コリント人への手紙Ⅰ


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婦人たちの祈りに
コリント第一 11:2-6
詩 篇    62:5-8
Ⅰ 教会を支えて来た人た

 パウロの筆は、「偶像の神々に供えた肉を食べる」問題から、別の問題へと切り替わります。パウロは、このメッセージを、コリント教会の人たちに語り掛けながらも、ローマ・ギリシャ世界に建てられたキリスト教会全体に発信しているようです。このフレーズは16節まで続きますが、いくつもの複雑な問題が絡んでいますので、このフレーズを二回に分けて見ていきたいと思います。

 「さて、あなたがたは、何かにつけ私を覚え、また、私があなたがたに伝えたものを、伝えられたとおりに堅く守っているので、私はあなたがたをほめたいと思います」(2)と、この冒頭部分は、これまで語られてきたコリント教会に似つかわしくありませんが、ここは宗教改革者カルヴァンの、「パウロがコリント人たちの過去の従順をあからさまにほめたのは、将来とも従順なままでおらせようとするためであったことを知っておきたい」(コリント書註解)とのことばを聞くだけで十分でしょう。この2節は、新改訳では伝わって来ない部分がありますので、NTD註解者の私訳を紹介します。「わたしは、あなたがたがあらゆる機会にわたしを思い起こし、わたしが伝えたとおりに言い伝えを守っていることを賞賛する」と、この方が原文に近いようです。ここに「言い伝え」とあるのは、パウロ自身が初代教会から受け継いで来た、イエスさまの福音や聖餐の制定に関する教えなど伝統的伝承ですが、このコリント書では、そういったことが順次取り上げられます。今朝は、「婦人たち」への教えです。

 「しかし、あなたがたに次のことを知っていただきたいのです。すべての男のかしらはキリストであり、女のかしらは男であり、キリストのかしらは神です」(3)とパウロは、婦人の問題を取り扱う大前提である、教会における秩序の構築に触れます。これは「言い伝え」であって、初期教会がイエスさまから教えられたことを踏襲したものですが、それはコリント教会の人たちがすでに、パウロから何回も聞いていたことでした。以前、「コリント教会には婦人たちが多くいて、いくつものグループを擁していた」(講解説教23)と聞きましたが、彼女たちは男性を押し退け、教会の中枢にまで出て来ていたのでしょう。けれども、ルカの福音書には、出過ぎることなくイエスさまを支えていた女性たちのことが取り上げられていますが(ルカ8:2-3)、コリント教会だけでなく、教会の始まりから現代に至るまで、教会を支えて来たのは、こうした女性たちだったと言えるでしょう。


Ⅱ 力と名誉と尊厳に包まれて

 コリント教会では、婦人たちの発言力が大きくなっていたのでしょう。直感的なのでしょうか、イエスさまを信じる純粋な信仰は、男性よりも女性のほうに歩があるようです。男性の信仰はしばしば理性的、論理的、組織的に偏りがちですが、しかし、どこがどうと理論的には言えなくても、直感的な女性が辿り着くところは、おおむね大きく逸れることが「ない」と言えるでしょう。但し、選択や決断の部分では男性に勝らず、一旦間違うと、その被害は甚大なのですが……。彼女たちの直感力は男性の決断を補いますが、その補佐役が表に出過ぎると、大切な判断や決断に狂いが生じてきます。パウロはその辺りのことを、何度も見て来たのでしょう。ですからここに、教会の秩序は「父なる神さま→イエスさま→男→女」でなければならないと、初代教会からの「言い伝え」を持ち出さなければなりませんでした。それは、創造の初めからの秩序でしたが、パウロのもう一つの意図は、矢印の向きを下から上へと逆にすることにあったようです。ローマ・ギリシャ世界で家の中に閉じ込められていた女性たちは、教会の一員となることで、祈り人として目立たないところから男性を支える存在になっていました。

 コリント教会では、そんな女性たちがいつの間にか表だってものを言うようになり、その力が大きくなっていたのでしょう。パウロは、そんな彼女たちの発言に懸念を示しました。「男が、祈りや預言をするとき、頭にかぶり物を着けていたら、自分の頭をはずかしめることになります。しかし、女が、祈りや預言をするとき、頭にかぶり物を着けていなかったら、自分の頭をはずかしめることになります。それは髪をそっているのと全く同じことだからです」(4)と。ユダヤの礼拝では、男女ともにかぶり物を着けることが義務づけられていました。「男が、祈りや預言するときに……」とは、ギリシャ世界を考慮してのことでしょう。けれどもその義務は、祭儀など宗教行事以外では解除され、外で男性はほとんどかぶり物を着けていません。しかし、当時のユダヤ人女性を描いた絵画などを見ますと、女性の大半はかぶり物を着けていたようです。この「女性のかぶり物」についてですが、家の中以外では頭髪を覆わなければならないと、それが東洋文化圏に見られる習慣でした。W.ラムゼイは、「ヴェールは婦人の力と名誉と尊厳とを示すもので、ヴェールを着けていれば、婦人はどこへ行っても安全で、人々から尊敬を受ける。路上で、ヴェールを着けた婦人を見つめるのは無礼なことで、彼女は群衆の中にあっても至高な存在である。……婦人の権威と尊厳とは、全身をおおうヴェールを脱いだときに、それとともに消え失せる」(小畑進・前掲書)と言っています。現代のイスラム女性がスカーフ(ヒジャーブ)を着ける習慣は、その辺りから来ているのでしょう。ところが、ギリシャには、ヴェールを着けるという習慣はありませんでした。商業都市コリント市では、なおのこと、髪飾りに粋をこらした女性たちが街を闊歩し、そんな威勢のいい女性たちが、教会にも来ていたのでしょう。


Ⅲ 婦人たちの祈りに

 パウロが婦人たちに「祈りや預言をするとき、頭にかぶり物を着けていなかったら、自分の頭をはずかしめることになる」(5)と言ったのは、彼女たちの中にも預言する―神さまのことばを取り次ぐ・メッセージを語る―者がいたためでしょう。ところで、婦人たちの、名誉との尊厳の象徴である長く美しい髪を短く切るのは、尊敬されるべき婦人という社会通念を踏み外した者であって、娼婦と見なされたのです。ユダヤでも、姦淫を犯した女が、髪を切り落とされた後、「汝は、頭髪を有するイスラエルの娘たるの習慣に離反したがゆえに、みずからの選択によって頭髪を落とされたり」とののしられたそうです(小畑進・前掲書)。きっと、コリント教会には、娼婦でなくてもそんな髪の短い活発な女性たちがいたのでしょう。長いヴェールを着けていれば、髪の長い人も短い人も区別はつきません。パウロが婦人たちに「ヴェールを着ける」よう勧めたのは、ヴェールは彼女たちの尊厳を守り、逸脱した娘たちをも優しく包み込むものであると、そこに狙いがあったのでしょうか。

 「家の教会」と呼ばれていたパウロの時代に、教会は多くの人たちを擁し始めていました。彼は、膨れ上がっていく教会の勢いを感じていたのでしょう。教会堂建設も視野に入り、監督や執事や長老といった教会組織も整えられ、婦人たちが重責を担う教会も出現していました。ピリピ書には、「ユウオデヤに勧め、スントケに勧めます。あなたがたは、主にあって一致しなさい」(4:2)とあります。彼女たちは恐らく、執事でした。教会が成長していくための、過度期を迎えていたのでしょう。

 そんな中で、グノーシス主義など異端が入って来た教会では、儀式化や組織化といった宗教化が進み、パウロは多くの問題と戦わなければなりませんでした。婦人問題もその一つだったのでしょう。分裂分派など争いの渦中で勇ましく発言する彼女たちは、猛々しく、まるで福音の戦士のようでした。パウロは、そんな彼女たちに、ヴェールの着用を勧めました。「女がかぶり物を着けないのなら、髪も切り落としてしまいなさい。髪を切り、頭をそることが女として恥ずかしいことなら、かぶり物を着けなさい」(6)とこれは、心を落ち着けて静かに祈りなさいと、祈りの勧めではないでしょうか。祈りは主の耳に届くのです。彼女たちがヴェールを着けて座し静かに祈ることで、教会の混乱も少しづつ収まっていったのではと想像します。サムエルの母ハンナ(Ⅰサムエル1:10)やエステルやイエスさまの母マリヤなど、聖書には祈る女性の姿が散りばめられています。いや彼女たちだけでなく、多くの人たちの祈りがイスラエルを、教会を支えて来ました。教会誕生直前に、「この人たちは、婦人たちやイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちとともに、みな心を合わせ、祈りに専念していた」(使徒1:14)と、婦人たちの名が第一に挙げられています。彼女たちは、教会の母なのです。そんな祈り人に、私たちもなりたいではありませんか。


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