コリント人への手紙Ⅰ


37
主の溢れる愛が
コリント第一 11:23-26
イザヤ     55:1-12
Ⅰ 愛餐の風景の中で

 パウロは、コリント教会の愛餐が分裂分派の争いの場となり、貧しい人たちを排除し、ローマ貴族さながらの豪華な肉やぶどう酒を腹一杯詰め込む欲望の場となっていることを、決してほめられるものではないと断じましたが、そのことよりも、「あなたがたはいっしょに集まっても、それは主の晩餐を食べるためではない」(20)と、「主の晩餐」が軽んじられていることを咎めました。

 「主の晩餐」または「主の食事」と呼ばれる愛餐は、聖餐を中心に、「毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き(聖餐を指す)、喜びと真心をもって食事(愛餐を指す)をともにしていた」(使徒行伝 2:46)とあるように、最初の教会がエルサレムに誕生した時から行われていた、麗しい伝統でした。ところが、教会が誕生してからまだ20数年しか経っていないのに、ローマ・ギリシャ世界に進出した諸教会で、「主の晩餐」の中心である「聖餐」は、早くもその意味を変えつつありました。コリント教会ほどひどくはなかったとしても、今、ローマ・ギリシャ世界に広がりつつあるキリスト教会の愛餐風景が、礼拝の延長として行われる聖餐と愛餐を含んだ「主の晩餐」の意味を、見失いつつあったと言えるでしょう。ロマ書にも「食べる人は食べない人を侮ってはいけないし、食べない人も食べる人を裁いてはならない」(14:3)とあって、愛餐風景の中にいろいろな問題が生じていたことが暗示されています。そんな初期教会の人たちに、パウロは聖餐の原点を教え、教会の最も中心的な部分を担う「聖餐」が、確立することを願いました。

 「私は主から受けたことを、あなたがたに伝えたのです」(23)とパウロは、教会が最初から守って来た伝承を、一切の不純物を取り除いたシンプルな形で残そうと、ここに記録しました。「受けた」「伝えた」という伝承の受け渡しは、ラビたちの重要な役目でしたから、パウロはその伝統に従って、イエスさまが行われた「聖餐」を、そのまま各地の教会に伝えたいと願ったのでしょう。教会が最も中心とする礼拝は、イエスさまの福音を高らかに賛美し、感謝し、語り上げるものですが、私たちの信仰告白でもあるその具体的な役目を、一つは講壇から語られるメッセージが担い、そしてもう一つ「聖餐」が、イエスさまの救い・福音を、誰の目にも見える形で語っていくのです。「聖餐」は、目に見える形を伴ったメッセージと言うことが出来るでしょう。


Ⅱ 弟子たちの心に

 パウロが伝えた聖餐の様子は、マタイ、マルコ、ルカの三福音書に記録された記事とおおむね一致しています。「すなわち、主イエスは、渡される夜、パンを取り、感謝をささげて後、それを裂き、こう言われました。『これはあなたがたのための、わたしのからだです。わたしを覚えるため、このようにしなさい。』夕食の後、杯をも同じようにして言われました。『この杯は、わたしの血による新しい契約です。これを飲むたびに、わたしを覚えるため、このようにしなさい。』」(23-25)

 十字架に磔けられる前夜、エルサレムの西南に当たるダビデの町・シオンの丘近くにある、マルコの母マリヤの家の屋上の間で、イエスさまは弟子たちとともに「過越しの食事」をされました。その後、オリーブ山の麓にあるゲッセマネの園に行かれ、そこで祈っておられるとき、イスカリオテ・ユダに手引きされた祭司長とパリサイ人たちが、神殿警察の役人たちとローマの兵士たちを引き連れてイエスさま捕縛にやって来るのですが、「渡される夜」とは、そのことを指しています。

 長い時間をかけて、イエスさまと共に摂った最後の「過越しの食事」です。夜が明けると、イエスさまは、大祭司や総督ピラトのもとをたらい回しにされた後、裁かれ、ついに十字架に磔けられるのですが、「これはあなたがたのための、わたしのからだです。わたしを覚えるため、このようにしなさい」「この杯は、わたしの血による新しい契約です。これを飲むたびに、わたしを覚えるため、このようにしなさい」と、食べたパン切れと飲んだぶどう酒の杯、そのどれもが、「主の食事」「最後の晩餐」として、弟子たちの心に強く深く残っていたのではないでしょうか。

 この記事は、イエスさまが定められた聖餐をその通り守っていた教会伝承を、パウロが「受けて、伝えた」最古の証言であって、単にパウロ神学の主張ではありません。ですから、こんなにシンプルな記事になっているのです。しかしながら、疑問も含め、いくつか見ておかなければならないことがあります。

 第一は疑問ですが、なぜこの聖餐を、パンと杯の二部構成―その間に愛餐があった―にしているのかという点です。これは、ユダヤ人が守って来た「過越しの食事」が、パンとぶどう酒、あるいは過越しの羊の肉やハレトと呼ばれるスープや苦菜が何度も繰り返し分け与えられた構成を単純化し踏襲したもので、イエスさまは、パンと杯にご自分の「からだを裂く」「血を流す」という意味を重ね、十字架の死を強調されたのでしょう。パウロはその辺りのことを、「私たちが祝福する祝福の杯は、キリストの血にあずかることではありませんか。私たちの裂くパンは、キリストのからだにあずかることではありませんか」(10:16)と言っています。「聖餐」は、時代が下るにつれて、次第に仰々しく儀式化されて来ましたが―ヨハネ晩年の紀元一世紀末には、すでにそのような儀式化が進行していた―、「聖餐」は、あくまでも、私たちが信仰をもって受け止めるべき十字架の象徴なのです。聖餐に与ることは、十字架の主への信仰の告白であると言えましょう。


Ⅲ 主の溢れる愛が

 「聖餐」の記事で二番目に探っておきたいのは、「わたしを覚えるために」とあるところです。新共同訳は「記念」と訳しましたが、キリスト教二千年の歴史には、イエスさまの出来事を過去のものとして葬り去ろうとする動きが何度も刻まれて来ました。しかし、パウロにとっての聖餐は、歴史を追憶するものでも、死者を哀しみ誇るという、気分で回想する「メモリアル」でも断じてなく、どこまでも私たちの現在に深く関わる、イエスさまの十字架の死を伝えるものなのです。ですからここでは、「イエスさまを覚えるために」と聞くことが、何よりも重要だったのではないでしょうか。パウロは、イエスさまの「わたしを覚えるために」とのことばを、パンを裂いて配られたときと杯が回されたときの二回に、きっちりと書き留めました。それは、エルサレム教会から始まって世界に広がった教会全てで、聖餐がそのように語られ、守られて来たからなのでしょう。小畑進師は、「私たちは、私たちを片時も忘れたまわぬおかたを常に忘れる」と言っておられますが(前掲書)、パウロもまた、自分も「忘れてしまう」者であると、心に刻んでいたのではないでしょうか。

 第三に、「これは新しい契約である」と言われていることです。これは、神さまがモーセを通してイスラエルに与えた律法を古い契約とし、それに対比するように、「新しい契約」と言っているのでしょう。律法を守るように言われたイスラエルは、それを何度も忘れました。しかしパウロは、イエスさまの新しい契約が、私たち次第で忘れられてしまうような律法ではなく、それはあくまでも主の恩寵であって、たとい私たちが忘れても「イエスさまは忘れ給わない」と、溢れんばかりの主の愛をここに込めました。その愛に招かれたパウロの喜びが、伝わって来るではありませんか。

 パウロは、「ですから、あなたがたは、このパンを食べ、この杯を飲むたびに、主が来られるまで、主の死を告げ知らせるのです」(26)と締め括りました。これは、十字架の愛を注いで下さったイエスさまがもう一度世に来られ、私たちはその主にお目にかかることが出来るのだと、パウロ自身が心を尽くして聖餐を守り、宣教に全力を注ぎながら覚え続けて来たことなのです。「主の死を」とは、宣教の主題であると同時に、それは彼自身への問いかけでもあったのでしょう。私たちもと願わされるではありませんか。預言者イザヤも、そんな主の恩寵を見つめ、待ち望んでいた一人です。「ああ、渇いている者はみな、水を求めて出て来い。金のない者も。さあ、穀物を買って食べよ。さあ、金を払わないで、穀物を買い、代価を払わないで、ぶどう酒と乳を買え。……主を求めよ。お会いできる間に。……」(55:1-13)と、イザヤの渇きと信仰が伝わって来るではありませんか。現代の人たちも、飢え渇いています。その人たちに、十字架の愛を指し示したいではありませんか。


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