コリント人への手紙Ⅰ


29
主の愛に生きる者と
コリント第一 9:24-27
詩 篇  119:65-72
Ⅰ イスミア大会を観戦して

 コリント教会の教師、パリサイ派のユダヤ人たちへのパウロの勧めは13節から続いていましたが、今朝のテキストは、その結語です。「競技場で走る人たちは、みな走っても、賞を受けるのはただひとりだ、ということを知っているでしょう。ですから、あなたがたも、賞をうけられるように走りなさい」(24)とパウロは、ギリシャで良く知られていた、「競技場」でのスポーツ大会を持ち出しました。「競技場」とは現代流に言う「スタジアム」のことですが、だれが最も早く走るかを競い合う競争が、最も華やかな競技でした。ギリシャでは、競技場が基本、距離を示す単位・1スタディオン(約190㍍)を直線距離として設計されていたことから、「スタジアム」ということばが生まれたそうです。もっとも、競技種目は1スタディオン競争だけでなく、中距離走や長距離走、さらに幅跳び、円盤投げ、レスリング、拳闘も加えられ、やがて音楽や詩作発表なども加えられたようです。ギリシャの全都市が参加して行われるスポーツ大会は、有名なもので、オリンピックの源流となったオリンピア大会、ネメア大会(ペルポネソス半島の北東部・コリント市の一部)、ピュティア大会(託宣で有名なデルフォイ。ピュティアは巫女あるいは祭神アポロンの託宣を指す)、イスミア大会と四つありましたが、「イスミア」は「地峡」を指す古名で、コリント地峡(イスモス)を指すようになりました。イスミア大会はオリンピア大会に次ぐ有名なもので、オリンピア大会前後の夏、隔年に開かれていたようですから、一年半以上コリントにいたパウロは、その大会を観戦していたのでしょうか。

 このようなギリシャのスポーツ大会にはゼウスやアポロンなど祭神がいて、奉納試合の様相が濃かったようです。ところが、紀元四世紀にキリスト教がローマ帝国の国教になると、異教禁止のかけ声とともに、それらスポーツ大会の会場となっていた祭神神殿は破壊され、スポーツ大会も廃れていきましたが、パウロの頃には、奉納試合であったとしても宗教色は薄められ、純粋にスポーツ大会という要素だけが強調されていたのでしょうか。異教的なものとして排斥された形跡はありません。パウロは、「賞を受けるのはただひとり」と言っていますが、当時の勝者はただ一人で、銀メダルも銅メダルもありませんでした。ただ、その賞は、ごく初期の頃は「月桂冠」(イスミア大会では、祭神・海神ポセイドンの神殿を彩る松の木にちなんで、松葉の冠)だけでしたが、時代が下るにつれて、物心両面に渡ってさまざまな賞品が与えられるようになり、パウロの頃には、財産とも言えるほどの賞に膨らんでいたようです。パウロは、その賞を、神さまから与えられる「栄光」になぞらえています。


Ⅱ 朽ちない冠を

 勝者が一人だけというギリシャの競技に信仰者のゴールを重ねたのは、恐らく、神さまから与えられる栄光の門をくぐる者は決して多くはなく、そこには、神さまの厳しい審査があると言っているのでしょう。罪ある者は、その厳しい審査を通り抜けることは出来ません。聖なる神さまは、どんなに小さな汚れ・罪でも、決して見逃されないからです。「罪ある者は死ぬ」(民数記27:3、エゼキエル18:4、ロマ6:23、Ⅰコリント15:56、ヤコブ1:15他多数)と、これが聖なる神さまのルールでした。そして、その「死」には続きがあります。聖書は「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」(ヘブル書9:27)と主張しているのですが、その審判の席には救い主イエス・キリストも陪席され、「わたしがこの人の罪の身代わりとなって十字架に死んだのだ」と弁護して下さるのです。神さまがその弁護を認めて「おまえの罪は赦された」と無罪判決を下し、その人のために、栄光の門が開かれるのです。けれども、イエスさまの弁護がない者、恐らく大多数の者たちは、「永遠の死」に定められてしまいます(黙示録20:13-15参照)。

 一人一人がそのような神さまの審査の場に引き出されるのは、まさに、スタジアムでの競争に死力を尽くす選手たちのようではありませんか。彼らは、競技前に十ヶ月間の訓練を義務づけられ、何ヶ月も酒を断ち、肉食を棄て、節制と禁欲に励んで、どれほどの訓練に耐えて来たことでしょう。それもこれも、社会的な栄光が約束された、金賞を得るためでした。そこには、観客たちの「賭博」も絡み、莫大な掛け金が動いていたのではと想像させられます。そんな選手たちに、信仰の走るべき行程を走り抜こうとするキリスト者たちを重ね合わせてパウロは、こう言いました。「また競技をする者は、あらゆることについて自制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。ですから、私は決勝点がどこかわからないような走り方はしていません。空を打つような拳闘もしていません。」(25-26) 月桂冠や松葉の冠を得ようと、必死に自制し訓練を積み重ねて来た選手たちが得たものは、数日で枯れてしまう「朽ちる冠」でした。けれども、信仰の戦いを戦うキリスト者たちに与えられる冠は、栄光の「朽ちない冠」なのです。その冠は恩寵によって与えられるものですが、そこに自制も努力も必要であることは、言うまでもありません。その自制や努力は信仰と言っても良く、感謝であり、喜びや祈り、なによりも「愛」であり、主の日ごとに行われる礼拝を守り抜くことではないでしょうか。そのようなキリスト者の模範を示すことが、コリント教会で自ら教師を任じていたパリサイ人たちに、求められていたのです。


Ⅲ 主の愛に生きる者と

 ですからパウロは、彼らパリサイ人たちに言いました。これが彼らへの結論です。「私は自分のからだを打ちたたいて従わせます。それは、私がほかの人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者になるようなことのないためです。」(27) 「自分のからだを打ちたたいて従わせる」と、これは、パウロ自身が観戦して来た、イスミア大会の競技種目・ボクシングを思い出しながら言っているのでしょう。もしかしたら、観戦したその試合は、ノックアウトで決着がついたのかも知れません。「打ちたたいて従わせる」と、その激しい打ち合いの拳を、パウロは自分に向けました。自分自身をノックアウトする。それほどに激しい戦いを自分自身に課さなければ、自制などどこかに吹き飛んでしまうと思ったのでしょうか。きっと、信仰の勇者だった彼も、そんな肉の弱さを抱えていたのでしょう。二章にはそんな弱さが描かれていますし、ロマ書にも、「ああ、われ悩める人なるかな。この死の体より我を救わん者は誰ぞ。……されば我みずから心にては神の律法に仕え、肉にては罪の法につかうるなり」(7:24-25・文語訳)との嘆きが、吐露されています。そんな肉の弱さをパウロは、神さまと教会の人たちの前に隠しませんでした。なぜなら、神さまはそんなパウロを助け補って、立たせて下さったからです。パウロが注目して欲しいと願ったのは、彼に注がれた主の恩寵でした。自分の弱さも、主の恩寵も、パウロは、その在りのままの姿をパリサイ人たちに見せなければならないと思い極めていたのでしょう。そうでなければ、このような勧めなど出来ることではありません。

 パウロはまず、在りのままの姿で、何よりも神さまの前に出ていました。
肉の弱さを率直に認め、その弱さを神さまが修正して下さると願う。祈り無くしてそんな信仰に立つことは出来ませんし、聖書に教えられてでなければ、自分の弱さなど、認めることは出来ないでしょう。祈りとみことば、これがパウロの立ち位置でした。詩篇にこうあります。「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。あなたの御口のおしえは、私にとって幾千の金銀にまさるものです。」(119:71-72) 神さまのおきて・みことばを学ぶ、これがギリシャ世界のアスリートたちにも勝るパウロの鍛錬でした。「ほかの人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者になるようなことのないためです」とこれは、まさにコリント教会の教師であるパリサイ人たちへの結語ではありませんか。それは現代の私たちにとっても同じでしょう。神さまのことばを私たちの全生涯の要石とする。主の愛を受け止め、その愛に生きる者となるのです。主への愛と互いへの愛、これこそ現代の私たちに求められているものではないでしょうか。


Home