コリント人への手紙Ⅰ


28
主の家であることを
コリント第一 9:19-23
詩 篇     23:1-6
Ⅰ 愛を込めて

 新しいフレーズ(13節以下)をパウロは、コリント教会の指導者パリサイ人に的を絞って、まず、「権利」ということから説き始めました。「神さまの宮に仕える者は、そこから報酬を得る権利がある」とこれは、祭司たちが高額の報酬ばかりか権力さえも握って、祭司貴族と呼ばれるまでに贅沢な暮らしをしているのをうらやむ、彼らの深層心理に訴えたのでしょうか。彼らは、シナゴグを拠点に人々に律法を教えていましたが、教師としての報酬はなく、他に生活のための仕事を持っているのがユダヤ人の普通の感覚でした。きっと彼らは、バビロン捕囚時にユダヤ人コロニーに建てられたシナゴグ礼拝で、預言者たちが説教者として無報酬で働いたことや、イザヤなど預言者たちが神さまに養われていたことなどを思い、その伝統を守っていたのでしょう。パリサイ人たちも、ある意味で、そんな預言者の系譜を引き継ぐ者でした。しかし、集会に報酬を求めないことで、彼らにはフラストレーションが溜まっていたようです。彼らが権威主義に陥り、貧しい人たちから羊を取り上げるなど蓄財に走ったのも、その反動だったのでしょうか。パウロは、そんな人たちに、権利を主張するだけがあなたたちの生きる道ではない、共に主の福音に生かされようではないかと、自ら働き人の権利を放棄しました。私もあなたたちも、値なしにイエスさまの恩恵に与ったのだから、主の恩恵に与った者にふさわしく、福音の自由に目を向けようではないかと……。

 今朝のテキストでは、その「自由」を土台に、新しい議論が展開されます。
 パウロは、「私はだれに対しても自由です」(19)と、キリスト者の自由を宣言しましたが、その自由は、コリント教会の人たちが誤解した放埒にも等しい自由ではなく、愛に根ざす自由なのだと明らかにしていきます。彼はこう言います。「より多くの人を獲得するために、すべての人の奴隷となりました」(19)と。「奴隷」とは、もともとその家に買われてやって来た、主人の命令には絶対服従する者で、主人に愛されたり主人を愛するなどという「愛」とはほど遠い者ですが、パウロの時代には、親子何代にも渡って同じ主人に仕え、ほとんど家族の一員のように扱われることも珍しくはなかったようです。その関係には、「仕える」こともさりながら、相互の「愛」も重要な位置を占めていたようで、パウロはそのことを言っているのでしょう。主から召し出されたパウロの務めは、人々を主の救いに導くことでしたから、何よりも必要とされるのは、ここにはまだ出て来ませんが、彼自身が主から愛されたその愛を、この対話に込めることだったのです。


Ⅱ ユダヤ人にはユダヤ人のように

 当時、ローマ・ギリシャ世界にイエスさまの福音を伝えて教会を建てようとする時、伝道者たちは、まずシナゴグ(ユダヤ人会堂)に行って、そこでユダヤ人たちと接触することから始めました。パウロも例外ではありません。コリント教会の草創期にパウロは、コリントで出会った天幕造りの同業者アクラとプリスキラの家に落ち着き、生業の仕事を軌道に乗せた後、安息日ごとにシナゴグに行ってユダヤ人やギリシャ人たちと論争し、福音を伝えました(使徒18:4)。シナゴグには異邦人改宗者やシンパの人たちも大勢いたのです。ところが、そのシナゴグのユダヤ人は、いづれも「イエスはキリストである」というパウロの宣言には同意せず、暴言を吐いたり暴力に走ったりと、反抗的でした。結局パウロは、別の地区にあるシナゴグに移り、そこで一年半宣教に専念し、コリント教会の礎を造り上げました。「ユダヤ人にはユダヤ人のようになりました。それはユダヤ人を獲得するためです」(20)とあるのは、そのことを念頭に置いているのでしょう。そしてこの論調に彼らも、当時の状況をまざまざと思い出したのではないでしょうか。

 ところがパウロはここで、「ユダヤ人にはユダヤ人のように……」と区別するかのように、「律法の下にある人々には、私自身は律法の下にはいませんが、律法の下にある者のようになりました。それは律法の下にある人々を獲得するためです」(20)と言っています。それは彼らに、自分たちはキリスト教に改宗したという意識があったからではないでしょうか。彼らは、ユダヤ教という宗教から、キリスト教という宗教に改宗したのです。ディアスポラのユダヤ人たちは、キリスト教を先進的な優れた宗教と思っていたのでしょう。ところが彼らは、ユダヤ教という古い宗教に見切りをつけたものの、「律法」には未練がありました。なぜなら、律法は彼らの生き方そのものだったからです。神さまを見失いかけていた彼らは、律法を通して、神さまを見つめていたのかも知れません。特に、パリサイ人は律法の専門家でしたから、パウロはそんな彼らを意識して、「律法の下にある人々には……」と言ったのでしょう。律法から離れることの出来ないパリサイ人たちにとって、彼ら以上に律法の専門家であるパウロのこの論調は、説得力があったのではないでしょうか。「律法を持たない人々に対しては、―私は神の律法の外にある者ではなく、キリストの律法を守る者ですが、―律法を持たない者のようになりました。それは律法を持たない人々を獲得するためです」(21)とこれは、コリント教会にいた異邦人たちを念頭に置いたことばでしょう。パウロは、福音の立場に立ちながら、自在にその立ち位置を聞き手に合わせています。


Ⅲ 主の家であることを

 パウロは、「弱い人には、弱い者になりました。弱い人々を獲得するためです」(22)と続けます。これはまるで、思いついたことを、「ユダヤ人」「律法の下にある人」「弱い人」とランダムに並べたように見えますが、「ユダヤ人には……」と「律法の下にある……」については、先に触れたように、一つ一つに意味がありました。この「弱い人……」についても彼は、コリント教会が抱えていた問題の、深部に踏み入ったのです。思い出して頂きたいのですが、コリント教会の分裂分派の争いに加わった人たちは、もともと「貧しく」「無知で」「弱い」「無きに等しい」者たちでした。ところが、その弱く、愚かなことを恥じてか、教会に来た自分たちを「強い者」「賢い者」「存在価値のある者」と思い込んで自己主張をし始め、教会内に不信仰の種を蒔いてしまったのです(コリント第一書講解説教5)。教会に来て賢くなったと錯覚した彼らは、当時ギリシャ世界に蔓延していたストア哲学やグノーシス主義神学に接近し、自由までも手に入れたとばかりに、「弱く」「無知」で「謙遜」であることを棄ててしまいました。不品行に走ったことも、パウロを「使徒」ではないと言い始めたことも、そんな偽りの自由に惑わされてのことだったのでしょう。彼らは、祭壇に供えた肉を食べて「弱い人たち」をつまずかせても心が痛まず、互いに愛することさえ棄ててしまいました。しかし、「弱い」ことは、いささかも恥じることではないのです。イエスさまは、「弱い人たち」のために十字架に死んで下さったのですから……。パウロは、「この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。……神の御前でだれをも誇らせないためです」(1:28-29)と叫びました。自らも「弱い者となった」(2:1-)パウロは、彼らに、そのことを思い出して欲しいと願ったのでしょう。

 パウロの中には、底辺で苦しむ人々や競争社会について行けない人々、また、富んではいるが心満たされない人々、正義や公正でありたいと願いながら疎外されている人々のことなど……、もっともっと多くの人々への思いがぎっしり詰まっていたのでしょう。パウロは、「すべての人に、すべてのものとなりました。それは、何とかして、幾人かでも救うためです」(22)と、そんな人々に寄り添いました。現代も、世界のあらゆるところで格差が広がっています。「私はすべてのことを、福音のためにしています。それは、私も福音の恵みをともに受ける者となるためなのです」(23)と、このフレーズを締めくくったパウロの姿勢は、使徒職の権利に拘った個人的な生き方にも主張されているように、主の恵みに招かれて恩寵に立つパウロの、生涯をイエスさまの福音に献げたところから生まれたものなのでしょう。有名な詩篇として知られる詩篇23篇には、「主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。……私はいつまでも、主の家に住まいましょう」とあります。パウロはそのところに住んでいたのです。コリント教会が目指すべきは、そんな主の家だったのではないでしょうか。私たちもその主の家に住み続けたいではありませんか。


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