスマを受ける」という、代理洗礼の風習があったようです。それがどこから出て来たかと言いますと、「古代キリスト教会のセクト(マルキオン派、モンタヌス派)の中でこの風習がずっと維持され、ディオニュソスの密儀においても、潔めを受けずに死んだ人のための代理の潔めが行われていた」(NTD註解書)とあります。マルキオン派とは、二世紀後半に教会に入り込んで来たグノーシス主義の一派ですが、たといこのマルキオン派でなかったとしても、コリント教会の人たちがグノーシス派の宗教思想に囚われていたことは確かですし、ディオニュソス神殿の風習(13:1)がそこに絡んでいたことも、ほぼ間違いないと思われます。

 この代理洗礼は、バプテスマを受けずに亡くなった人(おもに身内)を教会で行われるサクラメントの恩恵に与らせるために、行われていました。たとえ代理であっても、バプテスマを受けることで教会からキリスト者として認められ、そう認識されることによって、イエスさまが再臨されるときに、「死者の復活」という恩恵に与ることが出来ると言うのです。それがキリスト者と認められることで受ける、最大のメリットでした。恐らく、この魔術的風習は、復活を否定するグノーシス派の人たちの間で、亡くなった身内の者に救いを与らせる、補助的手段として行われていたのでしょう。グノーシス派の教理をもってしては、愛する者の魂を救う手立てはなく、藁(わら)にもすがる思いで魔術的方策に手を出したのではないかと思われます。魔術は、古代社会では、決して珍しくはない文化でした。パウロは、そんな彼らの思いを、矛盾しているではないかと指摘しているのです。それは古代社会の宗教依存という特殊事情の中で行われていただけでなく、形態こそ違いますが、現代人の宗教観もそれとさほど変わってはいないようです。宗教には、そんな力があるのです。


Ⅱ 死に直面しつつ

 もう一つのことですが、世界伝道を志したパウロが、さまざまな危険に遭遇したことが語られています。当時の移動は、命がけでした。コリント第二書には、「牢に入れられたことも多く、また、むち打たれたことは数えきれず、死に直面したこともしばしばでした。ユダヤ人から三十九のむちを受けたことが五度、むちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度あり、一昼夜、海上を漂ったこともあります。幾度も旅をし、川の難、盗賊の難、同国民から受ける難、都市の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢え渇き、しばしば食べ物もなく、寒さに凍え、裸でいたことも……」(11:23-33)と、絶叫にも似たパウロの叫びが記されています。「また、なぜ私たちもいつも危険にさらされているのでしょうか。兄弟たち。私にとって、毎日が死の連続です」(30-31)と、パウロの危機意識が吐露されていますが、コリント教会の人たちは、「毎日が死の連続です」と聞いても、それを誇張とは思わなかったに違いありません。教会の一員であった会堂管理者ソステネは、ユダヤ人暴動の際、パウロの身代わりに打ち叩かれています(使徒18:17)。ユダヤ人による迫害は、コリント教会の人たちも味わっていたのです。それは、ともすれば死に直結するものであって、10年を経ずして勃発する、ネロ帝のキリスト教徒迫害を予表するものだったのでしょう。この時点で、パウロがそこまで予測していたとは言い難いのですが、イエスさまの福音はローマ・ギリシャ世界の価値観とは相反すると、パウロ自身、肌で感じていたのではないでしょうか。けれどもそれは、「これは、私たちの主キリスト・イエスにあってあなたがたを誇る私の誇りにかけて、誓って言えることです」(31)と、パウロの伝道者としての誇りでもあったのです。

 「もし、私が人間的な動機から、エペソで獸と戦ったのなら、何の益があるでしょう。もし、死者の復活がないのなら、『あすは死ぬのだ。さあ、飲み食いしようではないか。』ということになるのです」(32)とあります。「獸と戦った」とこれは、順調に教会形成がされていたエペソでさえも、人々(おもにユダヤ人)の反対は尋常ではなく、それは猛獣のように常軌を逸していたとの比喩でしょうが、もしイエスさまの復活がなく、死者の復活もないのなら、そんな苦労はむなしく、飲み食いに楽しみを見いだした方が良いではないかという、パウロの反論を込めた皮肉なのでしょう。コリント教会の人たちが、教会の愛餐会で、最上の肉やブドウ酒を自分たちだけで飲み食いしていたことも、イエスさまにある復活の希望を見失っていたことに原因があるのかも知れません。


Ⅲ 主の光の中を

 「思い違いをしてはいけません」(33)とありますが、コリント教会の人たちは、「思い違い」をしていました。分裂分派という争い中で、自分たちグループのちっぽけな利益を、イエスさまを信じる信仰に優先させていたのです。「友だちが悪ければ、良い習慣がそこなわれます」(33)とこれは、アテネの喜劇作家メナンドロスの「タイス」にあるものですが、当時、諺になっていたようです。

 この「友だち」は、「交わり」(新共同訳)と訳出してもいいニュアンスを持っています。イエスさまの名が被せられた教会は、もともと、貧しい者、世間から見捨てられてはみ出した者、奴隷や肉体労働者といった、下層階級に属していた人たちを中核にしていましたから、互いに思いやり、いたわり合い、わずかな物を分け合って、麗しい交わりを築き上げていました。特にローマ・ギリシャの異邦人世界に建てられた初期教会は、集って来る人たちの背景も環境も違い、人種さえも違っていましたが、しかし、その交わりの背景に、十字架と復活のイエスさまを信じる者たちには、やがて招かれる主の御国という輝かしい望みがあり、だからこそ、乏しい物を分け合う感謝と愛が溢れていたのです。その愛の交わりは、2000年を経た現代の教会でも、原則、同じではないでしょうか。コリント教会も、そのように立たなければならなかったのです。

 ところが、大商業都市に建てられて大きく膨れ上がったコリント教会は、鼻息も猛々しく、これは、気の合う者同士で飲み食いし、本来あるべきイエスさま共同体の麗しい交わりである愛餐をめちゃめちゃにしていた、彼らの行動を指しているのでしょう。新改訳が「友だちが悪ければ、良い習慣がそこなわれる」と訳出した思いが、腑に落ちて来るではありませんか。

 「目をさまして、正しい生活を送り、罪をやめなさい。神についての正しい知識を持っていない人たちがいます。私はあなたがたをはずかしめるために、こう言っているのです」(34)とあるのは、「食物は腹のため、腹は食物のため」(6:13)と言って、主の聖餐を軽んじ、異教の祭儀の食事を教会に持ち込んでいたコリント教会の人たちの立ち方が、イエスさまを信じる者として、あまりにもひどいものだったからなのでしょう。彼らはすでに、「イエスさまは主である」という告白を放棄していたのかとさえ、思ってしまいます。イザヤは、好き勝手に振る舞う者たちに、「飢えた者に心を配り、悩む者の願いを満足させるなら、あなたの光は、やみの中に輝き上り、あなたの暗やみは、真昼のようになる」(58:10)と言いました。神さまを神さまと認めた者、そして、主の復活の信仰に与る者だけが、その光の恩恵に浴することが出来るのです。現代も、コリント教会の人たちのように、好き勝手に振る舞う者たちが多い社会ですが、私たちは、イエスさまの十字架と復活を信じ、神さまの光の中を歩む者でありたいと願わされます。


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