コリント人への手紙Ⅰ


53
私たちの罪のために
コリント第一   15:1-4a
イザヤ書 52:13-53:12
Ⅰ この福音によって

 これまでにパウロは、コリント教会が抱える教会生活に関わるいくつもの問題を取り上げて来ましたが、その問題を取り扱うに当たり、パウロは、御霊に教えられる知恵のことば、愛餐を含む聖餐の在り方、主を拝する礼拝などを、教会を建て上げていく上での大切な土台としてきました。しかし、それだけではキリスト者たるに決定的に足りないことがあると、パウロは今、満を持して、イエスさまの最も中心的な出来事に踏み入ろうとしています。15章全体がそのことに当てられますが、それは、これを省いてはイエスさまを語ることが出来ない、本書簡の中心主題・福音です。

 パウロは、「兄弟たち。私は今、あなたがたに福音を知らせましょう。これは、私があなたがに宣べ伝えたもので、あなたがたが受け入れ、また、それによって立っている福音です。また、もしあなたがたがよく考えもしないで信じたのでないなら、私の宣べ伝えたこの福音のことばをしっかりと保っていれば、この福音によって救われるのです」(1-2)と、「福音」ということばを繰り返しながら、この1-2節を本題に入るための序文としています。この「福音」は、良く言われる「戦勝の知らせ」や「Good News 良き知らせ」など、ヘレニズム的用法をそのまま踏襲したものではなく、「神さまからの良き知らせ」として、徹底的に特化されたものであると理解すべきでしょう。今や「福音」は、ヘレニズム的用法というより聖書由来のことばとして定着し、「○○の福音」などと頻繁に用いられていますが、そこに、「神さまの~」という部分がすっぽり抜け落ちているのは残念なことです。「福音」ということばは新約聖書中76回出て来ますが、パウロ文書に56回と圧倒的に多いのは、この概念が、おおむねパウロに起因していると考えてよさそうです。中でも、これから扱う15章は、「福音」の、最も古く、まとまった伝承として、特に知られています。もっとも、「私も受けたことであって」(3)とありますから、パウロ以前にその原形があって、その伝承をパウロが、しっかりした「神学」の形に発展させたと言っていいでしょう。

 この福音をパウロは、「私があなたがに宣べ伝えた」と繰り返していますが、それがコリント教会でパウロの語って来た、中心メッセージだったからです。それはパウロのイエスさまを信じる信仰の核心部分でもありました。「私の宣べ伝えたこの福音のことばをしっかりと保っていれば、この福音によって救われる」とあるこの「救い」については、15章を通して次第に明らかにされます。


Ⅱ 聖書の示すとおりに

 「私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです」(3)と、いよいよ本題に入ります。パウロの回心の顛末は使徒9:1-30に記されていますが、パウロが拘る「福音」は、恐らく、よみがえりのイエスさまにお会いして、迫害者から福音伝道者へ180°の転回を余儀なくされた彼の実体験と、そこで出会ったアナニヤと、パウロを認めて擁護したバルナバと共に働きながらアンテオケ教会で「受けた」教えが、その根底にあるのでしょう。アナニヤにしてもバルナバにしても、福音の原型とでもいうべきものは彼ら自身から出たものではなく、それがイエスさまに行き着くことは言うまでもありません。きっと、イエスさまは、最初にパウロに現われた後にも、何回もパウロに現われていろいろ語っておられるようですから、時間をかけそれらをつなぎ合わせることで、イエスさまの福音は、パウロの中で、次第にその姿を表してきた来たのではないでしょうか。ある意味でパウロは、イエスさまからの啓示を原点としながら、異邦人伝道者としてローマ・ギリシャ世界の人々に福音を宣べ伝えることで、その全貌を彼自身の中に育てていったと言えそうです。

 「キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと……」(3-4)とあります。今述べたパウロの「福音」形成の中に、もう一つ、決定的に重要なものとして、「聖書」が上げられなければなりません。これが、「私も受けたことであって」とパウロが言う、ファクトなのです。聖書はただの読み物ではなく、そこで「出会う」ものなのです。ここで言う「聖書」は旧約聖書を指しています。パウロは、キリスト者になる前から律法学者の卵として専門的な聖書教育を受けていましたから、旧約聖書には人一倍の知識がありましたが、単にユダヤ教教師としての聖書知識というだけでなく、イエスさまを指し示すものとして改めて読み直した旧約聖書そのものが、「福音」のベースになっているのでしょう。彼は伝道者として立つ前に、ただ一人で訓練を受ける機会があったようです。「先輩の使徒たちに会うためにエルサレムにも上らず、アラビヤに出て行き……、それから三年後……」(ガラテヤ1:17-18)とあります。「アラビヤ」とは、死海の東側に広がる荒涼たる荒野のことで、パウロはそこで、再度出会った主から直接啓示を受け、恐らく三年間、エッセネ派の修道士たちのように徹底的に聖書を読んだのでしょう。それこそが福音伝道者パウロの原点、と言えそうです。


Ⅲ 私たちの罪のために

 パウロが示した福音の第一要素は、「キリストは、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと」です。最初に、イエスさまのこの出来事は事実であった、と確認しておかなければなりません。死んだ者がよみがえり、救い主であると信じられるなど、その時代にも、弟子たちの捏造ではないかと囁かれ、イエスさまの死には、多くの人たちが疑問符をつけていました。当時、ギリシャの知識人は、最先端の宗教思想・グノーシス主義のドケティズム(仮現説)を受け入れていましたから、肉体を持たないアイオーンと呼ばれる星々の神々(イエスさまを含む)が死ぬなど、あり得なかったのです。しかし、イエスさまの死を兵士たちに確認させた総督ピラトの許可のもとで(マルコ15:44-45)、その遺体は、岩山をくり抜いて造られた新しい墓に葬られました(ヨハネ19:38-42)。そこには、遺体を葬ったサンヒドリン議員アリマタヤ・ヨセフとユダヤ教教師として高名なニコデモを筆頭に、女性たちやローマの兵士たちも立ち会っていて、何人もの目撃者がいました。十字架に磔けられたイエスさまは確かに死なれたと、「葬られたこと」は、それを裏付ける重要な証言でした。

 そして、「葬られたこと」には、もう一つのパウロの証言が込められています。イエスさまの埋葬に関わった人たちは、「どんな死体のところにも、行ってはならない。自分の身を汚してはならない」(レビ記21:11)とある汚れを身に負って、神聖な過越の小羊の食事を棒に振ってしまったのですが、彼らは、律法が定めた過越の小羊よりも十字架のイエスさまを重んじた、最初の証言者になったのです。きっとパウロは、「新しい粉のかたまりのままでいるために、古いパン種を取り除きなさい。あなたがたはパン種のないものだからです。私たちの過越の小羊キリストが、すでにほふられたからです」(コリント第一5:7)と書いたことを、思い出していたのでしょう。

 パウロは、イエスさまが「私たちの罪のために死なれた」と証言しました。極めて短い単純な内容ですが、油注がれた者・キリスト(メシア)の贖罪死を証言する代表的預言として、イザヤ書から紹介しましょう。「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。だれが思ったことだろう。彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、生ける者の地から絶たれたことを。彼の墓は悪者どもとともに設けられた。彼は暴虐を行なわず、その口に欺きはなかったが。」(53:4-8) これは動物を祭壇に献げて罪を贖った旧約聖書の伝統が「苦難の僕」に凝縮されたものですが、イエスさまの十字架は、まさにイザヤの記述通りになりました。その死は、神さまのご計画に基づき、しかも、イエスさまご自身の意志によって実行されたのです。この贖いは、パウロが言う「救い」と同じ意味で用いられています。これは原始教団の伝承に基づいた使信なのでしょうが、エッセンスだけのコンパクトな形にまとめられているのは、これが礼拝時の信仰告白を想定していたからなのでしょう。私たちもその伝統を引き継ぎ、主の前における礼拝で、この告白に立とうではありませんか。



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