コリント人への手紙Ⅰ



十字架の愛に
コリント第一 1:10-17
エレミヤ    31:3-6
Ⅰ イエスさま不在を憂えて

 先に述べたパウロの感謝(4-9)から、コリント教会の人たちが、イエスさまの恵みに召された者としてふさわしく、整えられた者となるようにという思いが伝わって来ます。彼らには、それを基準に、考え直さなければならないことが多くありました。

 パウロはまず、こう踏み込みます。「さて、兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストの名によってあなたがたに勧告します。皆、勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし思いを一つにして、固く結び合いなさい。」(10・新共同訳) 今朝のテキストは、そこから始まります。

 新共同訳は意訳ですが、このほうが、コリント教会の切迫した状況が伝わって来るようです。「仲たがい」と言われていますが、今、コリント教会に起こっている第一の問題は、分裂分派の争いでした。みながそれぞれ、「勝手なことを」言い合っていたのでしょう。パウロの後継者アポロは、今、エペソ周辺で働いているようです(16:12参照)。パウロはコリントにテモテを送り込もうとしていますが(16:10)、まだ実現していません。牧者がいない。それが彼らの問題の根だったのでしょうか。

 パウロはここで、憶測を言っているのではありません。コリント教会から、何人もの人たちがパウロのもとを訪れて、コリント教会の実情を訴えていました。「実はあなたがたのことをクロエの家の者から知らされました。兄弟たち。あなたがたの間には争いがあるそうで、あなたがたはめいめいに、『私はパウロにつく。』『私はアポロに。』『私はケパに。』『私はキリストにつく。』と言っているということです」(11-12)とあります。クロエ(新緑)とは、何らかの商いをしていた店舗「クロエの家」の、女主人の名前なのでしょう。アクラとプリスキラのように、パウロがコリントにいた間、パウロを支えていた一人ではなかったかと思われます。この「クロエの家の者」と思われる人たちのことが、16章に描かれています。「ステパナとポルトナトとアカイコが来たので、私は喜んでいます。彼らは、あなたがたの足りない分を補ってくれました」(17)とあります。その三人全員が「クロエの家の者」だったかどうか分かりませんが、少なくとも、クロエの意向を受けてパウロを訪問し、コリント教会の実情を正確に伝えたと言えそうです。彼らがパウロを訪れたというだけで、コリント教会の人たちは、パウロがコリント教会の実情を把握したと受け止めたのでしょう。それほど重みのあるクロエとその家の番頭たち?で、いづれも、パウロが信頼するキリスト者でした。


Ⅱ 一つの群れとして

 さて、コリント教会の分裂分派の様子ですが、パウロが聞いた報告は「私は○○につく」というもので、「パウロ」や「アポロ」や「ケパ(ペテロ)」と並んで、「私はキリストにつく」というものまでありました。分派の詳しいことには何も触れられていませんので、それらの成立過程や特徴を特定することは出来ませんが、―パウロもまた、そんなことには関心がない―、それぞれのグループが信奉する人物の名から推測すると、恐らく、アポロ派やペテロ派が誕生した後に、それらに対抗するように、パウロを信奉するグループも形成されたのでしょう。そんな、個々の教師に連なった一種の「人間中心の集団」へと膨らんで行った分派の中に、イエスさまを一人の教師と見て信奉する、「キリスト派」と名づけられる集団もあって、もしかしたら、イエスさま生存時に師事した人たちがそこにいたのかも知れない、と想像する人もいます。この「キリスト派」がどのようなグループなのか、特定することは出来ませんが、「厳格なユダヤ主義者」だろうとか、「キリスト?から直接、何らかの特別な啓示を受けたとする神秘主義者」かも知れない、と言う人たちもいます。しかし、それは推測であって、その成立過程等については、誰もが沈黙しているので分かりませんが、この「キリスト派」をパウロ派やアポロ派、ペテロ派と同列に並べたこと自体に根本的な問題がある、と言わざるを得ません。それはいかなる意味においても、イエスさまが教え、パウロが語って来た、イエスさまの福音に適合するものではないでしょう。「パウロ派」や「アポロ派」、「ペテロ派」からイエスさまがすっぽり抜けているように、「キリスト派」にも、イエスさまが不在なのです。

 これら「○○派」に対して、パウロは強烈な反論を掲げました。「キリストが分割されたのですか。あなたがたのために十字架につけられたのはパウロでしょうか」(13)と。「キリストが分割されたのか」という問いには、イエスさまの共同体が世界中に無数の教会を擁していても、それは一つの群れであるとする認識が見られます。だからエペソ教会は、コリント教会を心配し、祈っていました。どこかで小さな教会が痛んでいるなら、そのために祈る群れがそこかしこにあるのです。国内ばかりか、海外にも……。神戸の震災の時にも、被害に遭われた教会のために、多くの尊い献金が寄せられ、海外からもボランティアが大勢駆けつけて下さいました。それは、十字架の主がすべての人たちの救いとなって下さったからです。小難しい神学を掲げて、自分たちは神さまの正統な民であるなどと主張しなくても、私たちはイエスさまの民として招かれた者であると、それだけで十分でしょう。


Ⅲ 十字架の愛に

 パウロが反論に加えたことは、もう一つありました。パウロはこう言います。
 「あなたがたがバプテスマを受けたのはパウロの名によるのでしょうか。私はクリスポとガイオのほか、あなたがたのだれにもバプテスマを授けたことがないことを感謝しています。それは、あなたがたが私の名によってバプテスマを受けたと言われないようにするためでした。私はステパナの家族にもバプテスマを授けましたが、そのほかはだれにも授けた覚えはありません。」(13-16)

 クリスポは、ユダヤ人の反発に遭ってパウロが働きの拠点を移した、シナゴグの会堂管理者(使徒18:8)で、ガイオは、ロマ書16:23によると、コリント教会の家主だったようです。もう一人のステパナは、クロエからエペソに遣わされた三人の中のひとり(11、16:17)で、16:15によると「アカヤの初穂」とありますから、アテネでパウロと出会ってイエスさまを信じ、バプテスマ(洗礼)を受けた後、コリント教会に移ったと思われます。ステパナと彼の家族は、パウロにとって、忘れ難い人たちだったのでしょう。ステパナの名を別に記したのは、他にも名前が上げられていない人たちがいたであろうことの痕跡とする註解者もいて、コリント教会を心配し、パウロと思いを共有しつつ、祈っていた人たちがあったことに言及しているのではないかと想像します。たとえ少数の人たちであったとしても、その祈りがコリント教会を変えていったのではないでしょうか。しかし、パウロが先に上げた人たちにしか「バプテスマを授けていない」と言ったのは、「あなたがたが私の名によってバプテスマを受けたと言われないようにするため」とあるように、「○○派」とするたぐいの、分派を警戒するためでした。コリント教会には、当初からそのようなことが危惧されていたのでしょうか。いや、人の集まるところどこにでも、分裂分派は人の常なのかも知れません。それにしても、バプテスマが分派の原因になるなど、そんなことを警戒しなければならなかったパウロの、やるせない気持ちが伝わって来るようです。

 パウロは、バプテスマ云々よりも大切なことがあると、「キリストが私をお遣わしになったのは、バプテスマを授けるためではなく、福音を宣べ伝えさせるためです。それも、キリストの十字架がむなくしくならないために、ことばの知恵によってはならないのです」(17)と、イエスさまの十字架を持ち出しました。「ことばの知恵」とは、ギリシャ思想に入り込んでいたグノーシス主義の知恵のことで、分派の争いはそこに根ざしていると、パウロは彼らの論争に異議を唱えているのです。イエスさまの十字架を見つめるなら、そこには人を救う神さまの力が満ち満ちていて、わくわくと心が弾んで来るではないか、教会を満たすお互いの愛も、主の十字架から沸き上がって来るものではないかと……。ここにはまだ隠されていますが、パウロは彼らに、十字架の愛に立ち戻ることを期待しているのです。イエスさま共同体を支えるものは、十字架の愛に他なりません。「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた」(エレミヤ31:3)とある神さまの愛は、またイエスさまの愛でもあるのです。その十字架の愛を現代の私たちにもと、願いたいではありませんか。



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