コリント人への手紙Ⅰ


26
主の祝福のうちを歩んで
コリント第一 9:1-12
申命記 28:7-8
Ⅰ パウロの自由と使徒職について

 「偶像に供えた肉」を食べるか食べないかという問題について、パウロは、出来るだけ丁寧に答えました。その中心は、「弱い人たちをつまずかせないために」と、パウロ自身が、イエスさまの福音に与った者の愛の証しとして、市場に出回ったすべての肉を「食べない」と宣言し、「あなたがたのこの権利が、弱い人たちのつまずきにならないように、気をつけなさい」(8:9)と結論づけたことにあります。なぜなら、「キリストはそのような兄弟たちのためにも死んでくださったからです」(8:11)と、パウロの回答の中心主題は、これに尽きるようです。

 ところが、コリント教会の人たちは、その回答に納得しなかったのです。というのは、パウロの回答が、面と向かって対峙しているかのように議論の様相を呈し、9章以下に続いていくからです。彼らは、何に納得しなかったのでしょうか。だんだんとそれが明らかにされますが、彼らの不満は、コリント教会内で対立しあう人たちや「弱い人たち」にではなく、パウロ自身に向けられていたようです。まず第一に、彼らは、パウロの使徒職を攻撃しました。これはすでに4章で議論し尽くされたことですが(コリント書講解説教12-13)、たとえ神さまから委託されたものであったとしても、すべての権威や拘束から解放されて自由を手に入れたとするコリント教会の人たちには、どうしても、パウロのその「使徒職の権威」が認められなかったのです。ですからパウロは、自分の使徒職という問題から始めなければなりませんでした。

 パウロは、「私には自由はないのでしょうか。私は使徒ではないのでしょうか」(1)と問いかけていますが、パウロが持っていると主張する「自由」と「使徒職」は、どちらもコリント教会の人たちには目の上のたんこぶのように目障りなものでしたから、それが攻撃対象になったのでしょう。それは、彼らが手に入れた自由を否定して彼らを支配する、敵のようでもありました。パウロは、「使徒職」に「自由」を重ね合わせながら、自分が「使徒」の職にあることを弁明(3節以下)しています。ですから、「私は私たちの主イエスを見たのではないでしょうか。あなたがたは、主にあって私の働きの実ではありませんか。たとい私がほかの人々に対しては使徒でなくても、少なくともあなたがたに対しては使徒です。あなたがたは、主にあって、私が使徒であることの証印です」(1-2)とだけ言って、この後、コリント教会の人たちの心情に訴えるかのように、自分の「使徒職・自由」について語り始めます。「あなたがたは、私が使徒であることの証印です」とは、コリント教会自体が、彼の「(よみがえりのイエスさまから直接任命された)使徒職(使徒9:1-22、ガラテヤ1:1)」という、資格証明書に押された印ではないかと言っているのです。


Ⅱ まるで対峙しているかのように

 あなたがたにある自由なら私にもあると、パウロが「自由」を持ち出したのは、コリント教会の人たちと同じレベルに立とうとしたからではないでしょうか。彼が「偶像に供えた肉を食べる」という問題で「自由」に言及したのは、「もし食物が私の兄弟をつまずかせるなら、私は今後いっさい肉を食べません」(8:13)という宣言に見られますが、それは、その「自由」によって、肉を食べる権利を放棄するということでした。パウロには権利を主張する自由も権利を放棄する自由もありましたが、その「自由」を、弱い人をつまずかせないために、「愛」に譲ったのです。「自由」という名の権利に立つのではなく―コリント教会の人たちはその権利にしがみついていた―、イエスさまはその弱い人たちのためにも十字架に掛かって死んで下さったのだと、この問題で、「愛」に立つことがパウロの使徒としての選択肢でした。もともとパウロの使徒職は、人々をイエスさまの愛に招くためのものでしたから、愛に立つことは、使徒パウロにとって、ごく自然な選択でした。ところが、彼らコリント教会の人たちには、その使徒職が自分たちの自由を束縛するのだと、パウロの説得は、上から目線で権威を振りかざすものにしか見えなかったのです。パウロは、たとえ彼らに、神さまから委託された「使徒職」というものが理解出来なかったとしても、「自由」ということなら、その正当性を納得してもらえるのではないかと考えたのです。ところが彼らは、パウロは自分たちの自由を踏み荒らそうとしていると、反発しているのでしょう。パウロの反論は熱を帯び、まだ書きかけのこの書簡の中で、まるで対峙しているかのように、議論が沸騰していきます。

 彼らは自分たちの自由を奪われまいとしてか、知らず知らずのうちに、福音の啓示者であり、自分たちに愛を注いでくれたパウロを、裁いていたのです。しかしパウロは、そんな彼らを断罪することなく、「私をさばく人たちに対して、私は次のように弁明します」(3)と、弁明に終始しています。その弁明は、世間の常識に訴えるものでした。「いったい私たちには飲み食いする権利がないのでしょうか。私たちには、他の使徒、主の兄弟たち、ケパなどと違って、信者である妻を連れて歩く権利がないのでしょうか。それともまた、私とバルナバだけには、生活のために働きをやめる権利がないのでしょうか。いったい自分の費用で兵士になる者がいるでしょうか。自分でぶどう園を造りながら、その実を食べない者がいるでしょうか。羊の群れを飼いながら、その乳を飲まない者がいるでしょうか。」(4-7)と……。


Ⅲ 主の祝福のうちを歩んで

 ここには、飲み食いといった生活に関連することとして、「他の使徒、主の兄弟たち、ケパ(ペテロ)が妻を連れて歩く……」とあり、伝道者たちが、家族とともに、教会からの献金で生活していたことが暗示されています。コリント教会の人たちは、そんな伝道者たちの中に、パウロを数えなかったのでしょうか。ある註解者は、使徒なら当然受ける権利を行使しなかったことが、彼らのつまずきになった、と考えています。「私たち」とありますが、コリント教会草創期に深く関わったアポロやテモテやシラスとともに、「私とバルナバ」(6)とこれは、アンテオケ教会以来、ずっと一緒に働いて来た、先輩伝道者のことを言っているのでしょう。バルナバは、第一次伝道旅行以後、その消息は途絶えていますが、彼もペテロやパウロと同様に、使徒として、ローマ・ギリシャ世界の教会に広く知られていて、コリント教会にもなんらかの関わりがあったのでしょうか。彼もまた、パウロと同じように、働いて日々の糧を得ていたと思われます。しかしパウロは、教会からの謝礼によって糧を得る当然の権利を、「用いなかった」(12)と言っているのです。

 パウロは、世間の常識に訴えただけでなく、「穀物をこなしている牛にくつこを掛けてはいけない」(25:4)と申命記の一節を引用し、律法に訴えました。そしてこう言います。「耕す者が望みを持って耕し、脱穀する者が分配を受ける望みを持って仕事をするのは当然だからです。もし私たちが、あなたがたに御霊のものを蒔いたのであれば、あなたがたから物質的なものを刈り取ることは行き過ぎでしょうか」(9-11) これまでに何度もパウロは福音の啓示者であると言って来ましたが、「使徒」とは、そういうものなのです。けれどもパウロは、日々の糧を得るための天幕造りを、低い職業とは考えていませんでした。その労働は、しばしば他の人たちの必要を満たした(使徒20:34-35)とさえ言って、天幕造りは、パウロにとって、主に祝福された労働でした。ですからパウロは、伝道者が教会から受け取る報酬という権利に、拘らなかったのです。「もし、ほかの人々が、あなたがたに対する権利にあずかっているのなら、私たちはなおさらその権利を用いてよいはずではありませんか。それなのに、私たちはこの権利を用いませんでした。かえって、すべてのことについて耐え忍んでいます。それは、キリストの福音に少しの妨げも与えまいとしてなのです」(12)と。パウロが拘ったのは、「福音のために」ということでした。福音の妨げにならないようにと彼は、権利を放棄することで発生する、一切の困難と欠乏を甘んじて受けようとしたのです。「働く牛にくつこを……」ということばには、「主は、あなたのために、あなたの穀物倉とあなたのすべての手のわざを祝福してくださる」(申命記28:8)と続きがあります。パウロはその祝福のうちを歩んだのです。宣教も天幕造りも、彼の福音の証しだったのではないでしょうか。現代のキリスト者として、私たちの倣うべき立ち方ではと思わされます。


Home