コリント人への手紙Ⅰ


21
主の祝福を聞く
コリント第一 7:8-16
詩篇  119:65-72
Ⅰ 情の燃えるよりは

 「結婚」についてパウロは、さらにいくつもの問題点を取り上げます。これは七章の終わりまで続きますが、それだけに、恐らく、人類の存続を根底から支えてきた「結婚」には、当時、問題が多かったのでしょう。それは教会だけではなく、当時の社会的問題になっていたと思われます。なにしろ、ローマでは、何年か前の共和制の時代には、不品行ばかりか、「インセストゥム(近親相姦)」にさえ寛容な社会だったからです。いや、もっとはっきり言うなら、女性がほとんど外に出ることのない社会では、出会いのチャンスは本当に少なく、男の女性を見る目は、性行為という欲望でぎらぎらしていたと言えましょう。ローマもギリシャも極端なまでの男社会で、女性の地位が考慮されることはなく、女性が男の飾り物か、子どもを産む道具でしかなかった時代に、女性への優しさを見せたパウロの結婚観は、ローマ・ギリシャ世界の理不尽さを色濃く反映した社会(コリント教会においても)に投じた、一石ではなかったかと思われてなりません。もっとも、そのパウロも、現代の私たちから見ると、女性への配慮が十分ではなく、足りないところが多くあると思われるのですが……。

 今朝は、そのパウロが問題にしたところから、いくつかの箇所を取り上げたいと思います。第一の箇所は、7:8-9です。恐らく、結婚したことのないパウロだからでしょうか、結婚、あるいは家庭に対するロマンティックな感傷が全く見られず、全てのことが事務的処理に徹しているようです。しかし、恐らくこれは、コリント教会側に問題があって、エペソ書などを見ますと、夫婦の中心に愛が求められるとするパウロの思い(参考・エペソ5:22-33)が、色濃く浮かび上がっています。ここでは、コリント教会の問題点を視野に入れながら、見ていきたいと思います。「次に、結婚していない男とやもめの女に言いますが、私のようにしていられるなら、それがよいのです。しかし、もし自制することができなければ、結婚しなさい。情の燃えるよりは、結婚するほうがよいからです」(8-9)とパウロは、まず結婚の勧めから始めますが、結婚の前提に、「もし自制することができなければ」とか「情の燃えるよりは」と、コリント教会の人たちの問題点を浮かび上がらせています。コリント市は、古くからギリシャの覇者・哲学と思索の象徴的都市アテネに近く、その間わずか78キロです。そのアテネに、ギリシャ第一の商業都市という栄誉を獲得したコリントが、対抗意識を燃やしたとしても、おかしくはありません。アテネにはないもの、それは、自由と放埒でした。「情が燃える」とは、その自由と放埒を手に入れたコリントの人たちの行き着く先ではなかったか、と思われてなりません。そんなコリントの状況は、現代が抱えてしまった不健全な風潮に重なるではありませんか。そんな風潮に陥るよりも「結婚するほうがよい」と、パウロのやるせない思いが伝わって来ます。


Ⅱ 自由と放埒とを

 第二の問題は、離婚に関することです。「次にすでに結婚した人々に命じます。命じるのは、私ではなく主です。妻は夫と別れてはいけません。――もし別れたのだったら、結婚せずにいるか、それとも夫と和解するか、どちらかにしなさい。――また夫は妻と離別してはいけません」(10-11)とあります。夫からの一方的な離婚とは別に、妻からの離婚ということもあって、それが先に上げられているのは、彼女たちにとって、我慢の限界が来たということなのでしょうか。しかし、女性の方から「別れます」と言える状況があったのかと、ある意味で、ほっとする思いがあります。もっとも、上流階級と庶民とでは、対応にも違いがあったのでしょうが……。「命じるのは、私ではなく主です」とあるように、離婚は、前回紹介したマタイの「山上の垂訓」に、「不貞以外の理由で妻を離別する者は、妻に姦淫を犯させるのです。だれでも、離別された女と結婚すれば、姦淫を犯すのです」(5:32)とあって、イエスさまの教えでは、原則、離婚は認められていませんでした。現代、安易な離婚が増えているようですが、紀元一世紀半ばのローマ・ギリシャ世界にも、一般社会ばかりでなく、教会においても、現代にも似た風潮が広がっていたのでしょう。まして、自由と放埒を手に入れたコリント教会では、そんな傾向が顕著だったのではないかと想像します。古代ギリシャ社会に面白い風習がありましたので、紹介しましょう。アテネでは、結婚する娘に「婚資」と呼ばれる相当額の持参金を持たせる風習があったそうですが、いざ離婚となると、その「婚資」は全額、離婚した嫁に返さなければならなかったようです。その「婚資」が、実家に帰された娘の肩身の狭さを救ったのでしょうか。親たちのせめてもの知恵だったのかと思われます。コリントでは、どうだったのでしょうか。

 三番目にパウロは、異教徒との結婚という問題を取り上げます。「次に、そのほかの人々に言いますが、これを言うのは主ではなく、私です。信者の男子に信者でない妻があり、その妻がいっしょにいることを承知しているばあいは、離婚してはいけません。また、信者でない夫を持つ女は、夫がいっしょにいることを承知しているばあいは、離婚してはいけません。」(12-13)

 恐らくコリント教会では、ユダヤ人のパリサイ人が教師になってから、「外国人の女性と結婚してはならない」という律法規定が、教会内で適用されていたと思われます。イエスさまはそんな規定を持ち出してはおられませんが、初期教会では、信仰者同士の結婚という拘りが、暗黙の規定となっていたようです。それは、ある意味で、弱小民族(弱小宗教)の、身を守るための知恵だったのでしょう。これは、古来の母系家族と父系家族の葛藤という問題とは別に、単一民族が一様に同じ文化を踏襲していた時代が過ぎ去って、圧倒的な武力や高度な文化を背景に、ローマ・ギリシャの勢力が世界を席捲した時代に起こった、新しい問題でした。


Ⅲ 主の祝福を聞く

 教会は、社会に対する影響力が膨らむにつれ、異教徒との結婚禁止という締め付けの方向に走って行きます。ある意味でそれは、単一民族時代への逆行でしたが、その件に関し、パウロの心は柔軟だったと見なければなりません。「なぜなら」と、パウロは続けます。「信者でない夫は妻によって聖められており、また、信者でない妻も信者の夫によって聖められているからです。そうでなかったら、あなたがたの子どもは汚れているわけです。ところが、現に聖いのです」(14)と。パウロは「結婚」に、ガリラヤのカナでの、主の恩恵と祝福を見ているのでしょう。キリスト者同士でない結婚について、現代の福音主義教会では、「不信者と、つり合わぬくびきをいっしょにつけてはなりません」(コリント第二6:14)というパウロのことばを根拠に、その結婚を、まるで害悪のように断罪するところがありますが、この問題が、初期教会の、異教徒への宣教の結果浮上して来たことを忘れてはならないでしょう。一律に「不信仰的行為」と、切り捨てて良いわけがありません。このフレーズに見られるパウロの寛容さや、次に取り上げる不寛容さ?に、パウロの優しさが滲み出ているようです。

 不寛容のフレーズには、こうあります。「しかし、もし信者でないほうの者が離れて行くのであれば、離れて行かせなさい。そのようなばあいには、信者である夫あるいは妻は、縛られることはありません。神は、平和を得させようとして、あなたがたを召されたのです。なぜなら、妻よ、あなたが夫を救えるかどうかが、どうしてわかりますか。また、夫よ。あなたが妻を救えるどうかが、どうしてわかりますか。」(15-16) しばしば私たちには、自分と同意見でない人たちに、「不信仰」というレッテルを貼ってしまう傾向がありますが、私たちは、神さまを見つめているパウロの柔軟さを、学ばなければなりません。信仰も不信仰も、神さまと向き合ってのことなのです。パウロが覚えて欲しいと願ったのは、そのことだったのではないでしょうか。詩篇119篇に、「あなたはいつくしみ深くあられ、いつくしみを施されます。どうか、あなたのおきてを私に教えてください」(68)とあります。ここで、この単数の「私」を、夫婦一組の「私」と聞くのです。創世記に「ふたりは一体となる」(2:24)とありますが、家を形造っていく者は、夫婦で「私」なのですから。詩篇には単数の「私」が目立ちますが、これを夫婦二人で一組と、聞いてみようではありませんか。するとそこには、どんな悩みや問題を抱えた夫妻にも、主とパウロの祝福が聞こえて来るのではないでしょうか。その祝福を聞くことこそ、結婚の最も大切な中心であると、心に刻んでおきたいと思います。


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