コリント人への手紙Ⅰ


23
はるかに大切なことが
コリント第一 7:25-40
ダニエル書  9:24-27
Ⅰ 未婚の娘への勧め

 新しいフレーズを書き起こすにあたり、パウロは、「処女のことについては、私は主の命令を受けてはいませんが、主のあわれみによって信頼できる者として意見を述べます」(25)と、現代人にはどきっとさせられるような表現で、「未婚の若い娘」の問題にスポットを当てます。「処女」というギリシャ語・「パルセノス」は、「童貞」をも指しますので、必ずしも女性だけを指しているのではありませんが(小畑進「コリント第一提唱」)、ここに取り上げられる乙女は、恐らく、26-28a節で暗示されているように、妻に先立たれた父親の世話をしている娘が想定されていると思われます。ですからここは、やはり「処女」と訳していいのでしょう。そんな娘たちが、コリント教会には大勢いたようです。「大勢」とは、コリント教会内で、一つの目立つグループになり得るほどの人数という意味ですが、だからこそパウロは、ここで、彼女たちのことを取り上げました。若い娘たちは、しばしば教会内に問題を引き起こします。「あの娘たちを何とかしないと……。若者たちの間に間違いが起こらないうちに」とは、年配者たちの当然の声だったのでしょう。それは昔も今も同じです。そんな質問がパウロの元に来た手紙の中にあって(7:1)、これはパウロの回答なのです。娘は15~16歳だったのでしょうか。アテネの例からすると、もう結婚適齢期を過ぎています。そんな娘たちの結婚を望むのは、父親たちの当然の願いでした。けれども、教会内には、彼女たちに見合う(30歳前後の)若い男性がそれほど多くはなく、結婚相手の枠を、教会外にまで広げようとしていたのでしょうか。まさに未婚の若い娘たちの動向は、コリント教会にとって、一つの大きな関心事でした。

 そんな娘たちのことで、パウロは、ある意味で禁欲主義に陥っていたと思われる父親たちに、「結婚させることが罪を犯すのではない」と、結婚を容認する発言をしていますが、出来るなら独身でいる方がよいとも勧めています。「たとい処女が結婚したからといって、罪を犯すのではありません。ただ、それらの人々は、その身に苦難を招くでしょう。私はあなたがたを、そのようなめに会わせたくないのです。」(28)「独身の女や処女は、身もたましいも聖くなるため、主のことに心を配りますが、結婚した女は、どうしたら夫に喜ばれるかと、世のことに心を配ります。」(34)「もし、処女である自分の娘に対しての扱い方が正しくないと思い、またやむをえないことがあるならば、その人は、その心のままにしなさい。罪を犯すわけではありません。彼らに結婚させなさい。しかし、もし心のうちに堅く決意しており、ほかに強いられる事情もなく、また自分の思うとおりに行なうことのできる人が、処女である自分の娘をそのままにしておくのなら、そのことはりっぱです。」(36)


Ⅱ 終末を意識し続けて

 イエスさまがガリラヤ・カナでなさった「結婚の祝福」のではなく、こういった「結婚を忌避する勧め」が、なぜか、未婚の娘たちにだけでなく、「結婚」そのものに対するパウロの基本姿勢になっているようです。ここでは、更にこうも言われています。「あなたが妻に結ばれているなら、解かれたいと考えてはいけません。妻に結ばれていないのなら、妻を得たいと思ってはいけません。しかし、たといあなたが結婚したからといって、罪を犯すのではありなせん。」(27-28a)「今からは、妻のある者は妻のない者のようにしていなさい。」(29b)「妻は夫が生きている間は夫に縛られています。しかし、もし夫が死んだなら、自分の願う人と結婚する自由があります。ただ主にあってのみ、そうなのです。私の意見では、もしそのままにしていられたら、そのほうがもっと幸いです。」(39-40a) パウロ自身は禁欲主義を貫いており、コリント教会の一部の人たちは、結婚を性行為のはけぐちと受け止めていましたから、しばしば、パウロは禁欲主義を賛美していると思われがちですが、いくらグノーシス主義とともに、禁欲主義・ストア哲学が全盛の古代ギリシャ社会であっても、結婚が全否定されていたわけではありません。もし、パウロがここで、不品行との関連で結婚を忌避するように教えたとするなら、それは違うのではと思われます。結婚は、アダムとエバの昔から、人類存続の祝福されるべき営みでした。それは、現代社会にも似た、自由で先進的なローマ・ギリシャ世界においても同じです。それなのに、パウロが、ここでこれほど何回も「結婚忌避」の勧めを繰り返しているのは、いかにも不自然で、饒舌の感がぬぐえません。何がパウロをこれほど饒舌にしているのでしょうか。

 パウロには、間もなく終末を迎えるという強い意識があって、その終末意識が、パウロをこれほど饒舌にさせているのでしょう。それは、「私も、神の御霊を頂いていると思います。」(40)という、パウロの信仰に基づくものでした。しかしながら、その終末意識は、中世のローマ・カトリック教会支配下では、現世的な教会権力重視に傾いて、終末からは目をそらしていましたし、近世の批評的神学に走った自由主義神学者たちは、終末を神話として意に介さなかったなど、何度も途絶えましたが、一握りではあっても、終末は、聖書に教えられた人たちに、意識し続けられて来ました。パウロの時代は、イエスさまを送り出してまだ間もない頃でしたから、一層、「……わたしの名を名のる者が大ぜい現われ、『私こそキリストだ。』と言って、多くの人を惑わすでしょう。また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらのことは必ず起こることです。……民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。そのとき、人々は、あなたがたを苦しいめに会わせ、殺します。……不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります」(マタイ24:4以下)という、イエスさまの教えが心に残っていたのでしょう。


Ⅲ はるかに大切なことが

 終末について、パウロ文書には比較的控えめな記述しかありませんが、このテキストに記されている終末描写も、極めて暗示的な範疇に留まります。それらをピックアップしてみましょう。「現在の危急のとき」(26)「その身に苦難を招くでしょう。私はあなたがたを、そのようなめに会わせたくないのです」(28)「兄弟たちよ。時は縮まっています。今からは、妻のある者は妻のない者のようにしていなさい。世の富を用いる者は用いすぎないようにしなさい。この世は過ぎ去るからです」(29-31)

 そんな中でもパウロは、コリントから書き送ったテサロニケ第二書(紀元51年)では、終末の時に「まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現われる」と警告し、「彼は、すべて神と呼ばれるもの、また礼拝されるものに反抗し、その上に自分を高く上げ、神の宮の中に座を設け、自分こそ神であると宣言する。……」(2:1以下)と記しています。それは、ネロ帝を指していると言われていますが(ネロ帝のキリスト教徒迫害は64年以降)、パウロは、ローマ皇帝によって引き起こされるであろうキリスト教徒迫害を視野に入れて、そこに終末を見ていたのかも知れません。ローマの立ち方とキリスト教会の立ち方は、余りにも違っていました。実現はしませんでしたが、紀元40年にカリグラ帝は、自分の像をエルサレム神殿に置くようにと、ユダヤに圧力をかけていました。これは、ダニエル書の「荒らす憎むべき者が翼(神殿の最上部)に現われる」(9:27、マタイ24:15)という預言に重ねて、記憶されていたのでしょうか。世界に冠たるローマ法を有しながら、皇帝を擁することで、次第に皇帝の意志がローマ法に陰を落とすようになって来たことに、パウロは不安を抱いていたのでしょう。テサロニケ書に比べますと、コリント第一のテキストに描かれる終末の日の記述は、とても控えめですが、同じ意図を感じます。しかし、この不安というか警告は、パウロの時代ばかりではありません。ノアの方舟に象徴される大洪水のとき、人々は飲み食いし、妻を娶ったり嫁いだりと、まるでこの世の春は自分たちのためにあるのだとばかりに、神さまのことを忘れ浮かれていたと、イエスさまは警告されています(マタイ24:37-39)。「こう描き出されてみると、思わず足元を見つめさせられる」と、恩師・小畑進牧師が言っておられますが(前掲書)、神さまが創造されたこの世界に今、パウロが危惧したことが起ころうとしています。結婚、仕事、通勤通学といったごく当たり前の日常の営みより、私たちが見据えなければならない、はるかに大切なことがあるのです。恐らく、思いがけない時に、必ず、私たちの日常への、神さまの介入があるでしょう。現代の私たちも、そうした終末の時が必ず来ることを、忘れてはなりません。


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